(9)天売島――海鳥と共に生きる寺沢孝毅さん
海鳥の宝庫天売島
北海道北部の日本海に面する港町、羽幌の沖合いに2つ並んで浮かぶのが天売島と焼尻島だ。外海側の天売島は周囲12km余の小島だが、さまざまな自然条件に恵まれていることもあって、国内屈指の海鳥の繁殖地・棲息地となっている。羽幌港発、焼尻島経由のフェリー「オロロン号」に乗れば、1時間30分ほどでこの海鳥の宝庫、天売島に到着する。天売島の地形は高い北西側から低い南東側にむかって島全体がゆるやかな角度で傾いた感じになっている。そして赤岩のある南西端から天売灯台の立つ北東端までの北西海岸約6kmが高さ100~200mほどの断崖になっており、その一帯に各種海鳥の一大コロニーが形成されている。のんびりと島内を一周しながら海鳥の繁殖地や観鳥施設、断崖上の展望台などのュー・ポイントめぐりを楽しむつもりなら、レンタ・サイクルを利用するとよい。好天の日なら天売港発の遊覧船で島を一回りし、各種海鳥や魚貝類の興味深い生態を観察したり、峻険な断崖と青い海とのつくりだす荘厳な景観に眺め入ったりすることもできる。
天売島が海鳥の一大繁殖地となっているのは、島内にキツネやイタチなどの天敵がいないこと、子育てに必要な小魚などの餌が豊富であること、繁殖に適した地形や地質に十分恵まれていること、などの理由による。海鳥たちは天売島北西側の6kmほどにわたる断崖を主な営巣地にしているが、各鳥種ごとにしっかりと棲み分けがおこなわれているという。棲息数数万羽というウミネコは断崖上層部から中層部の岩と草地の混じった斜面に枯草で巣をつくり、60万羽にものぼるウミスズメ科のウトウなどは断崖上部の草地の斜面に穴を掘って巣を営む。オロロンチョウと呼ばれる絶滅危惧種のウミガラスは、断崖中層部の岩棚上で抱卵し、愛嬌のある顔をした赤足のケイマフリは、断崖中層部の割れ目や岩の隙間に産卵する。また、各種幼鳥の天敵であるオオセグロカモメは、断崖上層部の斜面や岩棚に枯草で巣をつくる。さらに、断崖中層部から断崖下層部の岩棚にはヒメウが枯草や海藻で巣を設け、近縁種のウミウは基底部の岩棚や岩礁上に小枝、枯草、海藻などを運んで営巣する。ウミスズメなどは断崖基底部の割れ目や岩々の隙間に卵を産む。
海鳥が寺沢さんの人生を変えた
この天売島に寺沢孝毅さんという著名な自然写真家が住んでいる。見るからに謙虚で穏やかな寺沢さんの物腰や話しぶりの奥底に、人一倍強靭な意志力と深い情熱が秘められているのは明らかだ。1960年北海道士別市で生まれた寺沢さんは、1982年北海道教育大学を卒業後、自ら志願して天売島の小学校に赴任した。かねてから天売島の自然に魅せられていたがゆえの選択であったという。寺沢さんは教員生活のかたわら島の四季折々の写真を撮り続け、1991年に銀座キャノンサロンで写真展「海鳥の島」を開催、海鳥の生態に対する鋭い洞察と生命へのかぎりなき賛歌に満ちみちた作品群で人々を魅了した。そして、それが転機となり、翌1992年には10年間にわたった教職を辞し、写真家として独立した。
北海道青少年科学文化振興賞などを受賞し、海鳥の生態などを撮らせたら右に出る者のないほどの写真家となった寺沢さんだが、その活動は単なる写真家の範囲にはとどまらなかった。日本鳥類学会員にもなった寺沢さんは、天売島の総合的な自然保護、自然観察と自然学習の普及促進、国内外への各種広報活動などを一貫しておこなうため、1999年、自らの力で天売島海鳥情報センター「海の宇宙館」をオープンした。天売島の総合的な自然保護や四季に応じた自然情報の収集伝達、さらには諸々の関係資料資料の提供をおこなうには、現地に機能性の高い公的な情報センターを設けることが不可欠だと考え、行政当局にその必要性を訴えた。だが、そんな寺沢さんの構想はなかなか実現しなかった。やむなくして寺沢さんは自らそのような情報センターを設立しようと決断、必要資金の調達に奔走することになったのだが、金融制度上の問題もあって個人では資金を融資してもらえなかった。そのため、寺沢さんは自らが代表を務める有限会社ネーチャーライヴを設立、資金を借り入れてようやく海の宇宙館の開設に漕ぎつけたのだった。多額の負債覚悟で天売島の自然保護にかけた寺沢さんの情熱には敬服するばかりだが、そのご苦労のほどはまた、おのずからこの国の文化行政の貧困さを物語ってもいるのだろう。
