(19)長野県御代田町――世界を翔けるシチズンミヨタ
シチズンミヨタ前川社長を訪ねる
明るい陽光と瑞々しい若緑にあふれかえる五月の佐久地方は、美しくそして爽やかなことこのうえなかった。のびやかな稜線をみせる浅間山の雄姿を北に望み、残雪に輝く蓼科山の頂を南に仰ぐ佐久一帯の風景はいつ見ても心安らぐものだった。佐久地方の一角を占める御代田町は火口から10kmほど離れた浅間山の南側山麓に位置している。世界に知られるシチズングループの中核企業のひとつシチズンミヨタはその御代田町の中心にあった。この日シチズンミヨタを訪ねたのは、同社取締役社長の前川祐三さんに会い、技術研究一筋の人生にともなうその苦労譚を伺おうと思ったからだった。通された社長室の窓の向こうには、おのれの存在を誇示するかのごとく、浅間の大きな山影がすぐそばまで迫っていた。飾らぬお人柄ゆえに社内外における人望は大きいと聞いてはいたが、実際にお会いしてみた前川さんは、想像していた以上に温厚でユーモア精神に溢れる方のようであった。
1940年東京生まれの前川さんは慶応大学工学部を卒業するとシチズン時計に入社した。幼少期から精密機械類が大好きだったこともあって、その象徴ともいうべき時計工業に憧れシチズンに入ったのだそうだ。新入社員研修時には昔ながらのメカニカル腕時計の組立て実習などに参加したが、テンプ(ヒゲゼンマイ)を組込んだ途端、命を吹き込まれてもしたかのように動き出す時計を目にし、心から感動した想い出はいまだに忘れられないという。ただ、時計業界は、当時隆盛をきわめていたメカニカル時計の時代から電子時計主流の時代へと移ろうとしていた。そのため、前川さんが配属されたのはメカニカル時計の製造部門ではなくIC技術研究の部門だった。筑波の電総研に出向し、直接には目に見えない世界の現象相手に技術の研究開発に勤しむ日々もあった。途中3年ほど時計の精密部品製造技術を継承する工機部に在籍はしたものの、低消費電力ICや超小型実装技術の研究開発が前川さんのもっぱらの仕事であった。
窮極の腕時計開発
やがてシチズン時計の取締役として所沢事業所長兼技術研究所長に就いた前川さんは、所員を指揮して各種の難題と取組むことになった。そんな難題のひとつは以前から前川さんの主要研究テーマにもなっていた「究極のアナログ型腕時計開発」であった。窮極のアナログ型腕時計とは、「購入後は一度もバッテリー交換をしなくても、物理的に壊れぬかぎり動き続けること」、「その間なんの修正をほどこさなくとも正確無比に時を刻み続けること」、「光の当たらぬ暗所に不使用のまま長期間置かれていたとしても、取り出した途端に作動し正確な時刻を表示すること」という三条件を満たす腕時計のことであった。
わずか1マイクロワット(100万分の1ワット)の電力で動く水晶振動子式腕時計などは窮極のエコロジー商品ではないかともいわれた。微小な水晶振動子に電圧を加えて発振させ、その正確な振動が生み出す時刻信号をIC、ステップモータ、歯車等を介して時分針や秒針の動きに変えるプロセスを1マクロワット前後の電力で賄っていたからだった。だが、年間約12億個も生産される腕時計の寿命が約3年ほどだとすると36億個もの時計が常時出回ることになり、その場合に電池の寿命を約2年とすると毎年約18億個もの電池が消費されるはずだった。そのほかにそれら電池類の廃棄処理問題もあったから、とても窮極のエコロジー商品だなどとはいえなかった。そこで、前川さんらはまったく電池を使わず、外界から取り込んだエネルギーだけで時計を動かすシステムの開発に取組んだ。腕の表面温度と外気の温度差が1度以上あるとそれを駆動エネルギーに変換する温度差発電時計、腕の動きをエネルギー源にした揺動発電時計、気温や気圧の変化さらには空中電波をエネルギー源にした時計などが研究され一応の実現はみたが、とても採算が合うようなものではなかった。そして、最終的に残ったのは光エネルギーを用いるソーラー・セル式腕時計だけだった。ただ、腕時計などに使える小型ソーラー・セルは未開発だったので、自然光の5%から10%の明るさ、あるいは一定以上の明るさをもつ白熱灯や蛍光灯の光のもとでも発電や充電をおこなえるような高性能小型ソーラー・セルの研究が進められた。また、腕時計のソラー・セルは文字盤の下に組み込まれることになるため、必要量の光が透過できる透過性文字盤も並行して開発された。ソラー・セル・ウオッチの最大の欠点は、長時間裏返しにされたり、袖の中に隠されたり、引出しや箱の中などに置かれたりした時、電力不足で止まってしまう可能性があることだった。そこで、非常時に備えて二次電池を組込み電力を貯えるようにするとともに、極力電力消費を抑える独創的なパワー・セーブ・システムが考案された。アナログ型腕時計の電力消費の75%は秒針の動きによるものだった。そのため、15秒以上光が当たらない場合には秒針を止めで電力消費を通常の25%に抑え、さらに2~3日以上光が当たらないようなら時針分針ともに止めて通常の5%程度に電力消費を抑制するように工夫した。もちろんその間も水晶振動子やIC部分は正常に作動して時刻をカウントしており、再び光が当たるとほぼ瞬間的に時分針や秒針が正しい位置に移動し、何事もなかったかのように再始動するという巧妙な仕掛けも開発された。エコ・ドライブと名づけられたこのパワー・セーブ・システムのお蔭で、10年間も不使用のまま暗所に放置されていても、取り出した途端に再起動して正確な時刻を示す腕時計が誕生した。