夢想一途バックナンバー

第16回 星闇の旅路

(11)幻霧の這うサロベツ湿原

富良野から旭川へと抜けた私は、そのあと、北の涯、宗谷岬方面にむかって国道40号をいっきに北上することにした。車は快調そのものだったが、旭川を通過したのが午後四時前後だったこともあって、音威子府(オトイネップ)に差しかかる頃には、太陽は赤味を増して大きく北西の空に傾いた。国道40号は、満々と水を湛えて地にたゆたう天塩川と深く絡み合うようにして北西にのびている。私の車は、どこまでも陽を追いかけて狂ったように疾走した。

天塩川の両岸沿いに遠く広がる牧場や牧草地が、夕陽に映えて鮮やかに浮かび上がり、悠然と草を喰む牛馬の影が点々と視界に現れては、たちまち後方に流れ去る。蛇行する天塩川を車は何度となく横切り、その度ごとに眼下の川面が夕空を映して淡く光った。その色はなぜか不思議なほどに胸にしみた。

天塩川には顔がある。わが国のほとんどの川が喪って久しい、豊かな表情と心がある。北の大地を慈しんだアイヌの祈りがいまもなおその水面には眠っている。テシオとは、そもそも、アイヌ語で登り魚を捕るヤナのある川尻のことなのだ。遠い遠い昔から、この川は人々の喜怒哀楽を包み込み、時間を超えて生きてきた。そして、いまもなお、ほんとうの意味で生きている。

できることなら、サロベツ原野西端の海岸線のどこかに出て、日本海に沈む夕陽を見たいと思ったが、日脚の長い7月初旬のこととはいっても既に午後6時過ぎ、サロベツ原野付近までの距離数や標準時との実質的な時差を思うと、それはかなわぬ望みだった。そして、そんな私の心をあざ笑うかのように、ほどなく行く手の山陰に陽は沈み、夕闇の訪ないは必然となった。だが、まさかそれが、あの幻想の世界へのプレリュードだったとは…。

意外なことに、しばらくすると、いったんは黄昏に包まれかけた山並の鞍部からまた夕陽が姿を見せ、車の進行に合わせてまるで鬼ごっこでも楽しむみたいに見え隠れするではないか。そうか!…と思わず膝を叩いた私は、次の瞬間右足でいっぱいにアクセルを踏み込んだ。緯度が高いため、太陽の日周軌道と地平線とのなす角は小さくなり、そのぶんだけ陽が沈むのに時間がかかるのを忘れていたのだ。もうひと走りして平野部に出れば、なんとか日没に間に合うかもしれない。私の心はエンジンのうなりに合わせていやがうえにも高鳴った。

そしてどうだろう、なにもかもが思った通りに展開した。産士(ウブシ)を過ぎると前方の視界がいっきに開け、赤々と夕陽に染まる広大な原野の遥か彼方に、鋭い輪郭をもつ美しい山影が浮かび上がったではないか。言わずと知れた名峰利尻富士である。私はしばし国道脇に車をとめ、その壮麗な夕景に見入った。正確にいうと7月4日午後7時10分、おりしも利尻富士の右肩に陽が沈もうとしているところで、空も野もみな濃い茜色に燃え立っていた。

そのときである。荒涼とした原野の地表すれすれの中空に、厚い純白の真綿の塊を広げ敷き詰めたようなものがいくつも、ほぼ静止に近い状態で漂っているのが目についた。光の加減でときおり澄んだ白紫色に輝いて見える。なんとしてもその正体が知りたくて、すぐにサロベツ原野の中心部へと踏み込んだ私は、そこに幻想の世界を見た。

地を這うようにして、広大な湿原の一面に絹のヴェールか綿雲の絨毯を想わせる霧が湧きたち、残照のなかで黄金色と赤紫を溶かし混ぜたような不思議な輝きを発している。胸元から肩ほどの高さで遠く輝き広がるその地表霧の向こうには、神秘的な色に染まった黄昏の空をひとりで背負うかのように、利尻の山影が聳えていた。

時節柄エゾカンゾウが咲き乱れているはずの湿原そのものは、地を覆う霧の下でもう眠りについていて、直に目にすることはできなかったが、かすかな動きをともなって刻々と色を変えゆく幻霧の舞は、それを補ってなおあまりあるものだった。冥界ともまがう妖しく美しいその光景に、私は、ただ息を呑んでいつまでも立ち尽くすばかりだった。

風のない夏の夕刻、湿原を覆う冷水によって地表の大気が急激に冷却され発生する地表霧こそが、このドラマのほかならぬ主役だったのだが、よほどの好条件に恵まれないかぎり、このような奇跡とも思える光景をまのあたりにすることは難しいに違いない。いくつかの偶然が重なっての結果だったのだが、ほんとうに運がよかったのだと思う。

地霧這うこのサロベツの黄昏のかなたにつづく星闇の道

私は、その時の不思議な体験とそれにともなう深い想いを、そんなささやかな歌に托した。なぜかはわからなかったが、サロベツのその幻想の世界の向こうに、天上に輝く星々と地上の深い闇とが互いに織りなす星闇の世界を垣間見ていたからだった。

午後8時を過ぎてもなお、利尻島の背後の西空は残照に彩られ、深く澄んだ赤紫に輝いていた。私は、依然として消えることなく地を這う霧の中を抜けてサロベツ原野を横切り、海岸線を走るオロロンラインにでた。そして、宵闇に沈む日本海を左に見ながら、稚内方面へと向かうべく再び北に進路をとった。

ほどなく、黒く尖った利尻の島影が海をはさんで大きく迫り、その左上にかかった鋭い鎌の刃先を思わせる美しい三日月が、濃い群青の空を背に、時空を瞬時に切り裂くような澄んだ光を放ち始めた。凄絶そのものと言ってよいこれと同じ情景を、私は、以前、山と渓谷社刊行の山岳写真集かなにかで見たことがあった。異次元の世界をも連想させるその写真に、そのときもある種の凄味を感じたものだったが、現実に目にしたその光景にはそれ以上の迫力があった。

「富士には月見草がよく似合う」と言ったのはほかならぬ太宰治だが、それにならえば、ここは、「利尻には三日月がよく似合う」と言い表すにかぎると思った。

それからまたしばらく車を走らせるうちに、三日月も西空に落ち、あたりは真っ暗になって、磨き粉で艶だしをしたばかりのような星々が、天空いっぱいに輝き始めた。東京あたりに較べると北斗の位置もずいぶんと高い。峨眉山頂から杜子春が北斗やその他の星々を仰ぎ見る場面を描いたとき、龍之介がイメージしたのもきっとこのような星空だったのだろうなどと、勝手な連想をしたりもした。

野寒布岬を大きくまわって、どこか哀愁を帯びた港町特有の灯りの瞬く稚内市街に入ったのは9時半過ぎだった。昔初めて稚内を訪ねたのは晩秋の大雨の夜のことで、演歌に歌われている通りの北辺の淋しい港町という印象をうけたものだが、今回は観光のベストシーズンに重なったこともあってか、街筋は思いのほか華やいで見えた。

急遽、場末の旅館に一夜の宿りを求めて転がり込むことにしたが、遅い時間だったにもかかわらず、若くてとても感じのよいおかみさんの心からのもてなしをうけ、旅の疲れがたちまちにして消え去る思いだった。宿泊料金も付近の民宿より安いくらいで、食べ物もとても美味しかった。たしか、北斗旅館とかいうところだったように記憶している。

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