海の宇宙館には海鳥や野の草花の写真をはじめ、天売島の四季の自然を活写した数々の写真が展示されている。撮影者の鋭く豊かな感性と自然への深い造詣を偲ばせるそれらの素晴らしい写真群は、すべて寺沢さんの作品だ。もちろん、海鳥類の生態や鳴き声を収録したビデオその他の資料もある。天売島の自然情報を満載したパンフレットの作成、天売島海鳥保護対策委員会発行の機関紙「海鳥保護」の編集発行、自然観察・自然探索の学習会や写真撮影のための島内ツアーの企画運営、島外への情報発信や協力要請の基点づくりと、いまや海の宇宙館の活動は天売島にとって不可欠なものなのだ。海の宇宙館のWEBサイトには、寺沢さんの写真ギャラリーや天売島の各種情報コーナーなども設けられている。この海の宇宙館は寺沢さんの人生ドラマの桧舞台といってよい。
現在では国内外で大活躍している寺沢さんだが、その原点はあくまでも天売島であるという。手売島の住民としてそこに確たる生活の根を張る寺沢さんは、自然保護の促進と島民の生活維持の両立を心から願いもする。島の漁民の生活を一方的に犠牲にした自然保護などうまくはずがないからだ。どんなに困難が伴っても時間をかけた両者の適切な調整が不可欠だと語る寺沢さんに、私は本物のナチュラリストの姿を見る思いだった。寺沢さんが撮影した厳冬期の海鳥の生態写真や獲物を追う海鳥の水中写真類を見れば明らかだが、激しい命の躍動感の伝わってくるそんな作品を生み出すことなど通りすがりの写真家などにできるはずがない。真にその地に根づいた暮らしを送り、自然界の生死のドラマに自らも命懸けで関わり続ける者にしか、それは成し得ない仕事なのだ。文章家としてもすばらしい才能をもつ寺沢さんには、「オロロン鳥の島」(偕成社)、「空と大地の声」(北海道新聞社)、「アザラシに会いたい」(福音館)などの著作がある。いずれも詩情豊かな作品で心洗われることこのうえない。
ウトウの演じる一大ドラマ
天売島の海鳥類には各鳥種それぞれのドラマがある。今回天売島で私がぜひ目にしたいと思ったのは、ウトウというとても変った海鳥の帰巣時の光景だった。前回この島を訪ねた折には噂に聞くウトウ帰巣の劇的光景を見逃したので、今度こそはと意気込んだ。私は寺沢さんのアドバイスにしたがい、日没時刻直前にウトウの繁殖地として名高い天売島南西端の赤岩展望台へと足を運んだ。宵闇にそなえ懐中電灯を携行することも忘れなかった。高さ48mの赤岩を見下ろす展望台へ近づくと、足元がぐらつくほどの強風が吹上げてきた。眼下にはほぼ垂直に切れ落ちる断崖が連なり、海中から屹立する赤岩には日本海の荒波が轟々と打ち寄せ砕け散っていた。特設歩道の手摺りにつかまりながら前後左右を見まわすと、断崖上部急斜面の草地一帯の急斜面のいたるところには大小無数の異様な穴があいていた。
古代遺跡の発掘跡みたいな穴ボコだらけのこの奇観の造形主は、ほかならぬウトウだった。10メートル四方に150~200個もの穴があるというその不思議な光景を眺めながら、ここでゴルフをやったらクラブを振ったことさえないこの身でもホール・イン・ワンは堅いだろうななどという場違いなことを考えた。繁殖期のウトウの数は約30万つがいといわれるから、周辺の断崖上部斜面のいたるところにこのような巣穴があるのだろう。さらに驚いたことに、その斜面一帯を覆うように点々と白い影を落としているのは夥しい数のウミネコだった。ウミネコはウトウの巣穴のまわりでじっと羽を休めながら、その帰巣をいまや遅しと待ち構えていたのである。むろん、ウトウが雛のためにくわえて持ち帰る小魚を横取りするためで、他所では人々に愛されるウミネコどももここではちょっとした悪役というわけだった。
