自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 22 (能登半島上大沢海岸)

潮辺にて藻刈る嫗(おうな)の皺に棲む
時の深さよ海の広さよ

(能登半島上大沢海岸)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

能登半島の北西部に位置する皆月集落から上大沢集落にかけての海岸沿いには、荒磯遊歩道と名づけられた自然散策路があって、日本海の荒波の打ち寄せる磯辺伝いに歩きながら人それぞれの旅の想いに耽ることができるようになっている。西空の澄みわたった日などにこの一帯の海岸から眺める夕陽はとても美しい。海面をオレンジ色に染めながら、真っ赤な太陽が日本海の水平線の向こうに粛然と沈んでいく有様は、いつ見ても心の奥に不思議な感動をもたらしてくれる。

昭和61年の2月下旬のことだからもう17年ほど昔の話になるが、現在では著名なシナリオライターとなっているある女性と私とは皆月から上大沢の方に向かってこの磯辺を歩いていた。たまたま金沢で仕事があったついでに、かねてから機会があれば能登半島の西海岸を案内してほしいと言っていた彼女と金沢駅で待ち合わせ、まだ冬景色に包まれた能登金剛付近をめぐったあと、この海岸にやってきたのだった。まだ若かった当時無名の彼女のひとかたならぬ才能に気づき、その開花になにかしら役立てばという純粋の思いあっての付き合いで、他意はまったくなかったから、お互い軽口を叩き合いながらのなんとも気楽な荒磯探訪ではあった。

夕陽を眺めながらの散策なら上大沢側から皆月側に向かうほうがよかったのだが、荒磯遊歩道のある海岸近くに着いたのがまだ昼下がりの時刻のことでもあったので、とりあえず皆月側から上大沢側へと向かって歩くことにした。冷たい西寄りの風がかなり強く吹くなかでの散策だったが、晴れわたった空に冬の太陽が明るく輝いていたし、温かいダウンのコートを着込んでいたので寒さはほとんど気にならなかった。途中で磯辺に生息する海草類や貝類を採取したり、潮溜まりに息づく小魚や蟹などを眺めたり突ついたり、さらには海辺の生物についての彼女の質問に答えたりしながら、皆月、通り鼻、大長崎、刑部岬などを経て上大沢を目指したのだが、東シナ海に浮かぶ離島育ちの私には、磯の香りに満ちみちた周辺の光景はなんとも懐かしいかぎりであった。

能登半島の西部や北部一帯は、東シナ海から日本海に入り、列島沿いに北海道の礼文・利尻両島付近まで北上する対馬海流に洗われている。磯辺に生息する生物や岩々を喰む青潮の色が私の育った島のそれらとほとんど同じだったので懐かしさを覚えたのだが、たぶんそれは沖縄付近で黒潮から分岐する暖流、対馬海流のせいであるに違いなかった。同じ海流なのだから、その海流に育まれる生物が類似しており、荒磯に寄せる海水の色に変りがないのもごく自然なことである。

折からの西風に煽られて磯辺にはかなりの大波が打ち寄せていたが、荒磯遊歩道をほぼ歩き終え上大沢の集落近くの磯場に到着する頃には、いくらか波も静まった。その一帯が小さな入江になっていたせいでもあったのだろう。ちょうどその時のこと、寒さも厭わず、その磯辺の一隅で半ば海水につかりながら海草を採取している一人の老婆の姿が目にとまった。近づいてみると、岩に生えているワカメやヒジキなどのほか、大波によって運ばれ水辺に打ち上げられているトサカノリのような食用海草類を採り集めているところだった。

すぐそばでその様子をじっと見つめるこちらの視線などまるで気にせず、ひたすら海草の採取作業に勤しむ老婆の姿にはある種の神々しさのようなものさえもが感じられた。長い年月この磯浜の近くに住み続けながら、海を相手に黙々と日々の生活を営んできたに違いない彼女の相貌には、みるからに不思議な存在感が秘められていたからである。とくに、その顔に深く刻み込まれた波打つような皺のひとつひとつには、彼女が生きてきた時間が、さらには彼女が見つめ続けてきた折々の海の姿がかたちを変えて隠れ棲んでいるように思われてならなかった。

しかも、その皺に折り込まれた時間の襞は、軽薄な時間の積み重ねしかしてこなかった私の目などからすると、途方もなく奥深いものであるように感じられた。さらにまた、その皺に棲み潜む海の広さは、海育ちであるはずのこの身が心の内に抱える海の広さに較べ、何倍も何十倍も広大なものであるようにも思われた。

そんな想いに駆られながら、黙々と海草を採取し続ける老婆の姿を憑かれたように凝視していると、同行の彼女が、「いったいどうしたんですか?」と、怪訝そうな口調で脇から声をかけてきた。はっとしてその声のするほうを振り向きながら、「時間と海が棲んでるんだよね」と呟くと、なんだかさっぱり訳がわからないといったような表情で彼女は私の顔をじっと見つめた。でも私はそれ以上説明はしなかったし、なぜか説明する気にもなれなかった。そのいっぽう、心の中では、「潮辺にて藻刈る嫗の……」と短歌まがいの一首をひそかに呟いていたのだった。

あれから17年の歳月が流れ去った。私の額の皺も歳のせいもあって当時に較べればかなり深くなったような気もするが、そこに刻み込まれた人生の時間の深さや心の海の広さとなるとさっぱりなような気がしてならない。昨今では売れっ子シナリオライターとして大忙しの彼女も、いまならばあの老婆の皺に刻まれていた時の深さや海の広さを即座に読み取ることができるのではないだろう。

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