(12)奥志賀高原カヤノ平――混牧林牧場に東城厚さんを訪ねて
信州奥志賀高原カヤノ平
澄みきった大気を時折かすかに揺り動かすように吹き抜ける高原の秋風は、瞬時に心身の穢(けが)れを祓(はら)い清めてくれるかと思われるほどに爽やかそのものだった。その秋風はまた、魔法の絵筆そのままに、黄・赤・緑・白などの交錯する幻想的な彩りへと一帯のブナや白樺の森を塗り替え、その濃淡のコントラストの妙に私はひたすら息を呑むばかりだった。この日私がはるばる訪ねたのは長野県木島平村カヤノ平――広大な奥志賀高原の中ほどに位置する標高1500m前後の広葉樹林帯の一角であった。このカヤノ平にある混牧林牧場管理人の東城厚さん(71歳)は長年営林署に勤務なさっていた方で、もともと森林生態学のプロでもある。岩魚の棲む渓流のそばに建てられた木造の管理小屋に到着すると、作業着姿の東城さんがこやかな笑顔で私を出迎えてくださった。見るからに知的でユーモア精神に富んだ東城さんは実際のお歳よりもずっと若々しい感じの方で、どことなく達観したような風貌と全身に漂うある種の存在感が印象的だった。東城さんは毎年5月の雪融けの頃から奥志賀の早い冬の到来を前にした10月末までの半年間、このカヤノ平の管理小屋にやってきて、唯一人で寝起きしながら地元の育牛農家などから委託された黒和牛の世話をしている。「混牧林牧場」とはなんとも耳馴れない言葉であるが、一口に言うと、それは牧牛とブナ林の再生事業の同時遂行をモットーに掲げた珍しい牧場のことなのだ。 カヤノ平とは、南東の高標山(1847m)、北西の木島山(1572m)、八剣山(1676m)、さらには北東の台倉山(1853m)と遠見山(1852m)とに囲まれた高原地帯のことである。高標山の頂き近い台地の一隅に昔カヤの大木があったため、カヤノ平と呼ばれるようになったらしい。だが、戦前までこのカヤノ平全域を覆っていたのはカヤなどではなく、平均樹齢二百年を超す鬱蒼としたブナの林だった。ブナ林特有の保水力と清浄作用のおかげで豪雨時にも渓流の水は濁ることがなく、真夏でも身を切るような冷たい水が絶え間なく流れ出て雑魚川(ざこがわ)流域を潤し、その周辺に棲息する数々の動植物の生命をしっかりと支えていたのだという。だが、戦後の高度成長期を迎える頃になると、ブナはパルプ材や合板及び合成加工材として広く利用されるようになり、このカヤノ平の広大なブナ林においても大量伐採が進んでいった。そしてその跡地はやがて無惨な笹山の状況を呈するにいたった。金になるというだけで、母樹として周辺に大量の実を落としていた優性木を皆伐してしまったことが致命的だったと、東城さんは語っている。温暖多湿な我が国の樹木の成長速度から考えると、樹木を皆伐してもそこが樹林として復元するまでにはそう長い歳月はかかるまいと多くの林業関係者は甘くみていたらしい。だが、過度の広葉樹林伐採が水資源に悪影響を及ぼすことが判明し、また美しく豊かな自然環境保持上の観点からも広葉樹林の存在が再評価されるようになると、ようやくブナ林受難の時代は終わり、残存ブナ林の保護と旧ブナ林地域でのブナの再生が重要な課題とされるようになった。
容易ではないブナ林再生の道
