自詠旅歌愚考

自詠旅歌愚考 17 (北海道サロベツ原野にて)

花ばなよ萌え咲き結ぶ営みを
幾たび経しやサロベツの野に

(北海道サロベツ原野にて)

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

サロベツ原野を初めて訪ねたのはもうずいぶんと昔のことである。季節は夏で、確か七月上旬のことだった。東西七キロメートル、南北二八キロメートルに及ぶというこの広大な原野は、当時まだ道路や諸施設が現在のようには完備されていなかったこともあって、北辺の地特有の見るからに荒涼とした雰囲気をいたるところに留めていた。聞きかじりなので真偽のほどは定かでないが、サロベツとはアイヌ語で「無限に大きな広がり」とか、「無数に河川や沼地のある広野」とかいった意味を表わす言葉なのだそうである。

この初探訪に際しては、天塩川北岸の河口に遠くないあたりから、現在立派なビジターセンターの置かれているあたり目指して北上した。地図を頼りに、ペンケ沼、パンケ沼をはじめとする大小の湖沼や河川の混在する湿地帯を抜けたのだが、凹凸だらけの細いダート路が複雑に分岐しながら沼地を縫ってくねくねとのびており、車の走行にはずいぶんと苦労した記憶がある。その地に差しかかったのがたまたま日没後の時刻だったこともそんな苦労の一因ではあったかもしれない。そのかわり、途中で両目を虹色に輝かせてライトに浮かぶキタキツネとの遭遇があったり、そのまま進んでほんとうに目標地点に到達できるのかどうかといったまるで迷路の中をさまよっているような味わいもあって、スリルとサスペンスに富んでいることしきりだった。

まだいまほどは設備の整っていなかったサロベツ原野中央の駐車場に着くと、そこでその晩は車中泊したのだが、どちらを向いても遮るもなどなにひとつない広大な星空がなんとも印象的だった。東京あたりだと北寄りの空に位置する北斗七星が天頂近くに位置していて、無言のうちにこの北辺の地の緯度の高さを誇示していた。芥川龍之介の「杜子春」のなかには峨眉山頂から北斗を眺めるくだりがあるが、なぜかその情景がサロベツ原野の天空を廻る北斗の光景と重なって見えたりもした。

翌朝は日の出とともに目が覚めた。外気は冷んやりとしていが、三六〇度どちらの方向を見上げても、雲ひとつない青空だった。観光客がやってくるにはまだ早い時刻とあって、遠く広がるサロベツ原野の中に立つのは私ただ一人だけだった。いまの時代だったなら、夏の観光シーズンにはキャンピングカーなどによる来訪者もずいぶん多いから、たとえ早朝であったとしてもサロベツ原野の風景を独占するなど望むべくもなかったろう。偶然とはいえ、サロベツの夜の静寂ばかりでなく明るい朝の静寂をも合わせ知ることができたのは、ある意味で大変恵まれたことだったのかもしれない。

サロベツの野はおりしもエゾセンテイカ(エゾカンゾウ)の花盛りであった。目にしみるほどに黄色の鮮やかなエゾセンテイカの花が、そよ風に揺れながら広い原野を一面に覆い尽くす有様は聞きしに勝る素晴らしさだった。サロベツ原野の西方にその特徴的な山影をのぞかせている利尻富士も、かねて噂に聞いていた通りの秀麗さであった。一帯の草原や湿原をあちこちを覗き見しながらのんびりと歩きまわっていると、エゾセンテイカ以外にも白、赤、紫などの小さな花々がそれぞれの存在をささやかに誇示しながら咲いているのが目にとまった。

一見したところでは相対的に大振りなエゾカンゾウの鮮烈な黄色に圧倒されているように思われたけれども、それらの小さな花々は小さいなりに凛とした気品と精気を湛えて咲いており、その健気な姿はなんとも愛おしいかぎりだった。また、それら大小の花々の間を飛びまわり、あるいは這いまわり渡り歩きながら、様々な昆虫たちが自らの命の系譜を次世代へと伝え遺そうと必死に働き続けていた。裏を返せば、そんな無数の昆虫たちのたゆまぬ活動のお蔭で、サロベツの花々のほうもそれぞれに実を結び、それを繰り返すことによって厳冬期の過酷な自然環境にも耐え、代々の子孫を遺し伝えてくることができるのだった。

サロベツ原野の西端部には、日本海に沿うようにしてオロロンラインがのびている。かつて一帯に棲息したオロロン鳥(ウミガラス)にちなんだ名をもつこの道路は、利尻島の美しい眺望と夕陽の美しさとによって以前から旅人たちには知られていた。いまでこそオロロンラインは完全舗装の立派な観光道路となり休憩所や自然観察棟などの付属施設も完備しているいるが、当時はまだ道幅も狭くてあちこちにダートの部分が残っており、舗装部分であってもいたるところに凹凸があったりした。休憩所なども、ごく簡素な造りのものが、たまにしかやって来ない気まぐれな旅人を待ち侘びてぽつんと建っているだけだった。

ただ、それほどには開発が進んでいなかったぶん、オロロンライン周辺の自然も手つかずのまま残っていて、それなりに深い味わいと趣きとが感じられた。いたるところに紅やピンクのハマナスが咲き乱れ、点在する道路脇の小さな沼や湿地では、アヤメ科の花々が夏の海風と戯れでもするかのように紫紺の花弁を揺らしていた。海のすぐ近くのとある小沼には、思わず息を呑むほどに美しい黄金色の小さな蓮の花が咲いていた。エゾハズの一種であるらしかったが、その澄んだ金色の輝きには見る者の心を瞬時に魅了し浄化してしまう不可思議なまでの力があった。その凛然とした黄金色は俗世間の垢にまみれた黄金色とは明らかに違っていた。

道北一帯の夏は短い。サロベツの野の草花は、まるでその短い夏の一刻一刻を惜しむかのように大地を突き分けて芽吹き、風雨をも霧をも厭わずに花開き、それぞれに実を結び、そして、それからほどない秋の到来とともに枯れていく。夏以上に短い秋が冬将軍に追われるように走り去ると、広大な原野は一面厚い氷雪に覆われ白一色の極寒の世界と化してしまう。夏の間に地上や地中のあちこちに托し遺された種子や球根は、長いながい冬に耐え、晩春から初夏の頃にまた一斉に芽吹きはじめる。自種保存のためとしか言いようのないこの生命のドラマは、気の遠くなるような歳月を超えてこれまで繰り返し営み続けられてきたし、これからもまた果てしない時間を超えて繰り返し営み続けられていくことになる……。

なんのためにそんな営みをするのだと問うてみたところで、むろんそれらの花々が答えてくれるはずもなかった。その営みのなかには子孫を残すこと以外の目的があるのかと問うてみても、やはり花々は無言のまま風に揺れ続けるだけでだった。そこでさらに、なにか他に楽しみや喜びがあるのかと訊ねてみてもみようとした。だが、サロベツの花々は北の大地の自然の摂理に毅然として身を委ね、古来承け継いできた自らの定めにひたすら従おうとするばかりだった。いつの頃からその営みを繰り返してきたのかくらいはせめて知りたいと思ったが、なおどの花も黙として語らず、折からの陽光に身を委ね緑の風と戯れるばかりだった。

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