自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 13 (静岡県伊豆半島にて)

ほのやかに白き肌より匂ひたつ
音なき言葉のつづる幻

(静岡県伊豆半島にて)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

遠い日の記憶というものはある部分だけが妙に鮮明で、それでいてまたある部分だけが妙におぼろげなものである。誰と一緒だったのかはむろんはっきりと憶えているが、この日の夜をどんなところで過ごし、どこでこの歌を詠んだのかをいまでは正確に想い出すことはできない。たぶん、あのあたりだったのではないかとは思うのだけれども、それを裏付ける確証ももはやない。ただ、西伊豆のとある海辺の集落で、晩秋から初冬にかけての月の美しい夜のことだったことだけは確かである。

当時は私もまだ二十代の若さであった。二人で浜辺に出て潮騒を耳にしながらしばし時を送り、語らいの合間にハーモニカを吹いたことは記憶している。しかし、明るい月光のもとで何を語り合い、どのような曲を奏でたのかは忘れてしまったし、夜の海辺の大気が冷たかったかどうかもいまとなっては定かでない。燃え立つ心と寄りそう二人の体温が寒さを忘れさせてくれていたのかもしれないけれど、すくなくとも寒かったという記憶がないことからすると、比較的暖かい夜のことではあったのだろう。

「二人だけの孤独」というものは、そこだけ外界から隔離された特異な時空界を形成する。永遠に続く二人だけの幻想の時間が流れ、大宇宙の営みをも包み込む不滅の空間が現出する。錯覚や幻覚という言葉は、時空の壁を超えて命のビーズを紡き伝えようとする二つのエネルギー体にとってもっとも無縁なものなのだ。いや、むしろ、錯覚や幻覚を確固たる存在と信じられる一瞬があればこそ、この世の生命体というものは種としてのおのれの子孫を、驚くほどのしたたかさをもって後世に残していけるのであろう。二人だけの孤独とは、遺伝子の奥に刻まれた太古からの生命継承のメカニズムによる生命体へのまたとない贈り物なのである。

宿に戻って温泉につかった。しかしながら、二人だけの孤独によってもたらされた過ぎし日の幻想空間の外に位置するいまとなっては、その宿が西伊豆のどこにあったのか知るすべもない。その海辺近い鄙びた宿はもともと幻の存在であったのかもしれない。湯上りのその人の肌はどこまでも白くそして匂やかだった。全身から立ち昇る不可思議な精気が、音として耳元に聞え伝わる言葉ではなく、無音のまま直接に心に響きしみいる言葉となって幻の世界をつむぎだしていた。幻であるがゆえにこそ、心底その存在を信じることのできる世界でもあった。

その撼えるような幻想の時空は、「現実」という名のいまひとつの幻影空間とすくなくとも等価ではあった。そして、それが命の滾(たぎ)りたつ人生の限られた一瞬にしか体感できないものであるという意味でなら、現実と称され、そこに立ち返るのが実生活者の当然の責務のごとくに言われている空間よりも遥かに貴重であることだけは確かだった。その夜、生まれた時のままの姿に立ち戻った我々は、互いの発する音なき言葉のつづりつむぐ幻想の時空へと飛翔し、太古からのメカニズムの命ずるままに融け合った。

あれから四半世紀以上の歳月が流れ去ったいまになってふと思いをめぐらすことがある。もう一度「二人だけの孤独」にひたり、あの確信に満ち満ちた「幻想の時空」を創出するだけの生命エネルギーが我が身に残されているだろうかと……。残されていてほしいとは思う。そして、もしそうであるならば、一夜か二夜だけ命の焔を燃え輝かせて息絶える蛍のように、幻想の時空をつむぎだしたあと生を終えてもそれはそれで構わないという気もする。考えてみれば、折々色紙などに記したりする「夢想一途」という言葉は、おのれのささやかな人生訓のひとつではなかったか……。

もっとも「二人だけの孤独」にひたるには、そんな孤独を探し求めるもうひとつの魂が必要になってくる。だが、この歳になったいま、そんな激しい魂をもつ相手に回り逢うことは至難の業でもあるだろう。一人だけの孤独にならいますぐにでも十分にひたることができるのだが、それではあの幻想の時空は生み出すことなどできるわけもない。

二人だけの孤独を分かち合えるような魂にこれから先運良く出逢うことがあるとしたら、大仰な海外旅行などではなく、もう一度伊豆半島あたりでも一緒にのんびりと旅してみたい。しかしながら、現実にはその可能性はもはやかぎりなく零に近いことだろう。もっとも、ハイゼンベルグを元祖とする量子論的見地に立って、確率的に零に等しい事象でも偶然に起こることがあるから未来の予測に絶対はないと信じるならば、話はおのずからべつである。ほのやかに白き肌より匂ひたつ

