夢想一途バックナンバー

第2回 わがドライブ考

(1)旅心の芽生えと旅への憧れ

東支那海に浮かぶ鹿児島県の甑島で、私は小中学生時代を過ごした。秋晴れの穏やかな日などには、島の浜辺から九州本土の山並みがうっすらと霞んで見えた。とくに大気の澄んだ日の夕刻などには、噴煙を吹き上げる桜島の遠影がくっきりと夕陽に浮かんで見えたものだった。甑島は九州本土から3、40キロくらいしか離れてはいないのだが、幼い少年だった私には、その距離が何千キロ、何万キロにも相当しているように思われた。

――青霞むあの本土の山並みの向こうには、まだ自分の知らない素敵な世界が広がっているに違いない。そこには胸をわくわくさせてくれるようなドラマが待ちうけているに相違ない。でも、いったい何時になったら、思いのままにこの海を渡ってあの山並みの向こうを訪ねることができるのだろう。いつかほんとうにその夢がかなえられる日がやって来るのだろうか――

憧れとも諦めともつかないそんな思いが、いつも小さな胸の奥には渦巻いていた。だから、島と九州本土とを隔てる海は、心理的には広く深くそして果てしないもののように感じられたのだった。

のちのちまでずっと私の心の奥に棲みつづけることになる、「遠い世界へ羽ばたきたい。そして、まだ見知らぬ様々な物事にめぐり逢いたい。そのために、どんな不安な目や不自由な目にあってもかまわない」という旅への強い憧れは、ある意味で、九州本土と甑島との間に横たわるその海によって育まれたといってよいのかもしれない。

ただ、だからといって、甑島の豊かな自然やそこで生きる様々な人々の姿が、私の内面形成にまったく役に立たなかったというわけではない。私が多少とも創造的な仕事に立ち向かおうとする場合、そのための鍵を求めて無意識のうちに立ち戻る心の奥の原風景は、間違いなく、幼い日々に、甑島での生活を通して培われたものである。

なぜか親族縁が薄く、小学生の頃すでに、近親者は、不治の病の床で死期を目前にした母と、子ども心にも先行き長くないと思われる母方の老いた祖父母だけになっていた。だから、まだ幼かったにもかかわらず、私は、そう遠くないうちに自分だけがあとに残されることになるだろうという予感におびえながら、人知れず深い想いに沈むことが多かった。働き手がいないわけだから、当然、生活は楽でなかったし、家族の中でただひとり元気だったとはいえ、まだ子どもの身の私にできることなどかぎられていた。

そして、そんな重たい気分を癒し忘れるために、時間をみつけては、ただひとりで島の恵まれた自然のなかをかけめぐることが多かった。島の自然が素晴らしいものであったと自覚するようになったのは、むろんずっとのちになってからのことで、その当時は島の自然に対するそんな意識などまったくなかったように思う。

ともすると幼い心に重くのしかかる先行きの不安と、それにともなう孤独感をなんとか振り払おうとしていたこともあって、なにかはっとするようなもの、自分の心を奪ってくれるようなものに出逢いたいという強い思いばかりが先立っていた。その結果、必然のなりゆきとして、好奇心だけは人一倍研ぎすまされていくことになった。だから、いまになって振り返ってみると、ずいぶん無謀なこともやっていたように思う。

人里から歩いて何時間も離れた山奥のまったく道のない照葉樹林や亜熱帯樹林、さらには切り立った断崖上の灌木の密生する深い藪のなかなどを、鎌や小鉈を頼りに探索した。原色も鮮やかな珍しい動植物のほか、野イチゴやシイの実、アケビ、さらには、地元でコッコウと呼ばれていたキューイフルーツを小さくしたような果実をみつけてわくわくすることもあった。ヘビやマムシに遭遇したり、スズメ蜂やアシナガ蜂の巣にでくわし、あちこちを刺されることもしょっちゅうだった。崖からずり落ちたり、川にはまったりすることも多く、当然、大小の怪我や傷は絶えることがなかったが、ささやかな探検はそんな危険を償ってあまりある感動で小さな心を満たしてくれた。

何度も経験を積み、相手の習性を熟知するようになったあとは、ヘビやマムシに触るのはなんともなくなった。また、夜陰にまぎれてハチの巣に忍び寄り、丈夫な袋で巣全体をすっぽりと覆い、巣の付け根の部分を袋のうえから紐でかたく縛ってもぎ取ると、蜂を巣ごとに一網打尽できることもおぼえた。この技術は、ずっとのちになって、知人の別荘の軒にできた巨大なスズメ蜂の巣を除去するときにも役に立ち、ずいぶんと感謝されたりもした。

タブやアコウ、クス、センダンなどの大木のてっぺん近くまでよじ登り、枝をゆすって遊ぶことなど日常茶飯事だったし、落っこちて怪我をすることもたまにはあった。身が軽いのをよいことに、真っ青な海から聳り立つ断崖を身ひとつでよじ登ったり、よじ降りたりすることもよくやった。そんなわけで、幼かった私は、岩登りの基本である三点固定法と、ルート選択の技術を誰に教わるでもなく身につけるようになった。全身でバランスをとりながら磯辺の岩場を跳びはね走りまわることも私の特技のひとつだが、これなども幼少期に自然に身につけたものである。

