夢想一途バックナンバー

第36回 人間ドラマの舞台

(18)葛野川(かずのがわ)発電所探訪記

上日川ダムでの意外な発見

昨年2月、武田勝頼終焉の地の取材のために山梨県大和村の日川渓谷一帯を訪ねたことがあった。その折には天目山栖雲寺のある木賊、さらには日川渓谷最奥の集落牛奥を経て、渓谷のより上流部の温泉宿嵯峨塩館(塩山市)まで遡上した。だが、折からの積雪もあって、長兵衛小屋経由で塩山市裂石方面へと抜けるその先の林道は通行不能だった。そこで今年の4月半ばあらためて大菩薩嶺(2057m)の南面に端を発する同渓谷の林道遡行を試みた。春たけなわの時節柄とあってその日は万事が順調で、日川渓谷最奥部を快調そのものに走り抜け、雄大な山岳風景を楽しみながら長兵衛小屋のある上日川峠(1590m)上に登り詰めた。そしてそのあと八ヶ岳や南アルプスの峰々を遠望しながら塩山市裂石方面へと下った。この山岳ドライブそのものも素晴らしかったが、なんと言っても、その日最大の収獲は途中で何気なく立寄った上日川ダム(大菩薩湖)での思いがけない発見だった。

東京電力が建設したこの上日川ダム(塩山市)は、高さ87m、長さ494mの中央土質遮水壁型フィルダム(ロックフィルダム)と呼ばれるもので、ダム本体の中央部を遮水性の高い粘土質の土で固め、その外側に大きな岩石を積み重ねて高水圧を支える仕組みになっている。周辺には発電所らしいものも見当らず湖面もそう広くはなさそうだったので、このダムの堰堤上に立った時には、生活用水や農業用水の確保か河川の水量調整がその目的なのだろうと思ったほどだった。だが、さして期待もせずにダム見学者用の案内パンフレットに目をやった私は、思わずエーッと驚きの声を発したのだった。満水時には湖面の高さが1481mになるというこの上日川ダムは富士川水系に属している。だから私は、このダムの水は日川から笛吹川に流入し、さらに富士川に合流して駿河湾へと流れ出るものだと思っていた。ところがなんと、この上日川ダムの水はダムの東側に聳える小金沢山(2014m)の直下に掘られた導水トンネルを通って東方8.2kmも離れたところに位置する相模川水系葛野川ダム(姫松湖)に流れ込んでいるというのだ。大菩薩嶺(2057m)から小金沢山(2014m)、牛奥ノ雁ガ腹摺山(1985m)、黒岳(1988m)と南へ延びる尾根筋は富士川水系と相模川水系とを分ける境界となっている。だから、相模川水系葛野川ダムの水は相模湾へと流入することになる。わざわざ険しい尾根筋を東西に貫き異なる水系を繋ぐ長大な地下導水トンネルが設けられているとすれば、それなりの理由が存在していなければならない。葛野川ダム(大月市)のほうは高さ105m、長さ264mのコンクリート重力式ダムで満水時の湖面の高さは744mであるというから、上日川ダム湖面との計算上の水位差(落差)は737mになる。なんと、その上下二つのダムの大きな水位差を利用して大出力の水力発電がおこなわれているというのである。しかも、その葛野川発電所は、上日川ダムとは尾根筋をはさんで反対側の小金沢山東面山腹の地下500mのところにあるというのだった。都心から近いところにそんな特殊な大発電所があることなど、これまでまったく知らなかった。そこで、すぐに東京電力(TEPCO)葛野川PR館(大月市賑岡町、TEL 0554-90-8600)に葛野川発電所の見学取材を申し込み、現地へと案内してもらうことにしたのだった。

葛野川発電所は巨大バッテリー?

