(3)風をはらんでホタテは走る?
焼きホタテの美味に満足し、車に戻りかけた私は、なぜか急に「帆立貝」という名称の由来が知りたくなった。天然のホタテ貝が棲息するのは東北から北海道沿岸にかけての水深20メートルほどの砂礫地だ、というくらいのことは知っていたが、それ以上の生態についてはなんの知識も持ち合わせていなかった。
その呼び名からしてもこの貝がかなり自由に動きまわるらしいことは想像できたが、そうだとすると、養殖中のホタテたちが、なんで人間に喰われる前に食前逃亡してしまわないのだろうかという素朴な疑問も湧いてきた。とにかく、これは、自らの手でちょっと調べてみるしかない―――そう思いなおした私は、もう一度建物の中に引き返し、その疑問をさきほどのアンチャンにぶつけてみた。
「天然もののホタテは片方の貝殻を帆のように立て、風に乗って海面を滑るように走るから帆立貝っていうんだよ。養殖もののホタテは、海中に垂らしたロープに針金や太いミズ糸で留められて勝手には動けないようになっているんだよね…」
笑顔とともに返ってきた相手のそんな言葉を、できることならそのままそっくり信じたいとは思ったが、どうもいまひとつひっかかるものがある。
養殖ホタテが自由を奪われた不幸なホタテであるらしいことは納得いったが、帆立貝という名称の由来のほうは話ができ過ぎている気がしてならない。そこで、確認のため通りすがりに見かけた本屋に飛び込み、魚貝類関係の事典や本をあれこれとめくってみた。
思った通り、ホタテが風をはらんで海面を走るというのは想像上の話で、現実にはそのような習性はないと書いてある。そうだとすると、「帆立貝」という名称も想像上の産物ということになる。ホタテが一斉に海面に浮かび上がり、帆掛舟ならぬ「帆立舟」となって帆走する壮観な光景が見られるなら、もうホタテは食べないとかれらに誓ってもよいとさえ思いかけていたのだが、さすがにそこまでは保身の知恵もまわらなかったものらしい。ふむふむ、これでまたこころおきなく焼きホタテに舌鼓を打つことができるわいと、妙に安堵したりもした。
もっとも、ホタテが海中を飛ぶような感じの泳ぎで移動するのは事実らしい。両方の殻を激しく開閉しながら、吸い込んだ水をジェット方式で斜め後方に噴出し、その反動を利用して巧みに遊泳するのだという。一回の開閉で一から二メートル進むばかりでなく、殻のへりから吹き出す水の方向と量を調整して後退もできるというから驚きだ。
ホタテが水中を泳ぐ様子を想像するうち、ふとあることに思い当たった。あのホタテの貝殻の片方は他方にくらべて膨らみが少ない。もし、膨らみの少ないほうを下にしてホタテが水中を勢いよく進むとすれば、流体力学の原理にしたがい、ホタテ全体を下から押し上げるかたちで揚力がはたらくはずである。
空気を水に翼を貝殻に置き換えて考えれば、これはカモメが向い風を揚力に変えて飛行するのと原理的にはかわりない。水を斜め後方に噴射する構造をジェットエンジンに、貝殻を胴翼に見立てれば、ホタテ貝は立派な超小型マリンシャトルだといえる。ホタテ特有の放射状の凹凸の溝も、水中での遊泳姿勢を安定させるのに一役かっているのかもしれない。ちょっとしたパイロット気どりで海中の恋路を急ぐホタテの姿を連想し、私は妙に納得した気分になった。
砂地でじっとしているときは膨らみの大きいほうが下になっているようだから、実際にはこの推理ははずれているのかもしれないが、まったく無関係に見えるカモメとホタテが揚力という思いもかけぬ糸でつながっている可能性もあるらしいことに気がついて、私はなんだか嬉しくなった。そして、たとえホタテが、その看板に偽りあって海面を帆走できないとしても、大目に見てやろうという気持ちになった。
さて、これでホタテの呼称問題はめでたく落着といくはずであったのだが、実はこの話には意外な結末が待っていた。その2・3日後のこと、たまたま立ち寄った千歳付近の書店で、鳥羽水族館長、中村幸昭氏の海洋生物の生態についての著書を見かけた私は、早速その本を手にしてみた。それは、「マグロは時速百60キロで泳ぐ」というタイトルの本であったが、そのなかのホタテの記述を何気なく読みかけた私は、一瞬わが目を疑った。
「日没時、北海道沿岸を航海中、大きな帯状の真っ白い何かのかたまりが移動しているのを目撃したことがある。それは片方の殻を立てて海面に浮上し、風を受けて沖へと帆走するホタテ貝の集団で、貝と貝とがぶつかりあって異様な音をたてていた」という、ある船乗りの驚くべき目撃談がそこには紹介されていたからである。おかげで、話はすっかり振り出しに戻ってしまった。それが事実であるとすれば、やはりホタテは風をはらんで走るということになる。囚われの身の養殖ホタテの解放を訴え、怨念を込めて人間に一斉抗議でもするかのようなその光景を想像するうち、私はある種の戦慓に襲われた。
「自由に旅ゆくおまえと同様に、この一瞬の生を謳歌し、海に遊ぶ権利は我々にもあるんだ!」というホタテたちの叫び声がいまにも聞こえてきそうな思いがした。明日からはホタテを食べないとあらためて誓いなおしたものかどうか、しばし私が頭を抱えこんでしまったことは言うまでもない。
だがまあ、そこは悪知恵のはたらく人間様のこと、たとえそれが真実でも、ホタテが群をなして帆走する壮観な光景を目にするのはよほどの幸運にでも恵まれないかぎり不可能なようだから、なにも焼きホタテをすっかり諦めることはないという屁理屈をひねりだし、とりあえずは自らのうしろめたさを体よくごまかすことにした。長万部の焼きホタテが美味過ぎたことは、ホタテ一族にとって思わぬ災難だったとでも言うべきかもしれない。