風眠る秋の信濃の高原(たかはら)を
行く旅人の紡ぐ悲しみ(信州美ヶ原にて)
日没も間近な秋の夕刻のこととあってか、美ヶ原高原は意外なほどの静寂に支配されていた。高原東側下の駐車場で車を降りた私は、のんびりと遊歩道を辿り、まずは王ヶ頭の頂きに立って西方に広がる雄大な景観を楽しんだ。その当時から王ヶ頭には電波塔が立ってはいたが、いま目にするほどに所狭しと電波塔が林立してはいなかった。眼下の安曇野の谷は徐々に傾き衰えゆくる陽光に合わせるかのように翳の濃さを増し、その向こうに聳える北アルプス連峰の勇壮な山並みが、折からの逆光の中でその稜線をひときわ鋭く浮かび上がらせていた。連峰の右手遥かなところに位置する白馬や鹿島鑓の頂きはもうすっかり新雪に覆われている感じだった。
二十代半ばの頃、厳冬期の白馬岳頂上近くの稜線上で十年に一度か二度という猛吹雪に遭遇し、仲間と共に雪洞を掘って数日間もビバーグを続け、全員辛うじて生命の危機を脱したことがあった。白馬の山影を遠く望みながらその時のことをあれこれと想い起こしているうちに、いつしか私の胸は深い感慨に包まれた。九州の離島育ちのせいもあってそれなりに荒っぽい生活を送ってきた身なので、生死の境目に在って運よく生の側に踏みとどまることができたのはそれが初めてのことではなかった。
ただ、どこか明治時代の八甲田山死の行軍をも連想させられる遭難死寸前のその体験は、けっして自慢になるような話ではないとはいえ、とりわけ忘れ難い想い出ではあった。人間というものは、生死の境目に追い込まれ切羽詰ると善い意味でも悪い意味でもそれぞれの本性を剥き出しにする。集団行動をとっている場合には、それらの本性の組み合せがたまたま適切であるか不適切であるかによって生死が決まる。幸いにして我々の場合にはその組み合せがよかったということだったのかもしれない。
生きるということはそれなりに悲しいことである。もちろん、その過程には喜びも楽しみもあるけれども、全体を展望してみるとやはり悲しみの糸に貫かれていると言ってよいだろう。あの時死んでしまっていたら生きる悲しみなどもうなくなってしまっていたはずなのだが、それでも誰もが生への道を切り開こうと持てるかぎりの力を尽した。そして、死線を越えての生還をお互いに喜び合い、その結果として皆それぞれにそれからもなお悲しみの中を生きていくことになった。人生とはなんともパラドクシカルなものである。
王ヶ頭でしばしそんな想いに耽ったあと、さらに大きく西空に傾いた太陽を背にして、私は美ヶ原高原のもう一つの高み近くに位置している山本小屋方面目指して歩きだした。愚かで無能な私なりの悲しみの糸を営々と紡ぎ続けながら……。
まるで眠りについたかのように風はやみ、高原のところどころに群生するススキの穂先も微動だにしなかった。秋の草花とまだいくらか緑をとどめた牧草が緩やかに波打ち広がる野を覆ってはいたが、夕陽に染まる高原全体はどこか荒涼とした雰囲気に包まれていた。放牧されている牛たちが点々と黒い影を見せながらあちこちにうずくまり、程なく訪れる黄昏と宵闇の訪いにそなえているのも、すくなからず寂寥感を誘う光景だった。
高原の中程に差しかかった時、ゆっくりとした歩調で私とは逆の方向へとむかう一組の男女とすれ違った。ほどなく北アルプスの稜線の彼方へ沈もうとする夕陽がその男女の顔を赤々と照らし出していた。どことなく憂いを湛えた二人の姿を一目見ただけで、私には、その男女がこの身のそれとは色合いも太さも違う悲しみの糸を紡ぎながら旅を続けているのだということが読み取れた。そして、たぶん、その二人にとってそれが共に歩む最後の旅路となるのではないかという気がしてならなかった。
精悍な顔に深い沈黙を湛えた男は四十代半ば、そして、見るからに知的で意思の強そうな美貌の女性は二十代後半かと想像された。すれ違う瞬間、私はその女性の瞳の一隅で夕陽に映えてなにものかが小さくキラリと光るのを見逃さなかった。それぞれに紡ぎ出す悲しみの糸で、二人はこの美ヶ原の夕景をその人生模様の中にどう織り込んでいくのだろうと思いながら、並んで去り行く哀愁のシルエットを私はさりげなく、しかし、いささかやるせない想いにひたりながら見送った。
山本小屋の脇から美ヶ原高原の高みへと続く道を登る途中で、真紅の夕陽は北アルプス連峰の稜線の向こうへと姿を隠した。三百六十度の展望のきくまるくなだらかな頂きに立つ頃には、西空は息を呑むような茜色に彩られ、頂上一帯には心の底にまで沁み入るような静寂が永遠の時間を孕んで漂っていた。相変わらず風はやんだままだった。美ヶ原高原美術館が建つ前のことだったからから、現在目にするような人工のオブジェなどもなく、日脚の短い秋の黄昏時のこととはいえ、それはまさに自然の一大パノラマと呼ぶに相応しい光景だった。
小広い頂きには先客が一人いた。西方に浮かぶ北アルプスの黒い山影をただ黙然として仰ぎやる老年の男性だった。そのうしろ姿に無言の祈りともいうべきものを感じた私は、敢えて老人に声を掛けようという気持ちを押しとどめた。老人の心の奥では、過去、現在、そして未来の時間とそれに伴う諸々の思いが交錯し合い、その人なりの悲しみの糸となって紡ぎ出されつつあるに違いないからだった。
老人から少し離れたところに立った私は、自らもまたこれまでの生の旅路の様々な情景を顧みつつ、あらためて悲しみの糸の続きを紡ぎ出すことにした。そして、そんな美ヶ原の夕景とそれにまつわるささやかな想いとが、拙い一首の歌となっていつしか自分の心の奥に結実した。