TEPCO葛野川PR館は奇勝として名高い「猿橋」から車ですぐのところにあった。見学には午前9時からと午後1時からの2コースがあり見学所要時間が2時間半とのことだったので、4月末の日曜午後のコースを選んだのだが、この時の見学者は私を含めて3人だけだった。見学は無料で、葛野川発電所や葛野川ダムのある現地までは東電の専用バスで案内してもらえるとのことだった。先導役に立ってくださったのは葛野川PR館副館長の斉藤義幸さんで、その案内解説は明解かつ的確そのものだった。出発前のPR館展示資料の解説や現地に向かうバスの中での説明で我々は葛野川発電所の発電システムの概要を知ることができた。世界最大の有効落差を誇るというこの揚水式水力発電所のもつ役割や発電のシステムは大変興味深いものであった。小金沢山の直下を貫く内径8.2m、厚さ55cmのコンクリート製導管路によって上部ダム(上日川ダム)からほぼ水平方向に3.1kmほど導かれた水は、やがて2本の導水管に分割され、さらに長さ1.9km余の4本の水圧管路に分けられる。内径2.1mのそれら水圧管路は途中から急角度で曲り落ちており、導水は流路傾斜角52.5度、有効落差714m、各水圧管の毎秒流水量70tという驚異的水流となって地下発電所の水車ポンプ(ランナー)へと落下する。この水圧管路には1㎡当たり最大1200tもの水圧がかかるため、厚さ9.4cmの特殊な高張力鋼板が用いられているという。地中深くに掘り開かれた高さ54m、幅34m、長さ210mの空洞中の地下発電所には、40万kWの発電電動機(発電機と電動機の両機能をもつ機械)4基を設置し総出力160万kWの発電ができることになっているが、現在は40万kW発電電動機2基だけが設置されている。発電に用いられた水は3.2kmの地下放水路を通って葛野川の支流土室川にある下部ダム(葛野川ダム)に放出される。

電力の需要量というものは季節によってかなり大きく変動するし、1日においても日中と深夜とではその需要量が大きく異なる。東電の資料によると、深夜には日中のピーク時の50%も電力需要量が減るらしい。また、需要最盛時などにはごく短時間に10~15%くらいの急激な需要量変動が起こるという。需要量変化に応じて発電量を調整できればよいのだが、発電のベースになっている原子力発電や火力発電、流込式水力発電(河川の一定の流れを用いた発電)などではその対応が難しい。原子力発電と流込式水力発電はメカニズム上の理由で発電量の増減調整が困難だし、火力発電は調整可能だが、電力需要の変動には迅速な対応ができない。その点、流水量調整によって発電量を増減できるダム式水力発電や揚水式水力発電、なかでも揚水式発電は急激な電力需要量の変化にも対応できる。実を言うと、現在、東京電力で最大級の能力をもつその揚水式発電所が葛野川発電所なのである。

葛野川発電所の場合、上部ダムの貯水量1147万?のうち実際に発電に使われる有効貯水量は830万?で、最大出力を維持した場合、約8時間の連続発電がおこなえ、それによって水位は21m低下する。いっぽう、貯水量1150万?、有効貯水量830万?の下部ダムでは上部ダムから流入する水によってその間に水位が26m上昇する。この発電所が実際に発電をおこなうのは電力需要ピーク時や急激な電力需要量増加時で、電力の余る深夜時には柏崎刈羽原子力発電所などから送電される余剰電力で下部ダムから上部ダムへと逆に水を押し揚げる。余剰電力はそのままでは保存できないから、水の位置エネルギーに変換して保存しようというわけだ。830万?の水を下部ダムから上部ダムに揚水するには11時間を要するという。原動機と揚水機の両機能をもつランナーは水車ポンプとも呼ばれ、発電時は水車として発電機を動かし、揚水時は電動機によって動くポンプとして機能する設計になっている。落差700m以上の水圧と毎分500回転もの高速度に耐える直径4.6mのランナーの開発には想像以上の苦労があったらしい。このシステムにおいては830万?の水を上部と下部の両ダム間で往復させるだけで両ダム合わせた総貯水量は一定に保たれる。台風や大雨で水量が増えた時は主に下部ダム側で一定量に戻るまで余分な水が放出されるが、その水もまた発電に用いられている。要するに、葛野川発電所は緊急な電力需要時に備え余剰電力を備蓄する巨大バッテリーなのである。発電所単独では採算が合わないが、発電システム全体として考えると電力コストの低減に大きな貢献をしているという。世界一の有効落差を有するため、そのぶん有効貯水量が少なくてすむのも葛野川発電所の大きな特徴だ。