音なき言葉のつづる幻

(静岡県伊豆半島にて)

遠い日の記憶というものはある部分だけが妙に鮮明で、それでいてまたある部分だけが妙におぼろげなものである。誰と一緒だったのかはむろんはっきりと憶えているが、この日の夜をどんなところで過ごし、どこでこの歌を詠んだのかをいまでは正確に想い出すことはできない。たぶん、あのあたりだったのではないかとは思うのだけれども、それを裏付ける確証ももはやない。ただ、西伊豆のとある海辺の集落で、晩秋から初冬にかけての月の美しい夜のことだったことだけは確かである。

当時は私もまだ二十代の若さであった。二人で浜辺に出て潮騒を耳にしながらしばし時を送り、語らいの合間にハーモニカを吹いたことは記憶している。しかし、明るい月光のもとで何を語り合い、どのような曲を奏でたのかは忘れてしまったし、夜の海辺の大気が冷たかったかどうかもいまとなっては定かでない。燃え立つ心と寄りそう二人の体温が寒さを忘れさせてくれていたのかもしれないけれど、すくなくとも寒かったという記憶がないことからすると、比較的暖かい夜のことではあったのだろう。

「二人だけの孤独」というものは、そこだけ外界から隔離された特異な時空界を形成する。永遠に続く二人だけの幻想の時間が流れ、大宇宙の営みをも包み込む不滅の空間が現出する。錯覚や幻覚という言葉は、時空の壁を超えて命のビーズを紡き伝えようとする二つのエネルギー体にとってもっとも無縁なものなのだ。いや、むしろ、錯覚や幻覚を確固たる存在と信じられる一瞬があればこそ、この世の生命体というものは種としてのおのれの子孫を、驚くほどのしたたかさをもって後世に残していけるのであろう。二人だけの孤独とは、遺伝子の奥に刻まれた太古からの生命継承のメカニズムによる生命体へのまたとない贈り物なのである。

宿に戻って温泉につかった。しかしながら、二人だけの孤独によってもたらされた過ぎし日の幻想空間の外に位置するいまとなっては、その宿が西伊豆のどこにあったのか知るすべもない。その海辺近い鄙びた宿はもともと幻の存在であったのかもしれない。湯上りのその人の肌はどこまでも白くそして匂やかだった。全身から立ち昇る不可思議な精気が、音として耳元に聞え伝わる言葉ではなく、無音のまま直接に心に響きしみいる言葉となって幻の世界をつむぎだしていた。幻であるがゆえにこそ、心底その存在を信じることのできる世界でもあった。

その撼えるような幻想の時空は、「現実」という名のいまひとつの幻影空間とすくなくとも等価ではあった。そして、それが命の滾(たぎ)りたつ人生の限られた一瞬にしか体感できないものであるという意味でなら、現実と称され、そこに立ち返るのが実生活者の当然の責務のごとくに言われている空間よりも遥かに貴重であることだけは確かだった。その夜、生まれた時のままの姿に立ち戻った我々は、互いの発する音なき言葉のつづりつむぐ幻想の時空へと飛翔し、太古からのメカニズムの命ずるままに融け合った。

あれから四半世紀以上の歳月が流れ去ったいまになってふと思いをめぐらすことがある。もう一度「二人だけの孤独」にひたり、あの確信に満ち満ちた「幻想の時空」を創出するだけの生命エネルギーが我が身に残されているだろうかと……。残されていてほしいとは思う。そして、もしそうであるならば、一夜か二夜だけ命の焔を燃え輝かせて息絶える蛍のように、幻想の時空をつむぎだしたあと生を終えてもそれはそれで構わないという気もする。考えてみれば、折々色紙などに記したりする「夢想一途」という言葉は、おのれのささやかな人生訓のひとつではなかったか……。

もっとも「二人だけの孤独」にひたるには、そんな孤独を探し求めるもうひとつの魂が必要になってくる。だが、この歳になったいま、そんな激しい魂をもつ相手に回り逢うことは至難の業でもあるだろう。一人だけの孤独にならいますぐにでも十分にひたることができるのだが、それではあの幻想の時空は生み出すことなどできるわけもない。

二人だけの孤独を分かち合えるような魂にこれから先運良く出逢うことがあるとしたら、大仰な海外旅行などではなく、もう一度伊豆半島あたりでも一緒にのんびりと旅してみたい。しかしながら、現実にはその可能性はもはやかぎりなく零に近いことだろう。もっとも、ハイゼンベルグを元祖とする量子論的見地に立って、確率的に零に等しい事象でも偶然に起こることがあるから未来の予測に絶対はないと信じるならば、話はおのずからべつである。

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