執筆活動の一部

12. 夢の「水素エネルギー」開発今どこまで?

大気中の二酸化炭素の増大にともなう地球温暖化、化石燃料の多用による大気汚染、エネルギー資源の開発競争と資源の枯渇や高騰に起因する国際的紛争の勃発など、昨今のエネルギー問題は抜き差しならぬ段階に至っている。それら一連の問題の根本的な解決策として以前から期待されてきたのが水素エネルギーの開発なのだが、その現状や展望は一般にはあまりよく知られていない。今年1月15日の一般教書演説のなかでブッシュ米国大統領は、2025年までに中東からの原油輸入量を75%削減するとの大胆な目標を打ち出した。多分に政治的な発言なので額面通りに受取ることはできないが、近年、米国をはじめとする先進諸国が真剣に水素エネルギーの研究開発に取り組みだしたことは間違いない。2003年11月には「水素経済促進国際協力(IPHE : International Partnership for the Hydrogen Economy)」会議が米国で開催され、15ヶ国の先進各国とEUの代表らが参加した。そして、水素生成技術及び燃料電池の実証的研究開発とその商業利用を促進し、各国共通の評価基準を策定して価格競争に基づく水素経済の構築を目指すことで合意、水素の生成、輸送、貯蔵、利用における国際協力の基盤となる枠組文書に署名調印をおこなった。
 燃焼すると酸素と結合して水になり、燃焼効率もきわめて高い水素は、夢のクリーンエネルギーとして大きな注目を浴びてきているが、実用化を阻む障壁は高く、いまだその克服には至っていない。最近、各国において実用化のための先導試行や実験室レベルの新研究が進み、明るい展望も開けつつあるが、解決を要する技術的な難問はなお尽きない。

理想には遠い水素生成技術の現状

理想的なエネルギー源とされる水素だが、水素は直接にエネルギーとなる化石燃料などのような一次エネルギー源ではない。自然界の水素は、直接に燃焼可能な純分子として存するのではなく、他元素と結合した化合物の状態で存在している。したがって、何らかの外部エネルギーを与えて効率よく水素化合物を分解し、大量の水素分子を生成してやらないかぎりエネルギー源とはなりえない。その意味では水素は二次的なエネルギー源にすぎないのだ。生成に要する外部エネルギーの供給コストが生成された水素の生み出すエネルギー価より大きいようなら、水素経済社会の実現など夢のまた夢ということになる。水素エネルギー社会への転換には低コストでの効率的な水素生成技術の開発が不可欠なのだ。

現在、世界の水素生産量は年間約5000億N立方メートル(Nはノーマルで、0℃、1気圧のもとでの気体の体積を意味する記号)で、その97%は天然ガス(メタン)やナフサなどの化石燃料から生成されている。水蒸気改質法、部分酸化法、自己熱改質法などの生成法があるが、実際には安価で実用的な天然ガスの水蒸気改質法が中心となっている。水蒸気改質法とは、触媒を充填した反応容器のの中で天然ガスと水蒸気とを反応させる方法で、その反応の過程で天然ガスの水素原子が分離して水素分子となると同時に、副産物として二酸化炭素が生成される。残念ながら、この水素生成法は将来的には期待できない。今日の水素の用途は石油精製、アンモニアやメタノールの合成などに限られているが、汎用の燃料電池や燃料電池車の普及に伴い先々水素の急激な需要増大が見込まれる。そうなった場合、2020年頃には生産量がピークに達すると予想される天然ガスは、価格が高騰するばかりでなく、近い将来、枯渇の危険にさらされる。しかも、天然ガスの水蒸気改質法で大量の水素を生成した場合、同時に大量の二酸化炭素が生じるから、地球温暖化を促進してしまうことになる。

もっともクリーンな水素生成法はいうまでもなく水の電気分解なのであるが、電力自体のコストが天然ガスの4~5倍もする上に、エネルギー変換効率もよくはなく、アルカリ水電解法でも1N立方メートルの水素を製造するのに約4kWhの電力を消費する。フッ素樹脂系イオン交換膜を電解質に用いる「固体高分子電解質水電解法」や、1000℃前後の高温で水蒸気の電気分解をおこなう「高温水蒸気電解法」などが研究されているが、電力コストの低減化には自ずから限界が伴う。そこで、電気分解法を促進する場合には、太陽、風力、地熱、水力といった自然力によって発電される電力利用を考えることになる。カナダ原子力公社などは、過渡的な方法として、それらの自然力による発電と原子力発電による電力を組み合せ利用する水素生成プロジェクトを立案もしているようだ。いずれにしろ、電気分解法の場合、水素は「エネルギーを直接生み出す一次物質」としてではなく、「地域性や気候の様態、季節、時間帯などによって大きく左右される自然エネルギーを一時的に蓄積し、それらを効率的に再利用するための媒体」としての二次的機能を委ねられることになる。