正確さに関しては、年間誤差10秒内という高性能水晶振動子使用の時計がすでに生産されていたが、より精度を高めるため標準時刻を発信する電波を受信し自動的に時刻修正をおこなうシステムが研究された。内蔵する高感度小型受信器で毎日午前2時に電波を拾い、もしそれに成功しなければ午前3時に再度電波を拾って自動的に時刻修正をおこなう。もし二度とも受信に失敗した場合は翌日に同様のことを繰り返しおこなうというもので、このシステムの導入により理論上は30万年にわずか誤差1秒程度という正確な時計の生産が実現した。こうして開発された「究極のアナログ型腕時計」は既に市販されているが、そんな研究開発の舞台裏や、なんとも奇妙な針の動きなどはほとんど知られていないようだ。前川さんの腕時計を借り、その表面を30秒ほど覆い隠してから手を離すと、なるほど秒針が素早く動いて正しい位置に移動し、何事もなかったかのように正確な時を刻み始めた。
世界に飛翔するシチズンミヨタ
シチズン本社の取締役を経て5年前シチズン・ミヨタの社長に就任した前川さんの任期はほどなく終る。大都会ではなく自然と人情の豊かな佐久地方がシチズングループでの最後の活躍の舞台となったのは、この人にとって願ってもないことだったのかもしれない。技術畑一筋に見えはするが、前川さんは長年にわたる野鳥の観察をはじめとし、各種動植物の観察や観賞を趣味にしてきた大の自然愛好家でもあるからだ。自宅のある東京には戻らず、このままずっと佐久地方で暮したいというその言葉は本音であるに違いない。前川さんは社長業務に勤しむかたわら小諸にあるクッキングスクールに通い、そこの先生が驚くくらいに腕を上げて、全国料理技術検定協会から「中級料理技術検定証」を授与されてもいる。「仕事を離れたら、これまでの経験を活かし、子供達に科学技術の世界の面白さを解りやすく伝えるような仕事をしてみたい」と夢を語るのもこの人らしい。60歳でシチズンの時計生産本部長になった時、前川さんは何ヶ月間も通常業務終了後に社内組織の時計学校に通って若者らと共に学び、長年の念願だった一級時計修理技能士の資格を取得した。
ICが「産業の米」といわれるのに対し水晶振動子は「産業の塩」といわれている。水晶振動子はあらゆる家電製品や電子機器類に搭載され、電流や電波の周波数の制御に用いられる必要不可欠な部品だからだ。水晶振動子は低周波振動子と高周波振動子に大別されるが、低周波振動子のうち時計用などの32kHz部門の生産で、前川さんの率いるシチズン・ミヨタは世界の35%ものシェアを有している。しかもミヨタが造るのは厚さ0.1mm、最小幅0.3mm、長さ3mmという世界最小レベルの振動子だ。携帯電話のような通信機器には極端な温度変化が生じても周波数を一定に保つ温度補償型水晶発振器が必要だが、その分野の技術でもミヨタは世界の最先端を走っている。またミヨタが独自のノウハウをもつ特殊な精密加工技術は映像機器用の小型ビューファインダーの生産に活かされ、一時はその分野で世界の80%ものシェアを占めるにいたった。この技術は近年さらに発展し、携帯電話搭載の超小型カメラ技術や各種液晶画面用に均一かつ安定した光源を提供するバックライト技術となって世界に大きく貢献するところとなった。さらに、ミヨタは、従来のような2枚のガラス板間に液晶物質を注入するのではなく、ガラス板とシリコン板の間に液晶物質を注入して造るLCOS(Liquid Crystal On Silicon=反射型液晶素子)の量産化にも世界に先駆け成功した。LCOSを用いた強誘電性液晶マイクロディスプレイは映像が明瞭で残像を引くこともないため、リア・プロジェクション技術(マイクロディスプレイのシャープな画像を光学的に鮮明に拡大する技術)を用いた高品位大型テレビの心臓部として需要が急増中である。だが、現在のところ世界でLCOSを量産できるのはシチズン・ミヨタを含む2~3社だけなのだという。微小な水晶振動子生産技術のような精密加工技術がなければその実現は困難だからであるらしい。
絶滅危惧種の蝶の保護にも一役買う
ミヨタの本社から20kmほど離れた東御市北御牧にはクリーンルームを完備した事業所がありそこが映像関係製品の開発生産拠点となっているが、自然が大好きな前川さんの意向もあって、この北御牧事業所は、天然記念物で絶滅危惧種に指定されているオオルリシジミチョウの保護にも貢献している。羽の表が淡青色をした小型蝶オオルリシジミは、現在では阿蘇山周辺のほか安曇野の一部とこの北御牧にしか生息していない。地元では「オオルリシジミを守る会」が結成され、卵から蛹を経て羽化にいたるまでの育成保護に努めるとともに、貴種蝶を狙うマニアックなハンターらの密猟防止に尽力している。この蝶の食草はクララというマメ科の多年草に限られるのだが、近年クララが激減している。そのためミヨタタの北御牧事業所では広い構内のあちこちでクララを育成保存しオオルリシジミの繁殖に一役買うとともに、同蝶保存会員の協力のもと、6月頃の羽化期に近隣有志や地元の小中学生などを集めて美しく可憐なこの蝶の研究観察会などを開いている。クララの呼称は漢方薬のひとつで根を噛むと目が眩むほどに苦い眩草(くららぐさ)の名にちなむものらしい。ほどなく仕事の第一線から身を引くという前川さんは、我が子の成長を見守るかのように、これからもオオルリシジミの成育と飛翔とを心から願い続けていくことだろう。