自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 38 (松山町最上川河畔にて)

天地(あめつち)にたゆたひめぐる哀しみの
流れ燃え立つ夕最上川

(松山町最上川河畔にて)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

昭和五十三年八月二十六日のことだから、もうずいぶんと昔のことになる。その日の夕刻、私は山形県松山町の最上川右岸沿いの道を下流の酒田市方面へと向かって旅しているところだった。満々と水を湛え悠然と流れゆく最上川の雄大な眺めに魅せられつつも、これというあてどもないままに黙々と独り旅行く私の心は、沸々と胸中に涌きあがる昔日の哀しい想い出の生みもたらす数々の慙愧と憂愁に沈んでいた。

見知らぬ土地を訪ねるときにつきものの旅愁だといえばそれまでだったが、おのれの煩悩のゆえもあって、旅愁の一言で片付けてしまうには胸の想いはいささか複雑ではありすぎた。ただ、それにもかかわらず、自らを取り巻く大気のかすかな動きや、刻々と変貌を遂げる眼下の川面の有様を見つめ捉える五感だけは、いつにもなく鋭く冴えわたっていた。そんな我が身の心情を慰めやすらわせてくれようとしたわけでもなかろうが、それからほどなく、私の眼前では、望外ととしか言いようのない、荘厳な大自然の一大絵巻が繰り広げられることになったのだった。

新庄盆地付近で大きく向きを変え酒田方面へと西北西に流れ進む最上川は、その下流右岸に位置する松川町付近で一時的に流路を北寄りに変える。そのため、松川町側の高い堤の上に立つと、西方には南から北へと流れる最上川の大きな水面が、そしてその向こうには米どころとして名高い庄内平野が広がって見える。さらに、その庄内平野のはるか西方には夕陽の美しい日本海が横たわっている。

しばし旅の足を休め、河畔近くの見晴しのよい高台に立って西空に目をやると、一日の仕事を終えた太陽が対岸の平野の向こうへと大きく傾き沈んでいくところだった。心惹かれるままにその光景を眺めやっていると、やがて太陽は異様なまでの輝きを見せて真っ赤に燃え盛り、地平線とも水平線とも見分けのつかないサンセット・ラインに近づくほどにどんどんとその大きさを増していった。眩いばかりの黄金色や見る者の心の奥を突き刺すような真紅の彩りに染まったのは太陽の周辺ばかりではなかった。西の空全体と、それを逆さまに映しだす最上川の川面全体が轟々と音をたてて燃え上がり、その炎が天に向かって激しく渦巻き立ち昇っている感じだった。私は思わず息を呑み、独りその場に立ち尽すばかりだった。

その狂おしく凄じいばかりの夕映えは、生きとし生きる人々の尽きることなき哀しみの涙や苦しみの涙を寄せ集めてできた煩悩の大河が、浄化の海に還るのを前にして、天地を真紅に染める巨大な火柱となって炎上する光景を髣髴とさせた。そんな想像に駆られたのは、ひとつには私が、度重なる山形への旅を通じて最上川の姿を知り抜いていたからかもしれなかった。山形県のほぼ全域に広がり及ぶ最上川の本流支流の四季のたたずまいや、その流域周辺で生きる人々の悲喜こもごもの姿を私はそれまで幾度となく目にしてきていた。

古来、この最上川は、出羽の国とも呼ばれていたこの山形という土地に住む人々の命の源泉でもあったし、善悪や幸不幸のすべてを含む実生活の柱でもあり象徴でもあった。最上川ほどにその県内全域の生活と密着した姿をもつ川は、私の知る限り他には存在していない。自然豊かな河川は国内にも数々あるが、最上川のように単一の河川の流域がほぼ全県に及んでいるケースは見当らないからだ。かねてから最上川へのそんな想いを募らせていた私が、偶然にも、日本海に面する河口からもそう遠くない河畔そばの高みから、その川面が紅蓮に輝き燃える光景を目にすることになった。それゆえに、煩悩の大河の水が燃え盛り、そのことによって人々の魂が生の呪縛から一挙に解放されていくようなイメージを描き抱いたのかもしれなかった。

南九州の育ちゆえ、東北の山形には地縁などまったくない身であったが、人生の旅路でたまたま出遭い心からの交わりをもつようになった友人知人には、なぜか山形県出身者が多かった。また、若い頃から直接間接に大きな影響を受けた研究者や文学者、思想家のなかにも山形出身の人物や山形ゆかりの人物が少なくなかった。山形育ちの人々や山形在住の人々からさえも驚き呆れられるほどに同県内を隈なく訪ね歩くことになったのも、多分にそのせいであったのだろう。

最上川は、蔵王連峰西部、朝日山系東北部、飯豊山系北部、吾妻連峰北部、月山連峰、真室川北東域山系などの水系のすべての流れを集めて日本海に注ぎ込む。山形市、米沢市、天童市をはじめとする県内の主要都市はみな最上川の本流支流の流域沿いに位置しており、昔から最上川の水運の恩恵を受けてきた。山形というと紅花を連想する人は多いだろうが、かつてその紅花生産が隆盛を極め、紅花商人の名が国内隅々にまで響きわたったのも、ほなからぬ最上川の存在があったからなのだった。

あれからも幾度となく山形を訪ね、上流、中流、下流、いずれの流域であるかを問わず最上川の景観に親しんできたが、残念ながら、その後にはあの日のような壮絶な夕映えの光景に遭遇したことはない。人生航路における人間同士の出遭いというものは究極的には一期一会だと言われるが、人間と衝撃的な自然の風景との出遭いもまた、実のところは一期一会であるのかもしれない。

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