社会事象、自然事象、いずれの出来事を報道する場合でも、最低限の論理的・科学的見識は不可欠なはずだ。だが、昨今のマスメディアの報道には論理性・科学性の面からすると問題が多すぎる。視聴率優先のテレビのバライエティ番組なら目をつむることもできようが、一定の論理性や客観性が求められる新聞記事、なかでも科学的な記事となると話は別である。ニュースソースから得た内容を鵜呑みにし、裏を取ることも論理的な考察を加えることもなく記事に仕立てる記者も、無批判にその記事の掲載に踏み切る編集者も、また、そんな記事を安易に受け入れてしまう読者もこの際猛省すべきであろう。昨今に見る科学報道担当記者や編集者の能力劣化ぶりは厳しく糾弾されなければならない。「新聞の役割はニュースソースが発する内容を真偽にかかわりなくそのまま掲載することであり、報道の中立性を守る立場からするとそれは当然のことである」と当事者が考えているとすれば論外だ。
「ネズミ講式永久機関」のPR報道?
去る三月十九日付の毎日新聞神奈川版に、「相模原市のK氏が電磁力を応用した高効率な小型発電装置を開発、川崎市の住宅展示場で実用運転の公開展示を行う」という記事が載った。円形アルミ板の周縁に磁石のN極とS極を交互に配列した回転体を始動用モーターで回し、回転速度が増した時点でその回転体とベルトで繋がる別の発電用モーターを動かすと、始動用モーターの消費電力の百倍から千倍の電力が生じるのだという。こんな発電装置を次々に連結していくと、悪名高い永久機関どころか、ネズミ講式エネルギー無限増幅機関に行き着くわけだから、開いた口が塞がらない。特許出願中ゆえその構造は極秘だとかいうその装置を電気工学や物理学の研究者が相次いで視察し、元九州電力最高顧問で元国際原子力機関委員のM氏などは「画期的な発電装置」だと認めているのだそうだ。そのM氏はドイツ第一級の研究者とその発電装置の論理的な解明に取り組んでいるのだとかで、「ドイツの学者、研究者は発電装置と認めている」と語っているらしい。特許出願中で構造極秘のはずの装置の原理をM氏やドイツの研究者がどうやって解明しているのか、どうして日本の一流研究者がその原理解明に乗り出さないのか話は矛盾だらけだが、それよりも問題なのは、何の検証もせずにこんなばかげた報道を掲載する新聞社のほうだろう。
これは科学記事ではないが、三月十九日付日経新聞以下の主要各紙に、「父親と長く過ごすほど我慢強い子になる。子育てに父親の参加は大切だ」とする厚労省の調査報告が掲載された。〇一年生まれの子どもの親を毎年追跡調査し、欠かさず回答した三万六千人分を〇六年度に集計、五歳六ヶ月になった時点の子どもの行動を、二回目(一歳六ヶ月時点)に調査した「休日に父親と過ごす時間」と照合しその結論を得たという。
休日に父親と過ごす時間が「一時間未満」だった子どもの場合、「(ものごとを)我慢することができる」と答えたのが六十七%だったのに対し、その時間が「六時間以上」だった子どもの場合、同じ答えをした者は七十六%、また、「落ち着いて話を聞くことができる」と答えた子どもの割合も、それぞれの時間に対し、七十七%、八十二%と、集計値に違いが見られたのだそうだ。さらに、「ひとつのことに集中する」、「感情をうまく表す」、「集団で行動する」、「約束を守る」といった事項についても同様の相関性が見られたという。
「我慢することができるかどうか」などという極めて主観的で曖昧な内容の判断を五歳の子どもに求め、心理学的要因や他の諸環境要因をいっさい無視し、意図的に「父親復権論」的結論を導き出しているとも思われるこんな安易な調査にどれだけの意味があるのだろう。百歩譲ってその調査データ値が正しいとしても、わずか数パーセントに過ぎない値の違いにどれほどの重要性が見出せるのであろう。指標(基準尺度)の設定法、データの収集やその処理法などを通して統計調査の結果を意のままに操作できることなど、統計学の専門家の間では常識だ。メディアによって報道されるべきは、数年間にわたって多大の公費を投入し、このような杜撰な調査を行ってきた厚労省のありかたのほうである。
このほかにも、近年各紙が大々的に取り上げてきた「地球温暖化問題」関係の記事や、過日の日経新聞科学欄の「不妊症の原因はメタボか」とかいったような健康問題関連記事に象徴されるように、表面的かつ一面的な統計調査結果だけをもとにした情報をそのまま垂れ流している記事は少なくない。時間と労とを要する真の因果関係追究を棚上げにしたその種の情報の背後には、必ずや国家・企業の極秘政策に基づく戦略的な意図が隠されていることがほとんどだから、我々国民はけっして注意を怠ってはならない。
iPS細胞報道もより冷静に
昨今の新聞科学面を最も賑わしているのはiPS細胞(人工多能性幹細胞)関連のニュースである。山中伸弥京都大学教授率いる研究チームがヒトの皮膚細胞からES細胞(胚性幹細胞)にも遜色のない能力を持つiPS細胞の開発に成功したのは周知の通りだ。受精直後のヒト胚を培養してつくるES細胞を再生医療に用いることには倫理的な反対意見が強く、また当人由来の細胞ではないため拒絶反応が生じうることも問題だったが、iPS細胞ではそれらの問題が回避されるというので、一躍世界の注目を浴びることになった。日本のマスコミ報道などは、明日にもiPS細胞を用いた再生医療が実現するかのような過熱ぶりである。また、そんな世論の沸騰を背にして、科学技術振興機構などは文科省から配分される多額の競争的資金を山中教授の研究グループに投入し、実用化研究の促進を煽っている。
そんな騒ぎの中で当の山中教授だけは、iPS細胞の培養成功を発表した当初から、再生医療への応用研究では米国などに太刀打ちできないと述べ、同細胞の実用化には安全面でなお多くの壁があると冷静かつ慎重な態度をとっている。「iPS研究-安全と効率へ」という最近の朝日新聞の科学記事は、日本再生医療学会でのiPS細胞に関する諸研究の発表を取り上げ、全体として希望的観測を打ち上げていた。だが、山中教授は特別講演でイスラエルでのES細胞による再生治療が脳腫瘍を発症した事例に触れ、現時点ではiPS細胞のほうがより危険な細胞だとの警告を発した。折しも米国ではオバマ大統領がより全能性の高いES細胞研究促進のための予算を認可したこともあって、iPS細胞実用化の前途には翳りすら感じられ始めた。山中教授の負っているプレッシャーは想像以上のものだろうとの事情通の声もあるくらいなのだ。医療や生命科学分野だけをとっても研究費を投入すべきところは少なくない。IPS問題に関しても今後各メディアはより冷静で的確な判断を求められることになるだろう。