カリフォルニア州エルセグンドーでは、その先導的な役割を担って、世界初の太陽光利用の水素製造施設が操業を開始している。地元環境団体クリーン・エア・ナウとゼロックス社との共同事業で、カリフォルニアのハイテク企業ソーラー・エンジニアリング・アプリケーションズ社設計の高性能太陽光発電システムで生み出された電力をカナダのエレクトライザー社製の電解装置に供給し、水素の生成をおこなっている。一日につき標準状態で1500~2000立方フィートの水素が生成され、除湿後に特殊な方法で圧縮、乾燥、貯蔵されている。同地にはすでに水素燃料スタンドが設置され、フォードレンジャー社製の改造トラックなどに燃料用水素が供給されている。また、米国エネルギー省によると、風力発電のコストが近年下がり続けており、1kWh当たり1.5セントまでコストダウンするようなら、風力発電利用の電気分解装置が生成する水素はガソリンに負けぬ競争力をもつという。ここ数年、世界の風力発電量は年率28%の伸びを見せており、その電気エネルギーを水素エネルギーに変換すれはクリーンエネルギーの実現に大きく近づくというわけだ。ただ、大規模な太陽光発電所や風力発電所の設置には諸々の制限が伴うため、現段階では、それらはあくまでも補助的なエネルギー源としての役割を担うものと考えるのが妥当だろう。なお、原子力発電と風力発電とを併用すれば水素1キログラム(ガソリン3.8リットルに相当)あたりの生成コストは2ドルになるというカナダ原子力公社の研究者のレポートもあるが、原子力に依存するかぎりエネルギー問題の根本的な解決にはならない。

英国のBP(British Petroleum)社は、水素エネルギーへの関心が急速に高まっているカリフォルニア州ロサンゼルス地区に、10億ドルをかけて水素発電所を建設中である。この発電所は2011年に操業開始の予定で、同地区の32万5000世帯に電力を供給する計画だ。それだけの電力を生む水素エネルギーは、のべ何百万台分もの燃料電池車の動力に相当する。発電に要する水素は、石油コークスを取り出し、それを水素原子と炭素原子に分解して生成するという。その際生じる二酸化炭素はのちに処理するために一時的に地中に戻して保存する。二酸化炭素を油井に注入することによって通常以上に多量の石油を取り出せるし、大気への温室効果ガスの排出量減少にも役立つとBP社は強気である。ただ、これまた、化石燃料依存のプロジェクトだし、地中の二酸化炭素の処理問題も残るから、根本的なエネルギー問題の解決策にはなりえない。

過渡的なものではあるが、ミネソタ大学の研究チームによるエタノールを用いた水素生成法の開発は興味深い。トウモロコシを原料にすれば大量にエタノールを生産できる。図らずもトウモロコシの穂にそっくりの形をした新水素生成装置でそのエタノールを処理すると、手軽でしかも効率的に水素分子を製造できる。エタノールは6個の水素原子と2個の炭素原子、1個の酸素原子から成っている。研究チームはそれに水素2原子、酸素1原子からなる水の分子を加えて分解処理する装置を開発、1分子のエタノールと1分子の水から4分子の水素を生成することに成功した。エタノール1分子からは本来3分子の水素しか生成されないが、この処理装置では水のもつ2個の水素原子も1分子の水素となって放出されるため、従来に比べて水素1分子、すなわち33%増の生成効率アップとなった。二酸化炭素は出るものの、この新装置はきわめて簡便かつ安価で実用性も高い。ただ、最大の問題は、トウモロコシの生産量に限りがあることだ。世界で生産されるすべてのトウモロコシをエタノール化し水素生成に向ければ、石油エネルギーの40%くらいは肩代わりできるという予測はあるが、食料や飼料としてその大半が消費されてしまうので、水素生成に転用できる余剰分は一部にすぎない。

