夢想一途バックナンバー

第18回 星闇の旅路

(13)星闇の旅路にて

それにしても、天空はるかに輝く星々の光と、地の底から滲み出たような闇とが互いに呼応し紡ぎ織りなす星闇の世界に、私はどうしてこうも心惹かれるのだろう。どうしてこんなにも安らぎを覚えるのだろう。もしかしたら、それは、私の育ちと深い関わりがあるのかもしれない。

星闇とは、晴れた日の夜、星明かりのもとに広がる闇のことをいう。すくなくとも星明かりが存在しているわけだから、厳密に言えばそれは真の意味での闇ではない。いうなれば、我々の魂に遠くはるかな世界の存在を訴えかけるべく旅してきた細くかすかな光の糸が、無数に漂い散乱している闇である。

もしも、暗さのみを競うだけのことなら、地上の闇は、夜空が黒く厚い雲で覆われているときのほうがはるかに深い。近くに明るい人工の光源があるような地域では、雲がその光を乱反射してぼーっと光を帯びるため、星空のもとのより明るいくらいだが、周辺に人工の光のまったくない場所などでは、雲に閉ざされた空のもとのほうが、星明かりがないぶんだけ暗くなるからだ。もっとも、いまの日本には、そんなことを実際に確かめてみることができるような場所さえもほとんど存在していない。

東支那海に浮かぶ甑島という離島で幼少期を送った私は、星闇の世界をごく身近なものに感じて育った。月のない晴れた日の夜など、一歩屋外にでると、もうそこは星闇の世界だった。夏の夜などは、よく、涼を求めてすぐ近くの海辺にでかけたものだった。闇の底に広がる小さな玉石の磯浜に仰向けに寝そべり、心地よい潮騒を耳にしながらはるかに見上げた天空には、大小無数の星々が一面にちりばめられていた。そして、その星々の一つひとつが瞬き送る小さな光の雫には、ある種の懐かしさが秘められているように思われた。それは、遠いとおい宇宙の彼方に存在する何者かと合い通じる命の鼓動が、自らの体内にも脈打っていることを感じさせるような懐かしさだった。壮大な宇宙の縮図と、何百億光年もの時空を超えて宇宙を旅した何者かの記憶が、しらずしらずのうちに自らの体内にも深く刻みこまれていることを自覚させられるような懐かしさだった。

寒風の吹きすさぶ冬の夜、青く澄んだ星々が大空いっぱいに繰り広げる光の宴もまた、ひとりそれを見上げる私の心に深い暗示を囁きかけた。天狼の異名をもつシリウスの青い手裏剣のような輝きは、この宇宙の一隅にあって一瞬を生きることの意味と、それにともなう避け難い孤独の深さ、さらには生の代償としての必然の死を、まだ少年だったこの身に早々と語りかけでもしているかのようだった。また、プレアデス星団としてしられる昴は、地上の生死をはるかに超越したその幽遠な光の雫をもって、やがてゆく旅路の果てには何があるのだろう、誰もまだ帰ってきたことのないというこの道のむこうはいったい何が待ち受けているのだろう、という想いを強く掻き立てた。悲劇の星座オリオンンやカシペアの描く壮大なwの文字を追いながら、いつの日か出逢うであろう運命の人が、もしかしたらいまこの世のどこかで同じ星々を眺めているのかもしれないという、少々大人びた夢想にふけったりもした。

いまだにはっきりと自覚しているわけではないのだが、おそらく、子どもの頃から幾度となくそんな経験を重ねるうちに、星闇の世界はいつしか私の心の奥に棲む重要な原風景のひとつとなり、衰えた五感を必要に応じて研ぎすます砥石のような存在になっていったのだろう。長じてからも、私は、折りあるごとに星闇の世界を求めつづけ、そこで己の存在の意義を問いつづけようとしてきた。そして、いつごろから、人生そのものを星闇のなかを行く旅路みたいなものだと考えるようになった。津軽海峡の旅にはじまるこれら一連のエッセイに「星闇の旅路」という表題をつけたのは、むろん、そのことと無縁ではない。

物理的な時空としての星闇の世界に並行して、この世には、心理的ないしは観念的な空間としての星闇の世界、すなわち、「生の星闇」が存在している。物理空間としての星闇の世界がそうであるように、生の星闇の世界の場合にも真の闇のみが広がっているわけではない。遠い星、近い星、明るい星、暗い星など、大小様々な星々がきらめき、かすかではあるが深い闇の底を照らしだしている。

諸星の予感に満ちた輝きは、生の闇を行く者にとって大きな心の慰めとなるに違いない。残念なことには、心の慰めにはなってくれるものの、我々がどこから来てどこに行くのかについて、それらの星々は何も答えてくれようとはしない。その訳は、たぶん、ほのかに闇を照らす星たち自身にも答えが見つからないからであろう。

ただ、だからといって、それら星々の存在が無意味であるかというと、けっしてそんなことはない。たとえかすかではあっても、行く手の闇や来しかたの闇の奥に星明かりがあることによって、我々旅人は、すくなくとも、この闇には、数知れぬドラマを秘めた途方も無い広がりがあることを、そして、闇の底を縫う旅路はなおどこまでも続いているということを確信できるにちがいない。

夜空の星々が光を紡いで星座を構成するように、生の星闇の世界に瞬く星々も、ときには光の糸を紡ぎ合い、旅人の小さな命の灯そのものをも取り込んで壮大な光のドラマを演出する。たぶん、そのドラマは、旅人に星闇の旅路の意味をそれなりには伝えてくれもするだろう。もしも、星闇の旅路からそんな星々の輝きがすっかり失せてしまったら、どんなに強靱な精神をもつ旅人でも、己を包む漆黒の闇に耐えることなどできないだろう。