しかし、他の落葉広葉樹の林と違ってブナ林の再生は容易でないことが明かになった。ブナは豪雪地帯の笹地に分布し、ブナに笹が従属する感じの共生関係にあるのだが、いったんブナ林が伐採されると笹だけが猛烈にはびこり一帯は笹山と化してしまう。残ったブナから実が落ちても、地表を覆う笹に阻害されそれらが種子として土中に定着するすることは難しい。また、ブナの木が大量に実をつけるのは数年に一度しかないうえに幼木の成長速度もきわめて遅い。東城さんの話によると、ブナの若木の成長速度は数年でせいぜい50~60cm程度で、幹の太さの成長度は年間4mmほどにすぎないというから、ブナ林の再生が容易でないのも道理なのだ。そのため、ブナ林の再生には100年、200年という遠い将来を睨んだ計画の立案が必要で、その遂行には人的並びに物的な継続支援が不可欠であるという。「昔からヨーロッパなどの森造りは、父、息子、孫の三代にわたっておこなわれてきたんです。父親が苗木を植え、それを引き継いだ息子がそれらの樹々を大きく育て、さらに孫が立派な森になるように最後の仕上げをおこなうんですよ。羨ましいかぎりですね。田中長野県知事にスイスなみの森林保護行政を訴える手紙なども書いたのですが……」という、東城さんの熱い思いのこもった言葉が私の胸に不思議なほどに強く響いた。 ブナの大量伐採によって笹山と化したカヤノ平地域のブナ林再生をはかるために食肉用和牛を放牧することを思いついた営林署は、ほどなく先導的試行を開始した。牛を深い笹薮に放牧すると、牛が一帯を自由に歩きまわるうちに笹地の地面が踏まれて徐々に耕されるし、その糞尿も肥しとなって地力を高める。また牛たちが笹を踏みつけながら移動すると同時に、どんどん笹の葉を食べてくれれば笹の成長が抑えられる。ブナの生育を阻害する笹の成長があるていど抑えられれば、数年に一度しか大量には実らならないというブナの種子の定着も容易になるし、発芽したブナの幼木にも日光が十分届くようになる。そうすれば、将来的にはブナ林の再生も夢ではないというわけだった。試験的にスタートした混牧林事業は十年間にわたって続けられ、試行としては十分評価に値する成功を収めることはできたものの、林野庁全体の赤字経営とそれにともなう財政難のためにそれ以降の事業の続行は不可能になってしまった。だが、幸いにも、営林局を退職した東城厚さんを組合長とする民間の混牧林事業組合が組織され、国から400haの事業地を借り受け小規模ながらもその事業を継続できるようになった。暑い夏の季節に牛舎から解放され、栄養豊富な笹の葉と合わせてカヤノ平の各所に湧く天然の清水を摂取できることは牛の生理にもよいらしく、毎年、放牧される牛のうちの何頭かは子牛を出産するのだそうだ。もちろん山中での自然分娩でほとんど人手はかからない。生来の動物的本能によって探し出した秘密の場所で、牛たちは人目を避けるようにして出産しているらしい。こうして生まれ育った子牛は肉質もたいへんすぐれているうえに生産コストもずいぶん低く抑えられる。また、牛の歩きまわる一帯の実地調査によって、ブナの幼木が着実に根付き成長しているのが確認もされている。混牧林事業に余生を捧げる東城さんの日課は、放牧された個々の牛たちとコミュニケーションをとりながら、その健康状態をチェックしつつ全長数キロにわたる牧柵の周囲を三時間ほどかけて巡り歩いたり、笹藪の奥から牛を呼び寄せ特別な補給飼料を与えたりすることだ。もちろん、その間に事業地周辺の森林の管理や動植物の観察と生態調査を行なうことも忘れない。その仕事は素人が想像する以上の重労働でもあるようだった。
熊と共生する東城さん