繁殖期でも昼間ウトウは海上で過ごすため、日没後の帰巣時にしかその姿を見ることができない。4月半ば巣穴の奥に1個だけ産み落とされた卵は、5月中旬に孵化しはじめる。雛が孵ると親鳥は日没後に一度だけ小魚をくわえて巣に戻り、空腹の雛に給餌する。島全体に何十万個という新旧の巣穴があるはずなのに、ほぼ同時刻に大群をなして帰巣するウトウはけっして自分の巣穴を間違えたりしない。行動半径の広さと一斉帰還の状況を思うと、その識別能力は驚異的だ。鳩よりもひとまわり大きなウトウは、橙色の嘴の付根に白い三角の突起をもち、目の後部に細長い白毛があって、どこかとぼけた顔をしている。その全身は黒と灰色の毛で覆われている。雄雌2羽の親鳥は特殊な構造の嘴で小魚をしっかりとくわえ留めて帰巣するので、それら全部をウミネコに強奪されることはないようだ。ときには40匹ほどのイカナゴをくわえて戻るウトウなどもあるらしい。寺沢さんの話だと、夕暮時にボートから見るウトウの群の様相は、この世のものとは思われぬほどにドラマティックなのだという。何十万羽ものウトウは帰巣直前繁殖地近くの海上に集結し、夕闇が深まるのを待って一斉に舞い上がる。そこに居合せたボートなどは、目を疑いたくなるようなウトウの大群を押し分け掻き分けしながら進まなければならないのだそうだ。
そしてウトウの大群が!
夏の夕陽が海に沈んでしばらくした時だった。突然、黄昏の空を背にして無数の黒点が現れたかと思うと、それらはぐんぐん大きさをましながら、私の立つ展望台周辺に向かって押し寄せ降り注いできはじめた。驚いたことにそれは「鳥の雨」なのだった。そこら中の斜面でギャーギャー、バタバタという甲高い鳴き声や激しい羽音が響きわたりだしたのは、小魚をくわえて自分の巣穴に飛び込もうとするウトウにウミネコの群が襲いかかっているからだった。それでもなお、蜂のように小刻みに羽ばたき鋭い羽音をたてながら、続々とウトウの群が舞い降りてきた。ほどなく展望台周辺は鳥だらけになってしまい、ウミネコとウトウの格闘もいっそう壮絶になっていった。しかも、宵闇が深まるにつれ帰巣するウトウの数はますます増加し続けた。懐中電灯で照らしてみると、着地後に素早く巣穴に飛び込むものもあれば、たくさんの小魚をくわえたまましばらく草叢に隠れて様子を窺ってから巣穴に飛び込むもの、何羽ものウミネコの集中攻撃を受け必死に羽ばたき逃げ回るものなど、その姿も様々だった。夜9時頃までウトウの帰巣は続いたが、ウミネコのほうは暗くて目が見えなくなるらしく、先刻までの格闘騒ぎはすっかりおさまった。
私が天売島を訪ねたのは6月初旬のことだったから、ウトウの雛の巣立ちまでにはまだ一ヶ月以上もあった。ウトウの雛が巣立つのは7月半ば頃で、それはそれで壮観なものであるらしい。寺沢さんから聞いたところによると、ウトウの雛が巣立つのは深夜で、それは天敵のオオセグロカモメやハシブトガラスなどに襲われるのを避けるためなのだという。闇にまぎれて巣穴を出た雛はいったん草叢に身を潜め、そのあとよちよち歩きながら一斉に断崖の縁を目指す。途中で夜が明けると、草叢に身を隠したまま再び夜が訪れるのをじっと待ちつづけ、また断崖の縁に向かった歩き出す。無事に断崖の縁まで辿り着くと、高さ100mを超える絶壁の上から海に向かって次々に「落ちる」のだという。小刻みに羽ばたきはすするものの、それは飛ぶというようなものではなく、ほとんど落ちるといったほうがよい状況なのだそうだ。海中や磯辺に落ちた雛はそのまますぐに海に浮かび、成長を遂げていく。海上や海中での生活が得意なウトウが陸地にあがるのは、繁殖期にかぎられ、それも夜間だけであるらしい。
長年の念願が叶い、ウトウの帰巣光景をまのあたりにすることができた私の胸は、湧き上がる感動でいっぱいだった。午後9時を過ぎすっかり深い闇に包まれた展望台周辺には、他に人影はまったく見当らなくなっていた。私は、自然界の生命のドラマのもたらしてくれた驚きと感嘆を心に深く刻みながら、ひとりおもむろに赤岩展望台をあとにした。