新技術にみる一筋の光明

理想の水素生成技術の開発は困難だが、最近になって一筋の光明が見えてきた。堂免一成・東京大学教授らの研究グループが可視光線をあてると水を水素と酸素に分解する新たな光触媒を発見、その研究論文が最近の英科学誌ネイチャーに掲載された。光触媒等の光電気化学研究の盛んな日本では、同種の光触媒が開発されていたが紫外線のみに反応するものがほとんどだった。、窒化ガリウムと酸化亜鉛の混合粉末に補助触媒を加えると、可視光線による水の分解効率が10倍ほども高くなるというのが論文の要旨で、堂免教授らによると、新触媒のメカニズムの解析次第でさらに分解効率を高められる可能性があるという。その光触媒の現時点での水素生成効率は実用レベルにはまだ遠いが、実用化へ向かって各方面から大きな期待が寄せられている。

米英においても、光電気化学による水素生成技術の研究が進んでいる。英国ハイドロジェン・ソラー社と米国アルテア・ナノテクノロジーズ社は、紫外線、可視光線のいずれにも反応するナノテク利用の二層構造光触媒「タンデム・セル」を開発、効率的水素生成の実験プロジェクトを遂行中だ。その表面を30ナノメートル以下の酸化金属粒子を含む層で覆われたタンデム・セルは、現在8%の効率で太陽エネルギーを水素エネルギーに変換できるようになっている。エネルギー変換効率が10%まで向上すれば化石燃料との競合が可能になるという。両社は近々実用レベルのデモシステムを完成させる意向のようだ。この技術はスイス連邦工科大学とジュネーブ大学の研究を発展させたもので、家庭向け製品の開発をも睨んでいる。いずれにしろ、将来的には光触媒利用の生成システムが有望とされており、GE社をはじめとする米国有力各社も政府から助成金を受け、ナノテクを活用した光電気化学物質の研究開発に取り組み始めた。水素の生産コストを現在の四分の一から十分の一程度に落とすのが当面の目標であるという。光電気化学反応においては化学物質を常時水に浸しておかねばならないため、それらの腐食劣化をどう防止するかが問題だ。

カリフォルニア大学の植物生理学者アナスタシオス・メリス教授らは、光合成によって水素を生み出す「クラミドモナス」という単細胞緑藻の変異株の培養に成功した。この変異株の細胞中のヒドロゲナーゼ酵素が触媒となって水素生成反応を起こすのだが、この酵素は酸素濃度が高くなると機能を停止する。そのため、研究者らは遺伝子組換え技術によって副産物の酸素の出る細孔を閉じ、水素の生成量を増大しようと考えている。公表されてはいないものの、この変異株の太陽光変換効率はすでに10%に達しているようで、同変異株の大量培養と水素生成機能やその持続性の向上が今後の課題となっているという。また、クラミドモナスのそれより高効率のヒドロゲナーゼ酵素をもつ微生物細胞が今後発見される可能性もある。その研究が急速に進めば、乾燥地帯に緑藻類農場を設け、そこで大量の水素が生産できるようになるのも夢ではないという。

貯蔵と運搬の問題解決の必要も

爆発性のある水素は、大量生産に成功してもその貯蔵や輸送が難しい。そこで、生成技術の研究と並行し、貯蔵技術や輸送技術の研究も進んでいる。燃料電池開発の最難題は安全で小型軽量の水素燃料タンクの設計製作だ。まだ理論的な段階だが、その解決策として現在注目されているのが、カーボン・ナノチューブやカーボン・ナノフラーレン(バッキーボール)などの特殊ナノ構造体だ。これらのナノ構造体にチタンやスカンジウムなどの金属元素を蒸着させ、それらを無数に格子状に配列したものを燃料タンク内に収蔵する。蒸着したこの金属元素はマジックテープのような働きをして大量の水素をナノ構造体内に吸着することができる。しかも、吸収された気体状の水素が安全面での懸念が生じるほど高圧になったり濃縮されたりすることはない。車の場合、理論上は、燃料タンクへの一回の水素補給で約500キロもの走行が可能になる計算だ。多少加熱してやりさえすれば容易に水素をエンジンに供給することもできるし、引火爆発の危険性もほとんどない。軽量だから水素タンクだけの輸送も容易で、汎用性もきわめて高いと考えられている。

最近では各種金属水素化物を用いた水素吸蔵合金も開発されている。水素吸蔵合金は安全性がきわめて高くコンパクトな輸送媒体であるが、その大きな重量を将来どう減少させるかが課題である。我が国の産業技術総合研究所水素エネルギーグループは、軽量な水素貯蔵材料の研究開発を進め、貯蔵量3質量%(貯蔵装置の全質量に対する吸蔵水素質量が3%)という世界最高の能力をもつ水素貯蔵材料の開発に成功している。いずれにしろ、今後20年の展開が水素エネルギー社会実現の遅速を左右することになるだろう。

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