地下発電所を見学する

折からの新緑の輝き匂う葛野川渓谷伝いに30分ほど走ったバスは、葛野川地下発電所へと通じるトンネル入口に到着した。ゲートが閉りシャッターが降りていて一般車の入坑は禁止されていた。地下500mのところにある発電所まで、高さ6.8m、幅5.5m、全長5kmの馬蹄型の大トンネルが続いていたが、これでさえも各種機材を搬入する大型トレーラーの通行にはぎりぎりの大きさであったらしい。50t以上の重量貨物積載車の一般道通行は深夜でなければ許可されないため、駿河湾の港から発電機類を搬入するだけでも容易でなかった。導水トンネルや放水トンネル、送電用トンネル、各種工事用トンネルを含むトンネル総延長は35kmにも及ぶという。トンネル掘削によって生じた大量の土石類は極力上下ダムの建設資材に用いるようにし、周辺の自然環境への影響を抑えるように最大限の配慮もなされた。ヘルメット着用の上で案内された地下発電所敷地はジャンボジェット機3機がゆうに納まるほどに広大なものだった。たまたま運転休止中ということで機械音が響くこともなく構内は静寂に包まれていた。奥の方に日立製と三菱製の発電電動機の上部が見えていたが、1基の重量が450tでその固定子の重量も450tあるという。残り2基は東芝製になる予定だが、現在電力需要量が頭打ちであることや、電力コスト低減への総合的判断などからその設置は保留中のようである。国内重電機メーカー3社を揃ってプロジェクトに参画させたのは、日本全体の発電技術の向上を図る狙いもあってのことだったらしい。

この場所が選ばれたのは地層が安定し岩盤が極めて強固であるからだったというが、それでも地下発電所の天井や側壁の岩盤にはPSアンカーボルトという大きな特殊強化ボルトが5000本も打ち込まれていた。現在までの総工費は3400億円にのぼり、そのうちの7割が土木工事費で占められている。固い地下岩盤中に傾斜角52.5度、770mもの斜坑を掘るなど難作業の連続で、国内ジェネコン21社の技術の総力を結集しての長期にわたる大工事だったようである。現在、この地下発電所は無人で運転されている。東電PR館そばにある駒橋制御所で完全にコンピュータ制御され、電力需要の変動に応じて必要量の発電と揚水を繰り返しているという。地下発電所の見学後に下部ダム(葛野川ダム)へも案内してもらったが、堰堤上から眺める湖面の輝きやそれを抱き囲む山並みの美しさはなかなかのものだった。下部ダムの位置が発電所の位置よりかなり高いような気がしたのでその理由を尋ねてみると、揚水時に水車ポンプが始動しやすいように下部ダムの湖面が地下発電所の水車ポンプの位置よりも90m高くなるように設計されているとのことであった。発電所建設当時は人間ドラマの舞台となったはずの上下両ダムや地下発電所一帯も、いまは豊かな緑に囲まれた静かな場所に変っている。まずは大月で葛野川PR館、葛野川発電所、葛野川ダムを見学し、そのあと日川渓谷に入って勝頼の墓のある景徳院や自然石庭のある栖雲寺を訪ね、天目山温泉や嵯峨塩館で一風呂浴びるのも一興だ。そのあと上日川ダムに立寄り、林道を詰めて上日川峠の長兵小屋にて一服し、南アルプスを眺めながら塩山へと下るとよいだろう。

上日川ダム

上日川ダム

上日川ダム(上部ダム)

上日川ダム(上部ダム)

葛野川ダム(下部ダム)

葛野川ダム(下部ダム)

葛野川ダム発電所水路概要

葛野川ダム発電所水路概要

総延長35kmの各種トンネルの配置模型

総延長35kmの各種トンネルの配置模型

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