自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 26 (長野県北御牧・勘六山房にて)

千万の苦悩を永久(とは)の微笑(ゑみ)にかへ
竹の庵主は旅立ちたまふ

(長野県北御牧・勘六山房にて)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

去る九月八日朝、水上勉先生ご逝去の報せが飛び込んできた。翌九月九日の午前中、渡辺淳画伯と私とは先生のお仕事場であった信州北御牧の勘六山房に出向き、昼過ぎから同所でおこなわれた密葬に参列した。末席で先生のご冥福を祈らせていただいたのだが、ごく内輪の人々だけによってとりおこなわれたその葬儀は文字通りの密葬であった。戒名は「影竹菴箒階清勉居士」(えいちくあん・そうかいせいべんこじ)」――静かに照る月の光によって庵かお堂の階段や回廊のようなところに映し出された竹林の影が、音もなく無心にその一帯を勉め箒き清める――ご生前に授かっておられたというその戒名を通してそんな静寂な夜の情景を想い浮かべながら、穏やかな表情で永遠の眠りにおつきになられた先生のさいごの姿をお見送りした。水上文学作品の挿画や装丁を長年にわたって担当、作品中に登場する人物のモデルにもなられたりし、誰よりも先生の信頼の厚かった渡辺淳画伯は、その深い悲しみをじっと心の内でおしころしておられるご様子で、それを見る私のほうも胸中いたたまれぬ思いだった。

密葬がおこなわれたのは秋晴れの好天の一日で、勘六山房のすぐ近くからは、浅間山の大きな山影が、まるで先生の御霊を弔いでもするかのように、いつにもましてくっきりと浮かんで見えた。勘六山房の玄関の柱には先生の筆で「常不在」としたためられた墨書の看板が掛かっていたが、その文字の意味する通り、山房主は永遠に不在ということになってしまった。山房の庭への入口付近にはやはり先生の筆で半ば冗談まじりに「猛犬注意――噛み癖悪し」と書かれた看板が立てられていたが、その三匹の猛犬たちもその日ばかりは何か感じるところがあったのだろうか、その本来の姿はどこへやら、近づいて頭や顎をそっと撫でてやると気持ちよさそうに目を細め、お腹をまるだしにしてごろんと土の上に横たわる有様だった。その犬たちにご主人様他界の意味がどこまでがわかっているのかは、むろん知る由もないことではあったのだけれども……。

(合掌)

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