夢想一途バックナンバー

第11回 星闇の旅路

(6)闇に浮かぶ四個の妖光

室蘭を訪ねた翌日、私は、白老町、苫小牧あたりをうろついたあと、支笏湖畔を経て洞爺湖方面に出た。数々のホテルや旅館、土産物屋などが建ち並ぶ洞爺湖南岸一帯の自然には、すっかり人手が加わってしまっているが、訪れる人の少ない洞爺湖の東岸一帯には、樹林帯をはじめとする豊かな自然がいまもなお十分に残されている。私は、その東岸沿いの静かな車道を、湖心に浮かぶ中の島を左手に見ながら走り抜け、洞爺湖の北に位置する洞爺村へでた。

行く手に大きく迫る秀麗な山影は蝦夷富士の異称をもつ羊蹄山にほかならない。標高1,893メートルの特徴ある山容は、このあたりではひときわ目立つ。しばし路肩に車を停めて車外に降り立った私は、斜陽を浴びてほのかに染まるその頂をしげしげと眺めやった。たしかに山全体の形状は羊の蹄によく似ている。

洞爺村から留寿都村を経て真狩村、ニセコ町、そして日本海に面する岩内町へと抜けるこのルートは、私が大好きなドライブコースのひとつである。なかでも留寿都村から羊蹄山麓の真狩村にかけては、牧草地のほか、トウモロコシ、ジャガイモ、テンサイ、メロン、ウリ、カボチャなどの作物畑が果てしなくうねり広がり、いかにも北海道らしい農村風景が展開している。富良野の麓郷一帯や北見、帯広などの平野は、北海道を象徴する美しい農業地帯として巷に名高いが、この羊蹄山周辺の景観も実はそれらに少しも劣らない。ただ、観光のメインコースから多少外れていることもあって、訪れる人はそう多くない。

一呼吸おいてから再び車のハンドルを手にした私は、爽やかな大気に身を委ねながら、緑の沃野を切り分けるように疾走した。北の大地の謳う賛美歌が心の耳に高らかに響きわたり、柄にもなく厳粛な気持ちになってくる。

いまでこそ、この地はどこか異国の風情をも偲ばせる平和で豊かな広々とした畑作地帯となっているが、ここに至るまでの礎を築いた開拓者たちの苦労は並み大抵のものではなかったことだろう。それを思うと、こうして快適な旅を続けながら雄大な風景を堪能している自分が申し訳ないような気分にもなってくる。だが、そんな歴史の唯一の証人、羊蹄山は、ただ無言で聳え立つばかりで、もはや何も語ろうとはしない。

歌手の細川たかしの出身地でもある真狩村の中心部を過ぎ、羊蹄山南面にもろに突き当たるまで直進した私は、そのあと、西側山麓を巻くようにして走り、ほどなくニセコ町に出た。冬はスキーのメッカとして名高いニセコも、夏場は閑散とした感じで、行き交う人もきわめて少ない。JRのニセコ駅前をいっきに通過し、ニセコ連峰越しに岩内方面へと通じる道に入って高度を上げると、ほどなく、右手にニセコアンヌプリが迫ってきた。後方を振り返ると、夕陽に映えて大きく浮かぶ羊蹄山の姿がひときわ美しい。

大湯沼で知られる湯本温泉を過ぎ、チセヌプリとニトヌプリの鞍部に位置する原生林の美しい峠路にさしかかる頃には、陽はその姿を隠すべく、大きく西の山の端に落ち傾いた。ほどなく峠を越え、岩内側に向かって少し下ると、風景が一転し、夕闇に沈む直前の日本海と積丹半島の一部が眼下はるかに広がりはじめた。そして、民家の明りの点々と灯る岩内の町に近づくにつれて黄昏は深まり、茜から濃い藤色へと彩りを変えた西空では、宵の明星がこれみよがしに己の存在を誇示しにかかった。あてどもない旅路にあって、一瞬胸の奥を名状し難い旅愁がよぎるのはこんなときである…。

