(4)室蘭絵鞆半島
製鉄で名高い室蘭は、思いのほか明るいイメージの都市である。とくに、室蘭港の南西および南東側の外壁を形成する絵鞆半島一帯の市街地には、工業都市特有の大気の重さというものがまったくと言っていいほど感じられない。
半島の突端は、やはり絵鞆の二文字に岬をつけ、絵鞆岬と呼ばれているが、エトモという言葉は突き出たものの頭を意味するアイヌ語のエンルムが転訛したものだそうである。絵鞆半島の外海側は噴火湾に面して切り立ち連なる断崖になっており、外海側から内海の室蘭港側に向かって半島全体は緩やかな傾斜をみせている。そして、その斜面上に市街地が広がったかたちになっている。
これまで私は、有名な地球岬の付近をのぞいて、この半島の断崖側に踏み入ったことはなかったので、今回は絵鞆岬を外海側にまわってその景観をこの目でじっくりと堪能したいと考えた。絵鞆岬から断崖よりに続く無舗装の道は、意外にも深く静かな樹林に覆われて、人の気配はまったくない。外海から吹き上げる霧まじりの涼風に運ばれてくるこころよい潮騒と、遠くで騒ぐ海鳥の声だけが、旅心に語りかけてくるすべてだった。空気も澄んでいてなんとも心地よい。
樹林帯を縫ってしばらく進むと、ふいに視界が開け、それと同時に吹き上げる風の勢いが急に強まった。眼下の切り立った断崖の基部に太平洋の荒波が激しく打ち寄せているのが見える。真っ白に泡立つ磯波の少し沖合に目をやると、陽光をいっぱいに吸い込んだ青潮がエメラルドグリーンに輝いている。そして、ときおり海面のあちこちから湧き立つ霧が、その光景全体をいっそう神秘的なものに演出して見せてくれていた。そこは銀屏風と呼ばれる景勝地だったが、こんな素晴らしい場所が室蘭の中心部からすぐのところにあるなどとは正直なところ思いもかけぬことだった。
そのあと再び樹林のなかに入り、ハルカライモという別の景勝地を経てなおしばらく進むと、ひとわ明るく開けた感じのマスイチ展望台へとでた。この展望台一帯は大変整備が行き届いていて、市の中心部方面から舗装車道がじかにのび、それ相応の駐車場も完備している。それなのに、この手の展望台にはつきものの、こうるさい土産物屋やお茶屋などが一軒も見あたらない。地球岬などと違って人影もまばらで、それはとてもいい感じの展望台だった。
この展望台からの眺望もまた旅の心を満たしてくれるに十分なものだった。左手には、チャラナイ浜から地球岬へと連なる起伏に富んだ海岸線が弧を描いて遠く延び、正面の海中にそそり立つ奇岩や鋭く大きな影を見せて迫る右手の岩山では、無数の海鳥が羽を休めたり、甲高い声で鳴きながら激しく飛び交ったりしているのが見える。そして、海の色はどこまでも青かった。
軽く汗をかきながら、右手の一段と高いところにある人気のない展望台にのぼると、ニコン社製の高性能望遠鏡が備え付けられているではないか。しかも、驚いたことに、この望遠鏡は無料で開放されていた。観光客相手のこの手の望遠鏡類は、コインを投入し一定時間だけのぞくものと相場はきまっているのだが、ここの望遠鏡だけは、解像度も倍率もきわめて高いうえ、何時間のぞいていても只という訳である。なんとも粋な計らいにすっかり感激した私は、室蘭という土地柄をこれまでになく温かいものに感じはじめたのであった。
案内板にある地名解説によれば、「マスイチ」とは「ウミネコの家」という意味のアイヌ語で、東蝦夷日記には、「クチバシとミズカキの赤き鳥が棲むゆえ名づく」と記されているという。すると、前方の切り立った岩山に群をなして棲息するのはやはりウミネコなのか…そういえば、鳴き声も猫のそれにどこか似ている…。
私は、確認のため、望遠鏡の鏡筒をゆっくりと岩山のほうへ向けてみた。鳥たちよりもさきに視界に飛び込んできたのは、急峻な岩肌のあちこちで風に揺れる濃い黄色の花々だった。輪郭のはっきりしたラッパ状の形状からするとエゾカンゾウに違いない。また、岩山の中程にかなり大きな集落をなして咲いている赤紅色の花は、潮風の好きなハマナスのようだ。
岩山の上部に焦点を合わせると、鳥たちの姿が視界のなかに浮かび上がった。海へ向かって慌ただしく飛び立とうとするもの、逆に、いま着地しようとしているもの、岩陰でじっと体を寄せ合い羽を休めているもの、さらには首を立てクチバシを宙に向けて甲高い鳴き声を発しているものなど、鳥たちの様子が手に取るように観察できる。望遠鏡に映るその像がきわめて鮮明なこともあって、いつまで見ていても見飽きない。私はすっかり嬉しくなってしまったのだった。