半導体を用いた現在のコンピュータは、ナノレベルへの集積回路の微小化に伴う電力リーク量増大のため、消費電力が極めて大きくなっている。当然余熱も生じるから、システム自体の冷却にも余分なエネルギーが必要となる。また、電子は相互に干渉し合うのでその流れを多重にクロスさせるような電子回路設計は不可能である。コンピュータの能力向上には各素子を微小化し、回路の集積度を飛躍的に高めることが不可欠だが、従来の電子回路に依存するかぎり一定水準以上の微小化は機能不全に繋がるし、経済的な面からしても見合わない。そんな状況下にあって世界中の研究者がいまその開発を競っているのが量子コンピュータ、なかでも究極の量子コンピュータといわれる光コンピュータである。
電子と違い、光(光子)は交差しても互いに干渉し合うことがないから、光コンピュータは三次元の集積回路設計が可能でエネルギーもずっと少なくて済む。また、光子には向きが正反対の異なる二つのスピン(特定方向への固有な回転)を同時にもつという量子特有の奇妙な性質(量子の二重性)があるため、それを利用すると現在最速のスーパー・コンピュータで一千万年はかかる演算をわずか一秒で処理できるような超高速コンピュータを生み出せる。電子の場合はプラス(1に対応)かマイナス(0に対応)、電流の場合はオン(1に対応)かオフ(0に対応)といったように、電子や電流はひとつの状態(一ビットという単位で表す)しか維持し得ないが、不思議なことに一個の量子は同時に異なる二つの状態(1にも0にも同時に対応した状態で、一キュービットという単位で表す)を維持できる。そのため同じ十個の素子でも、量子素子は電子素子の二の十乗倍(千二十四倍)の情報量を持てるので、超高速プロセッサーや超大容量メモリーの製作が可能になる。
フォトニック結晶開発が鍵
理論的には可能だとされる光コンピュータの登場は長年の人類の夢であるが、その実現には、「光を特別な微小空間内に閉じ込め、必要に応じて解放する」、「光の速度を任意のレベルまで低速化し、再高速化できる」、「極微小領域において光の向きや光量を自由にコントロールする」といった機能をもつフォトニック素子(光素子)が開発されなければならない。既存のコンピュータにおいても電子流を制御する各種素子が必要なように、光コンピュータにおいては光子流を制御するフォトニック素子が不可欠となるからだ。優れたフォトニック素子が生まれさえすれば光集積回路の実現は時間の問題である。だが、実用に耐え得るようなフォトニック素子の開発はいまなお困難を極めている。
そんな状況下にあって、現在各国の研究者が競っているのは、フォトニック素子の中核となる「フォトニック結晶」の開発だ。光には、その伝播が抑制・阻止されたり、実在自体が不可能になったりする(エネルギーそのものはプールされる)特別な波長領域「フォトニック・バンドギャップ」が存在する。以前からそのことに着目していた研究者らは、光が周期的な屈折を繰り返しながらその内部に留まり続けるような、バンドギャップ波長サイズの極微小構造体の研究を進めてきた。フォトニック・バンドギャップの特性を活用するその種の特殊構造体「フォトニック結晶」が合成できれば、それによって光の進む方向や光量などを自由に制御できるほか、その内部に一時的に光をプールすることなども可能になるからだ。光子に委ねた情報をバッファーに保存できるようになるほか、将来的には、電気を貯め込む「電池」同様に、光エネルギーを貯め込む「光池」の開発も夢ではなくなる。「光池」ができれば、一大技術改革や一大エネルギー革命に繋がることは必定だ。
フォトニック結晶開発の前段階にあたる研究はずいぶんと進んできている。信州大、大阪大、物質材料研究機構が共同研究中のフォトニック・フラクタルもその一例だ。同グループは酸化チタン系の微粒子を混ぜたエポキシ樹脂を用い、各面に大小無数の正方形の穴のあいたフラクタル構造(縮尺の異なる同形の構造体が規則的に何階層にも重なり複合化したもの)の立方体をつくると、その中心部の空洞に高周波の電磁波を蓄積できることを発見した。東京大学大学院和田一実教授グループもマイクロフォトニクスの研究で世界をリードしている。また、オーストラリア国立大学の研究チームは、特殊な結晶中にレーザー波を一秒以上捕獲することに成功し、秒速三十万キロの光を秒速数百メートルにまで減速させた。さらに、IMB社ワトソン研究所のユーリ・A・ウラソフ博士傘下の研究チームは、格子状に穴が開いた特異なシリコン板を用いて光の伝播速度を三百分の一以下に落とすことに成功、光の制御に新たな一歩をもたらした。
甲虫の外殻に理想の分子構造が
これら一連の研究にもかかわらず、光コンピュータ実現までの道程はなお遠い。だが、最近、偶然に、光コンピュータ・チップの開発促進の鍵となる意外な事実が発見された。現在プリガム・ヤング大学在学中のローレン・リッキーという女子学生が、高校時代、同大学のジョン・ガードナー教授のもとに、ブラジル原産で体長二~三センチの甲虫を電子顕微鏡で観察させて欲しいと申し出た。そこで、この甲虫の緑がかった玉虫色の外殻を電子顕微鏡で観察してみると、なんとも奇妙なことに、どの方向から眺めても玉虫色に輝いて見えるのだった。玉虫色をした通常の素材の場合には、どの方向から眺めても玉虫色に見えるようなことはない。半透明の層を透過して反射した光によって玉虫色が生じるからである。ユタ大学の物質科学研究者らと共同でその構造を解析したところ、この甲虫の外皮の奇妙な特性はキチン質(節足動物の外皮の主成分)からなるその分子構造に因していることが判明した。構成元素こそ違え、その分子構造はダイヤモンドの炭素原子の配列構造(正四面体の各頂点に炭素原子が位置する)とまったく同じになっていたのである。
進化の偶然によって生み出されたこのキチン質の分子構造は、光コンピュータのフォトニック結晶をつくるのに最適のものなのである。ダイヤモンドそのものは密度が高すぎるためフォトニック結晶としては使えないが、以前から同様の分子配列構造をもつフォトニック結晶は三次元空間内で光を制御するには最適であると以前から考えられてきた。ダイヤモンド構造のフォトニック結晶は特定波長の光がどの方向から入射しても透過させずに内部で反射し続ける唯一かつ理想の構造体で、それによりフォトニック・バンドギャップをつくりだすことができるはずだと、理論的に予言されていたからである。
ダイヤモンド構造を実験的に作り出す研究が過去多くの研究者によってなされてきたが、ことごとく失敗に終わってきた。サンディア国立研究所の研究チームがいま一歩のところまでは到達したが、ただ一個の類似結晶を形成するのにも一ヶ月さえ要したという。ジョージア工科大学の物質科学者らは、蝶の翅の鱗粉の分子構造をベースにダイヤモンド構造をもつフォトニック結晶を作ろうとしたが失敗し、ダイヤモンド構造を作り出すのは不可能に近いと結論づけたほどだった。ところが、今回の発見により、炭素原子以外のものによるダイヤモンド構造の存在が明らかになったわけで、この甲虫の外殻キチン質の構造を雛型とし、理想のフォトニック結晶の研究開発が飛躍的に進展するものと期待されている。