さて、どこまで走ろうか…どうせ今夜は車中泊だから、車を駐めるなら、どこか静かな浜辺か岬がいいな…そう思いながらチラリと地図に目をやった私は、とりあえず積丹半島の突端、神威岬のあたりを目指してみることにした。

岩内の町を過ぎ、積丹半島の西側つけ根付近にあるラーメン屋で簡単な夕食を済ませたあと、潮騒の聞こえる半島西側の海沿いの夜道を走り、まず神恵内に出た。神恵内から海伝いに神威岬方面に抜ける道路はまだ未開通なので、やむなく、半島中部を横断し、いったん石狩湾に面する古平町に出たあと、半島東側を回って神威岬に向かうことにした。

神恵内から古平への道はかなりの山道である。時刻がらもあってか、他に車はまったく見あたらない。ちょうど山深い横断路の半ばあたりにさしかかった頃だったろうか、突然前方の闇の中に異様な光が浮かびうごめくのを目にした私は、ギョッとして反射的にブレーキを踏み込んだ。火球や人魂まがいのものにはこれまでも何度か遭遇したことがある。だが、その妖しい光の色はそれらとも違う。

目を凝らしてフロントガラス越しに見やると、光の数は全部で4個…その正体はよくわからないが、50メートルほど先の路上の路面から3・40センチのところにほぼ静止した状態で、何かが、赤緑の大きな宝石を思わせる不思議な輝きを発している。ときおりそれらの光がかすかに動くと、なぜか、光の色が赤味を増したり、逆に緑色を増したり、虹色に変わったりもする。

怖いもの見たさの気分も手伝って、私は、ジワーッとアクセルを踏み込み、徐々に車を前進させた。その間にも4個の妖光は微妙な色合いの変化をみせる。その光まであと14・5メートルほどに距離を詰めたとき、急に4個の光は2個ずつ2つに分かれて動きだし、また少し距離を開いたところで静止した。

私はライトつけたままにしていったん車を停め、懐中電灯を手にしてそっと車から降りると、暗めの路肩脇添いに光のほうへと忍び足で歩み寄った。そして、いきなり懐中電灯を点灯し、車のライトとは異なる角度から妖しい光あるあたりを照らしだした。遠めの車のライトと強力な懐中電灯の光の交差するあたりに浮かんだのは、茶色のつややかな体毛に包まれ、足部だけはさらに濃い茶色をした、細長い体型の2匹の動物だった。ご存じキタキツネである…。

なんと、妖光の正体は車のライトを反射して輝くキタキツネの目だったのである。夜遠くから光を浴びせると、目だけが異様に輝いて見えるのに対し、躰のほうは光を吸収してはっきり見えない。その結果、目だけが妖光を放ちながら浮かび上がるというわけだった。2匹でこうだから、キタキツネが10匹も群なしていたら、きっと壮観なことだろう。

この晩は、神威岬の少し手前の野塚という小集落のあたりの海沿いの道でもう一度キタキツネに遭遇した。やはり赤緑に輝く光を前方に見つけたのがきっかけだったが、今度は私も驚かなかった。懐中電灯をもって近づくと、意外なことに、このキタキツネはキャイーン、キャイーンという甲高い鳴き声をあげて大きな玉石のころがる磯へと飛び降り、軽がると石の上を跳ねまわった。そして、ひときわ大きな石の上に寝そべると、どこか小馬鹿にしたような様子で、懐中電灯をかざす私のほうにその光る両目を向けてきた。

そのあと、私は、神威岬の少し西側に位置する沼前というところまで車を走らせ、そこで旅の一夜を明かすべくエンジンを止めた。夜の海の沖合い遠くには、最盛期を迎えたイカ漁のものとおぼしき漁火が明々と灯り、ふと仰ぎ見た大空には、天の漁火とでもいうべき美しい星々が、天の川をはさみながら、なにごとかを囁き合うようにしてキラキラと輝いていた。

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