輝く太陽のもとにあるときがそうであるように、たまたま明るい星のすぐそばに近づいたときには、生の星闇から一瞬闇が消えてしまったように思われることがある。それはそれで望ましいことではあるのだが、旅路をさらに進み、明るかった星が遠ざかるにつれて、星闇はいずれまた戻ってくる。それが生の世界の本来の姿だし、人生の旅路が星闇のもとにあるからこそ、我々は意識を深め、感性をより鋭く研ぎ澄ますことができる。

かつてはどこにでもあった星闇が、夜の明るさのみを追い求める風潮のなかで我々の周辺からほとんど姿を消しつつあるように、見かけ上の明るさだけをどこまでも追い求める現代社会においては、人生の星闇のほうも、うとましいものとして世の表層から消し去られようとしている。世の多くの人々が心からそれを望み、それでよしとするのなら仕方のないことなのだが、私には、星闇のまったく見られない世界などというものは、どんなに明るく幸せそうに見えても、どこかにいかがわしさを潜めた存在に思われてならない。また、たとえそれらがどんなにうとまれようとも、世の一部の人々が考えているほど容易に、星闇の世界が生の旅路の周辺から失われてしまうとは思われない。私自身は、これからも星闇の世界を常に心にとどめおき、心やすらぐその闇をあるがままに受け入れていこうと思っている。

久々にめぐりあった星闇のなかでそんなことを考えながら車の運転席にもどった私は、再び興部、紋別方面へと向かって走りだした。自分の車のライトやときおりすれ違う対向車のライトによって、星闇は車の周辺から遠のいてしまったが、車を停めてライトを消すとそれはすぐにまた戻ってきた。せっかくの星闇の道をライトをつけて走るというのはどうにも信条にそぐわないという思いはあったが、闇の中で運転を誤って、地上の星闇の世界から天上の星闇の世界へと一挙に瞬間移動するのもどうかという気がしたので、とりあえずは、ライトのお世話になることにした。

前方の闇の奥へと一直線にのびる道路を快調に走りながら、今後の行程のことを考えた。もしこのままの調子で走り続けると、夜が明ける頃までには知床付近に到達するだろう。そうすれば、いっきに走行距離がかせげるから、あとの旅程が楽にはなる。それに、途中でずいぶんと道草をかさねてきたから、このへんでアクセルをいっぱいに踏み込んで、中年暴走族よろしく、体力と気力のつづくかぎり北の大地を疾走してみるのもよいかもしれない。

でもまあ、もともとそんなに急ぐ旅でもないことだし、こうしてせっかく星闇の世界に遭遇したのだから、どこかで車を駐め、心地よい闇の精気に独り静かにひたりながら夜を明かすほうが、いまの自分にはふさわしいのではなかろうか………。ゆっくりと天上の星々の物語る話にでも耳を傾け、遠い日々の回想にふけりながら、命のほころびを繕うことができるとすれば、それに越したことはないし、旅の目的も十分に達せられることになる。

夜が明けて気が向けばまた、サロマ湖畔や網走を経て、小清水の原生花園、知床、根室、霧多布、摩周、阿寒、釧路湿原、さらには東大雪のトムラウシ山麓方面へと旅をつづければよい。それらの地域を旅したら旅したで、きっとまた新しい発見や出逢いに恵まれるには違いない。でも、次々と思い浮かぶそんな地域を、今度の旅ですべてめぐり尽くすこともないだろう。これまでにも幾度かそれらの地域を訪ねたことはあるわけだし、これからもまた、何度か訪ねる機会はあるだろう。

なんといっても、今回の北の旅路での最大の収穫は、地表霧に覆われたサロベツ原野の幻霧の世界とこのオホーツクの星闇であるように思われてならなかった。そして、その思いはすぐさま強い確信へと変わっていった。

そうだとすれば、やはり今夜はこのあたりで星空を眺めながら野営するにかぎる。そう決断してからほどなく、車を駐めて星闇の旅情にこころおきなく身を委ねることのできそうな場所を原野の一隅に探しあてた私は、そこでこの旅のメモを結び終えると、エンジンを切って車のライトをすべて消した。

いったん深いふかい闇の底に沈んだあと、現代の都市生活のなかで半ば眠りかけていた私の五感は、戸惑いながらも徐々に昔の鋭さを取り戻しはじめた。大地を這う冷気を伝ってシーンと響くかすかな闇の音を私の耳は聴きわけた。目には見えぬ無数の命の息吹を秘めてどこからともなく漂ってくる闇の匂いを、逃さずに私の鼻は嗅ぎわけた。舌先は、しっとりとした大気の含む懐かしい闇の味を鋭く感じとり、全身の肌という肌は、その気孔をいっぱいに開いて、不思議な浄化力をもつ闇の精気を体内深くに呼び込んだ。そして、久々に甦った私の視覚は、星々の放つ光と地上に宿るほのやかな命の灯火が、闇の奥で互いに交わり融け合って、光の宴を演出するのを見逃さなかった。

平らに倒したワゴン車後部シートに身を横たえ、すっかり闇になれた眼で天窓越しに仰ぎ見た夜空には、人知を超えて永遠にたゆたう銀河と、無窮の時をはらんで銀河の上を翔く白鳥の姿が白く大きく浮かんでいた。言葉には尽し難い懐かしさに包まれながら、私は深いふかい瞑想へと沈んでいった。

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