翁独り多摩の河原に冬を釣る
嵐雪の皺なほ足らぬごと(東京多摩河畔にて)
冬の多摩川べりを土手伝いに散歩していると、大きな堰堤のそばに出た。北風のかなり強い寒い日のことだったので、あたりに人影はほとんどなかった。何気なくその堰堤脇の河原に目をやると、厚手の古着に身を包んだ老人が独り釣り糸を垂れているところだった。もちろん多摩川にはコイ、フナ、ハヤといった川魚はたくさん棲息しているが、真冬という時節柄からして魚の動きが活発だとは考えられなかった。いったい何を釣っているのだろうかといささか気になった私は、まるい背中を見せて川面を見やる老人のほうへと近づいていった。
七十代半ばくらいかと思われるその老人は、小さな組立て椅子に腰を下ろし、こころもち背中をまるめた姿でじっと前方を見つめていた。背後から近づくこちらのけはいを感じても、それを気にする様子などまるでなかった。私がすぐ脇に並んで立っても、老人は無言のままで相変わらず川面を凝視したままだった。
釣り竿の根元は老人の足元の地面に固定されていたが、竿の先端とそこから垂れる水糸は折りからの風に煽られ小刻みに揺れ動いていた。赤いウキが風下に流され、竿先の糸が斜めにピンと張った状態になっても、老人はそんなことなどまったく意に介していないふうであった。老人の両手の指は軽く組まれ、股間にそっと添え置かれていた。
何か釣れますか?――私がそう問いかけると、一瞬老人はこちらに顔を向け、かすかに笑みを浮かべたようにみえた。しかし、相手はなおも無言のままで再び前方に視線を戻し、不動の姿勢をとって川面を睨んだ。いや、一応は川面を見つめてはいるものの、どこか空ろなその視線の向けられている先は、老人自身の体内深くに眠る遠くかすかな記憶の世界なのではないかとも思われた。かたわらにポリバケツが一個置かれてはいたが、そのなかにはコイやフナはむろん、一滴の川水さえもはいっていなかった。
老人の黒ずんだ顔や日焼けした感じの両手には無数の深い皺が刻まれていた。私には、その皺の一筋ひとすじが、この老人の人生における嵐や風雪の凄まじさを物語る痕跡にほかならないように思われてならなかった。吹き抜ける風は冷たかったが、老人はそんなことなどいっこうに気にしていない様子だった。むしろ、その風の冷たさを楽しんでさえいるかのようであった。
釣り竿の先は時折激しく風に震え、さざなみだつ水面にあって、ウキは絶え間なく小刻みに上下していた。私はしばらくその様子をじっと見守っていたが、その間一度も老人は釣り竿を持ち上げウキ下の仕掛けの状態を調べてみようとはしなかった。釣り針に餌がついているのかどうかさえ疑問だったが、私にそれを確かめるすべはなかった。歴史に名高い周の太公望は、針のついていない釣り糸を水中に垂れ、おのれに大きな機運がめぐってくるのを待っていたという伝説があるが、眼前の老人にはとてもそのような大望があるなどとは考えられなかった。
この老人が釣ろうとしているものは冬そのものに違いない――その時突然、そんな思いが私の脳裏を駆け抜けた。厳しい冬の時間を釣る――より的確な言い方をすれば、老人は自分に残された最後の時間を餌にして、よりいっそう嵐雪の吹き荒れる人生の冬そのものを釣り上げようとしているのだと感じられてならなかった。
老人の顔や両手の皮膚に深く刻まれた皺の数々は、冬という名の勲章であって、この不可思議な人物はそれでもなお足らぬとばかりに厳しい冬を求めて独り釣り糸を垂れている。そしてもう誰にもそれをとめることはできない――そんな思いを胸の中に抱きながら、ある意味では孤高にさえも見えるそのうしろ姿を、私はいつまでもいつまでも眺めていた。