その夜、私は管理小屋に泊めてもらった。屋外に設けられた東城さんご自慢の露天ドラム缶風呂に身を沈めながら、ブナ林の黒いシルエットの上にかかる上弦の月を眺める気分は何物にも替え難いものだった。採りたてのナラタケやクリタケなどをふんだんに用いた東城さんお手製の茸汁も、清水で炊いた御飯も、岩魚の燻製も、目薬の木を煎じた一種の薬茶も、その味といい香りといい抜群の一語に尽きた。夕食をとりながらの歓談の中で、夜間頻繁に小屋の周辺に出没する熊の話が飛び出した。管理小屋脇の物置の壁には立ち上がったときに熊がつけた泥らだけの前足の跡が残っていた。でも、熊と共生しているという東城さんの話によると、相手の習性やその時々の状況を冷静に考慮して行動しさえすれば熊はそれほど危険な動物ではないとのことだった。人間は大挙して熊のテリトリーに入り込み、熊の食料である木の実や果実類、タケノコ類、植物の新芽などをことごとく採りまくる。熊の糞を見ると近年彼らがいかに餓えているか一目瞭然であるという。餓えた若熊は餌を求めて人間の集落近くに出没し、次々にハンターに射殺される。山奥には老いた熊や弱い熊だけが残り、数も減って個体もどんどん小さくなる。最近目にする子連れの母熊は可哀想なほどに体が小さく痩せこけているという。月の輪熊の雌は雄と交尾し受精したあと冬眠に入るが、受精卵はその間成長を保留した状態のまま母胎の中に保たれる。夏から秋にかけて餌に恵まれ栄養分を蓄えることのできた雌熊の受精卵は春になって冬眠が終わると母胎内でどんどんと成長するが、栄養の蓄えが不十分な雌熊の受精卵は冬眠中に母体に吸収され消滅してしまうのだそうだ。一帯に棲息する動物の生態についての東城さんの話は実に興味深く、その胸中に秘められた命あるものへの尽きることなき慈愛のほどが偲ばれてならなかった。東城さんは、最後に「怖いのは熊などではなく人間のほうなんです。不法に入手したコピーの鍵でゲートを開けて車ごと侵入し、自然豊かな混牧林一帯を荒し回る。注意をすると逆上する有様で、何をされるかわかりません」と付け加えた。
陰の立役者小渕登美子さん
大きな可能性を秘めた混牧林事業だが、広大な国有林の借地料を含めた事業の維持費はバカにならない。もともと組合員が少ないうえに肉牛生産面では取引制度上の諸制約や市場の動向などの関係もあって、その前途はかならずしも容易でない。そんな混牧林事業の維持を陰にあって支えるのが組合事務局長の小渕登美子さんだ。かねがね牛飼いを自認する小渕さん所有の牛たちは、むろんカヤノ平の自然の中で悠然と笹を食む。小布施町にあるオープンハウス「NPO法人しなのぐらし」とその支援組織「しなのぐらしコミュニティ」の代表理事でもある小渕さんは、謙虚で物静かな方ではあるが、確たる信念と行動力の持ち主だ。「しなのぐらし」は、地域老人などを対象にしたいわゆるデイサービス業務のほかに、地域の文化サロンの役割をも担っている。「ほんとうに人間らしい豊かな生き方は何か」とか「自然と共生するライフスタイルとは何か」とかいったようなことを同じ志をもつ人々と共に学び考え、それらを通して得られた知識や技術を普及継承していくことがこの組織の活動の理念なのだという。現在では「カヤノ平混牧林事業」と「しなのぐらしコミュニティ活動」とは一体化しており、「ブナトリウムの森体験」というカヤノ平でのブナ林浴やブナ林探索会、各種自然体験学習会などを通じて助賛会員を広く全国に募っている。そういった会員たちの直接間接の協力や支援によって混牧林事業は維持されているといってもよいだろう。ブナ林をはじめとするカヤノ平の豊かな自然や混牧林事業に関心のある方は、「しなのぐらし:TEL&FAX 026-247-4756」に詳細を問い合わせ、案内を請うとよい。このオープンハウスの二階には遠来の会員やその同行者が十人や二十人は宿泊できるような部屋も用意されており、浴室や専用キッチンも完備している。私も宿泊させてもらったが、実に快適な一夜を過ごすことができた。会員外の一般客でも協力金というかたちの施設利用料を払いさえすれば、安い費用で何の気兼ねもなく宿泊することができる。