海に囲まれた土地柄だから、手作りの道具を使って魚釣りもずいぶんとやったし、ひとりではるか沖まで泳ぎ出て、何時間も平気で潮の流れに身を委ねるこつもおぼえた。潮流の激しい岩場で素潜りし、美しいサンゴの林を縫って魚貝類を追い求めることなども、気がついたときには無理なくできるようになっていた。まだ技術が未熟だった頃には、背伸びをし過ぎてずいぶんと危険な目に遭ったりもしたが、結果的にそれらの体験は、自然とうまく付き合う呼吸を私に教えてくれたと言ってよい。四十の峠を少し越えた頃、日本一の水深をほこる秋田の田沢湖を泳いで横断するなどという馬鹿なことをやってのけることができたのも、この時代に積んだ体験のおかげである。

むろん、はた迷惑なこともずいぶんとやった。田の畔道ぞいの小川を土や石を積んでせきとめ、下流側の水を干上がらせてウナギやフナを一網打尽にしようとしたこともある。おかげで付近の田圃に水がまわらなくなって怒鳴りこまれたり、下流の水がひどく濁って川で洗い物をしているおばさん方からこっぴどくお説教されたりもした。近隣の熟れ頃の果物を失敬し、発覚して周辺の野山中を逃げ回った記憶もある。

当時の島の治安のよさも私にとって幸いした。離島という特殊性もあって、いわゆる事件というようなものが皆無に等しい土地柄だったので、夕涼みだ、月見だ、星の観察だ、スズムシ捕りだ、蛍狩りだ、夜釣りだと、子どもでも夜遅くまで出歩くことが許された。だから、月夜闇夜のいずれを問わず、昼間のものとは違う自然のいまひとつの顔に早くから馴れ親しむことができた。人気のほとんどない浜辺に寝そべって、時のたつのも忘れ、夜遅くまで月見をしたり、星空を仰いだり、夜光虫のきらめく海を眺めながら潮騒に聴き入ったりするというようなことは、けっして珍しいことではなかった。

波の静かな月夜や星闇の夜など、波止場につながれた天馬船のとも綱を無断でとき、櫓を操って沖に漕ぎだし、潮の動きに身を任せながら何時間も海面を漂うなどというようなこともやった。月の光が澄みきった晩には、かなり深い海の底までが透き通って見えることもあった。月光にきらめくそんな海を眺めながら、天馬船の上で吹くハーモニカの音色はいつにもまして美しく聞こえた。大潮のときなど、うっとりとした気分にひたっていたら急に潮の動きが激しくなって沖へと流されそうになり、必死になって櫓と格闘した想い出などもある。

近所の漁師さんに連れられていった夜のイカ釣りも想い出深い。ずしっとした手応えを感じて仕掛けをじわじわと手繰り寄せると、海中のイカは全身から青白い燐光を発して懸命に抵抗した。イカ釣りの合間に濃い闇に覆われた船上で聞く老漁師の怪談には、なんとも言えない迫力があった。海上を走行中ときおり舵を任されたりすると、船のともに立って夜風を切る自分が急に大人になったように思われて、じつに壮快な気分だった。海上で突風が吹き荒れはじめ、急に逆巻き泡立つ波浪の中をまるで潜水艦みたいに突き抜けながら、命からがら波止場に戻った記憶などもある。

もともと真昼の世界と対等であるはずの夜の世界に馴染み育っていくうちに、闇というものに対する恐怖感が私にはまったくなくなった。教科書の随筆で、昆虫ネットをもって夜中に人魂を追いかけたという寺田寅彦の体験談を読むと、自分もおなじことをやってみたくなって、深夜、人魂の出そうなところをひとりでうろついたりもした。ラフカディオ・ハーンの「耳無し芳一」の影響を受けてわけもわからずおぼえた般若心経を呟きながら、闇をものともせずに、お寺や神社の裏手、さらには土葬が普通だった集落のはずれの墓地などを歩きまわったことなどは、いまだに記憶に新しい。どんなに淋しく暗い場所に長時間ひとりでいてもまったく平気という私の性癖は、この時代に形成されたものである。

いずれにせよ、甑島のそんな環境とそのなかで送った少年期の生活は、私の体内深くに旅の資質とでも言うべきものをしっかりと育み培ってくれたように思う。未知の物事に立ち向かうあくなき好奇心と冒険心、行く先々の特殊な環境に柔軟に適応しながらフィールドワークをする能力、自然界の諸々の風物の豊かな色彩や精妙な構造などを細かに観察しそれらを楽しむ習慣、最小限の道具や装備類を最大限に活用する技術、予期せぬ悪条件や非常事態に冷静に対応する方法、果てしない旅にともなう深い孤独を孤独としてあるがままに受け入れる態度――私は、そういったものを、甑島という離島でのささやかな生活を通して知らず知らずのうちにすこしずつ身につけた。別の言い方をするならば、私は、無自覚のうちに、将来の旅への助走をはじめていたことになる。

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