自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 5 (浜松・中田島砂丘)

太古より時の骸(かばね)の積もりたる
この砂山に消ゆる足跡

(浜松・中田島砂丘)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

遠州灘に面する中田島砂丘は、鳥取の砂丘、九十九里浜の砂丘などと並ぶ日本三大砂丘のひとつである。東西四キロ、南北六百メートルに及ぶこの雄大な砂丘地帯を訪ねる者は思いのほかに少ないが、刻々と変容し続ける見事な風紋とゆるやかな凹凸の地形の織り成すその風景は不思議なほどに人々の胸を打つ。五月の連休の頃に凧と凧とを戦わせ相手の糸を切り合う有名な凧揚げ合戦がおこなわれるのも、この中田島砂丘地帯にほかならない。

浜松に出向いたついでに、その郊外にある中田島砂丘を訪ねたのは、ある春の夕暮れのことであった。天候のよい日ではあったが、絶え間なく吹きつける強い海風に煽られ、広大な砂地の表砂がサラサラと流れるように動いていた。入江に寄せる漣(さざなみ)の形そのままの風紋が広い砂地を覆い尽くし、自然のもつ造形力のなんたるかを無言のうちに誇示してもいた。

私は乾いた砂をサクサクと踏みしめながら、太平洋の荒波に激しく洗われる渚目指して歩きだした。あたりに人影はまったく見当たらなかった。途中で靴を脱ぎ裸足になって再び歩きはじめると、なんとも心地よい感覚が足裏に伝わってきた。それは長い間忘れていた懐かしい感覚でもあった。

幼少期を九州の離島で過ごした私にすれば、裸足で何時間も歩きまわることなど日常茶飯事にすぎなかった。当時の私の足裏は、大地の秘める様々な情報を的確かつ即座に読み取り、それに応じて、身体はおのれのとるべき体勢や集中すべき意識の方向を決定していた。しかしながら、東京で都会生活を送るようになった私は、いつしかその鋭い足裏の感覚を失った。その遠い日の感覚が、この時、思いもかけず甦ってきたのだった。

もちろん、都会で暮らすようになってからもなにかにつけ裸足になる機会はあったのだが、いつも当座の必要に迫られて一時的に靴を脱ぐだけのことであった。昔ながらの自然な気分と自然な体勢で裸足になり、足下の大地の息吹を皮膚で直接に感じとろうとすることなどついぞなかった。そんな私に向かって、「もう一度原点に戻れ!」と囁く声が、この中田島の砂丘のどこからか聞こえてくるような気がしてならなかった。

波打ち際に近づいた私は、大きく寄せ引きする海水にしばし両足を浸したあと、近くの小さな砂山の上に腰をおろし、風に乗って轟々と押し寄せる大波をいつまでもじっと見つめていた。単純なリズムの繰り返しからなるその風景は、日常生活の垢ともいうべき雑念を払拭してくれるには十分なものだった。

いったん空っぽになった心と一時的に機能停止した五感が再び甦ってくるの待って、私はおもむろに立ち上がった。そして、足裏に伝わる乾いた砂の感触と温もりを楽しみながら、大きな砂丘がいくつか並んでいるほうへと向かって歩きだした。私には、足裏で踏みしめる無数の砂の一粒ひとつぶが、このうえなく浄化された「時の骸」であるように思われてならなかった。いや、実際、この砂丘地帯を埋め尽くす砂粒のそれぞれは、内に秘める物語にこそ違いはあれ、四十六億年といわれる地球誕生以来の時間の化石と考えても差支えはなかった。

砂時計という言葉からも連想されるように、砂というもののもつイメージはなんとも空しく儚いものではあるのだが、視点を変え、その一粒ひとつぶのもつ確固たる姿と形を想うとき、そこにはおのずからべつのイメージが湧き上がってきたりもする。このとき私は、砂粒という一見無機質な存在の奥に、壮大な宇宙の営みの縮図とでも言うべきある種の崇高さと、目に見えない輪廻転生のエネルギーの蓄積とを感じとっていた。

砂に深々と足を埋めながら砂丘をひとつ越え、さらにひときわ大きな砂丘の前に立った私は、なにげなくその斜面を眺めやった。その急な斜面には二筋の足跡が点々と続き、大砂丘の奥へと消えていた。それら二筋の足跡が、若い二人の男女によってつけられたものであろうことは想像に難くなかった。

もうあたりには夕闇が迫っていたこともあって、その足跡がかなり前につけられたものなのか、それとも私がここにやってくる直前につけられたものなのか、即座には判断がつきかねた。私はそこで足を止め、あらためてその足跡にしげしげと見入った。すると、ちょうどその時、私の背後の東の空から大きな春の夕月がのぼってきた。「菜の花畑の入日うすれ……」で始まるあの有名な唱歌にでてくるような、それは朧な満月だった。

ほどなくその月は高くのぼって輝きを増し、砂丘の斜面を明るく照らし出しはじめた。すると、月光のはたらきによって二筋の足跡のところだけがひときわ黒い影をなし、よりくっきりと浮かび上がった。私は眼前の砂丘にのぼるのをやめ、しばしそのまま深い想いに沈んでいった。

風に煽られ絶え間なくサラサラと砂の流れ動く砂丘は、時の墓標にふさわしく刻々とその姿を変えていく。しかし、その大砂丘を構成する砂粒は、このうえなく浄化された時の骸として、太古からの地球変遷の記録を秘めつつ、たとえ一粒だけになろうとも超然と存在し続ける。そして、時がくれば、再び地層として、あるは地層を構成する岩盤として甦る。さらにまた、そんな砂丘の砂を照らしだす月も、地球が誕生してからの時間とそんなには変わりない四十五億年の長きにわたって、ひと時もやすむことなく天空をめぐりつづけている。

そのいっぽう、砂山に刻まれた足跡のほうは、強い風が吹いたりしたら一晩と経たないうちに消えてしまう。人間の織りなす命のドラマなど、地球の歴史からみれば一瞬の光芒にすぎない。それでも人間はともに永遠の愛を誓い合いながら、あるいはまた独り愚かな想いに耽りながら、砂の上におのれの足跡を刻みつける。明日には消えるとわかっている存在の証を性懲りもなく残そうとする。

ひとときの瞑想から醒めて再び我に立ち返った私は、先につけられた足跡を追いかけ、いったん自らも頂きへと向かって砂丘の斜面をのぼりかけた。だが、再び思いなおしてそこで足を止めた。どうやらこの場はそのまま引き返したほうがよいのではという気がしてきたからだった。この世の事象というものは、何もかもが洗いざらい明かになればよいというものでもないだろう。想像力を激しく掻き立てる風景や事物に出遭ったような場合、かならずしもその奥に隠し秘められたものすべてを見極めたほうがよいとはかぎらない。そんな心の抑制がたまたまはたらいたこともあって、結局、私は砂丘の頂きに立ち、その向こう側に何があるかを確かめるのはやめることにした。

砂山の向こうへと続く二筋の足跡の主たちは、いま月下の砂丘のどこにいて、何を語らい何を確かめ合おうとしているのだろう、そしてまた彼と彼女とはこれから何処へ行き何をしようとしているのだろう――ほんの一瞬だが、そんな想いが私の脳裏を駆け巡った。有名な「月の砂漠」の中に歌われている王子様とお姫様の旅路ではないが、月光に黒く浮かぶそれら二筋の足跡は、いまだ誰も還ってきたことのない道を指す道標に促されて、遠くどこまでも続き、ついには異界へと消え去ってしまっているように感じられてならなかった。

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