日本列島こころの旅路

第14回 原子力発電所災害に思うこと(その4)

中央制御室を見学したあと、最後に案内されたのは原子炉冷却用海水が絶え間なく流出入している取排水口だった。案内担当者の説明によると、取水口は幅50m、水深10mほどで、毎秒330?もの海水がそこから流れ込み、原子炉の冷却システムを一巡したあと7度も温度が上がった状態で排出されるとのことだった。余熱だけでも毎秒33万キロカロリーもの熱量が放出されているというのだから驚くほかはなかった。

続いて案内された排水口からは、かなり大きな排水池に向かって激しく噴流が迸り出ていた。また、大量の排水を一時溜めおく排水池と海との間には、高温の排水が直接拡散される範囲をなるべく狭めるために工夫された有孔消波堤があって、その下部にある孔から冷却用水は海へと戻されるようになっていた。この種の排水から微量の放射能が検出されたとか、排出される海水が高温なため周辺の海域の環境が変化し漁業に悪影響がでたとか、逆に高温が幸いして一部の魚類が繁殖しやすくなったとか、科学的根拠がいまひとつはっきりしないままに、当時から様々な議論が繰り広げられていた。

一通り原発内を見学し終えた我々は、再びゲートで厳しいチェックを受けたあと、入構した時と逆のコースを辿ってPR館前の広場に戻り、そこで専用バスから降ろされた。案内担当者は、我々との別れ際に、「ご覧いただきましたように、きわめて安全に発電事業を遂行しています」と念を押すのを忘れなかった。だが、初めから終わりまでこうも安全の二文字をオウム返しに連発されると、かえって胸に疑念が湧き上がり、「はい、そうですか」と素直に応えられるような気分ではなかった。なお、大飯原発見学を終えた翌日以降には、その周辺に住む原発技術者や下請けの原発労働者数人を直接取材し、率直な意見を聴かせてもらうこともできた。むろん、取材に際しては、相手に迷惑がかからないように十分な配慮をすることも忘れなかった。

18年前の当時においても、原発の提起する問題の本質は昨今のそれとほとんど変わりなかった。東京に戻った私は、大飯原子力発電所見学の際の具体的な様子のほか、一連の原発関係者の取材を通して得た様々な情報、さらにはその頃の電力事情に対する社会的風潮などに鑑みながら、なるべく冷静かつ客観的な視座に立って原発問題に関する私見を纏めてみることにした。そのため、その手稿の前半部では既に述べてきたような大飯原発探訪の体験記を、そしてその後半部では以下に続くような内容の私的考察を書き綴った。

その数値の正しさには多少の異論もあったとはいえ、全国平均で30パーセント弱、関西電力の場合には45パーセント前後という当時の原発依存率からすると、原子炉号はすでに日本国民を乗せて空高く離陸してしまっているのだと言わざるを得なかった。またそうだとすれば、無事に目的地に着陸するまで、すなわち、より安全な代替エネルギー技術が確立されるまでは、原子炉号のパイロットをはじめとする乗務員も、我々一般乗客も事態を十分認識し、協力し合ってその安全飛行に尽力するほかはないように思われた。

原発を即刻全廃することがほんとうに可能だとすれば、むろんそれがベストだと考えてはいた。だが、大規模な自然破壊につながる発電用大型ダムの建設、二酸化炭素や窒素化合物の排出を伴う化石燃料依存型発電所の増設は限界に近づき、太陽光・風力・地熱等の自然エネルギー利用の発電にはお技術的課題が山積みしている実状を思うと、その時点での原発全廃は容易でないに違いなかった。正常に機能している原発を完全に廃炉にし、使用済み核燃料類を安全に処理するだけでも30年以上の歳月とそれなりの人材や技術が必要となことは明白だったからである。また、原発の即時廃止を叫ぶ以上は大幅節電を覚悟しなければならないが、そのような事態になれば、地域によっては社会機能が痲痺し、経済界や産業界が混乱に陥ることが避けられないのも事実だった。

私自身はいざとなったら何十年も前の生活に戻る覚悟はできていたし、もともと田舎育ちの身だったので、ランプ、井戸水、汲み取り式トイレ、屋外労働つきの生活を厭いはしなかった。だが、そんな私的心情論を振りかざして時代の大きな流れに立ち向かってみても、それはほとんど無意味に等しかった。歴史的に見ても技術文明の流れを逆行させることに成功した事例はなく、いったん便利な生活環境に慣れてしまうと、それが当然だと思うようになり、戦争その他のよほどの衝撃的な事態でも起こらないかぎり容易には元の状態に戻れないのが人間のさがというものだった。生活環境や生活レベルを何十年も昔の状態に戻したとして、現実にそれに耐えていける人がいったいどれだけいただろうか。

自然が豊かな田舎にひきこもり、極力、省エネルギーの精神にのっとった人間本来の生活を営めという主張にも一理はあったろうが、国全体の問題として考えてみるとき、そのような主張は空論以外のなにものでもなかった。その種の議論が如何に非現実的なものであるかを知るには、大都市に住む人々がこぞって自然に恵まれた地方への移住を試みはじめたとすれば、どのような事態が生じるかを想像してみるだけで十分だった。既に、我々は原発の運転にともなうリスクの幾莫かを自らも背負う覚悟をもってエネルギー問題に対処するかない状況に追い込まれていたのである。

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