日本列島こころの旅路

第13回 原子力発電所災害に思うこと(その3)

次に案内されたのはタービン建屋見学室だったが、そこへ向かう途中の回廊の窓からは3号機の原子炉本体を格納した高さ80メートルのドーム型建屋が眼前に大きく迫って見えた。近くで眺めると想像していた以上の迫力である。ここにこうして鎮座したからには、なまじっかなことでは動かないぞ、という原子炉の威丈高な声がいまにも聞こえてきそうだった。じっとその光景を見つめる私の耳元で、「我が国の原子炉は十分に安全な設計になっています。もっともソ連の原発は壁があってないようなものだそうですが……」と囁いた案内担当者の自信たっぷりな言葉を昨日のことのように思い出す。

タービン建屋見学室からは巨大な発電用タービンを眺めることができた。蒸気発生器で生じた蒸気が猛烈な勢いでそのタービン内に吹き込まれ、発電機につながる羽根車を回転させているのが見えた。厚いガラス越しに見ているせいか、それともタービン内の2次循環系が完全に外部と遮蔽されているせいか、タービンの回転音やそれに伴う振動音はまったく伝わってこなかったが、この一基の発電タービンだけで、118万kW/時の発電をおこなっていることだけは確かであった。

内部施設の最後の見学場所は、原発の頭脳ともいうべき中央制御室(写真)だったが、見学ルームに入る前に案内担当者が再度IDのチェックを受けるという、二重三重のガードの固さだった。チェックが終わって通された見学用のガラスルームの奥には、SF映画そのままの世界が広がっていた。壁面いっぱいに並ぶ各種計器類やモニター群、そして、それを見守りながら働く制御要員の姿が見えた。原発一基につき39人の制御要員がいて、1チーム13人からなる3チームに別れて三交替制で任務にあたるのだとのことであった。

その中央制御室のみを見ている限りでは、何もかもが完全にコントロールされ、事故が発生しても何重もの安全チェック機能が働いて、大事故にいたる前に的確な対応処理がなされるような印象をもたされた。端的に言えば、そこは、科学理論の正確さ、数値データによる原子炉制御の寸分の狂いのなさをアピールするのに一役買っていたし、もともとそのことを意図した設計にもなっていたのである。最後にここに案内された見学者の多くは、「なるほど、十分な安全管理のもとにすべてのプロセスが正確無比に機能している。原発というものはなかなかのものだ」という思いを抱かされるというわけだった。

残念ながら、当時大きな問題になっていた高レベル放射性廃棄物処理のプロセスや低レベル放射性廃棄物の具体的な処理や保管状態についての説明は一切なかった。見学コース自体が、その種の問題があることさえついつい忘れさせられてしまうような、独特の雰囲気をそなえた構造になっていたのだ。美しい女性たちが高級な料理を食べる様子を見ていると、彼女たちはすべてを完全に消化し、排泄など一切しないようにさえ思えてくることがあるが、どこかそれに似た感じがしないでもなかった。そこで、ちょっと意地の悪い質問かなとは思ったが、放射性廃棄物の処理はどうしているのかと案内担当者に尋ねてみた。喩えは悪いが、この原発美人はどこでトイレを済ませているのか、またその排泄物の処理は誰がどのようにしておこなっているのかと訊いてみたわけである。

相手は一瞬口籠ったが、すぐ慎重に言葉を選んで、「その問題については、国からの指示を待っているところですが、当面、使用済み核燃料や低レベル放射性廃棄物は当所の地下貯蔵庫に安全かつ厳重に保管されています。いずれは危険のないような完全な処理がなされるはずです」と答えた。裏を返すと、それは、「電力事情が逼迫しているので、原発に依存せざるをえません。当然放射性廃棄物は出ますが、当面それらは保管しておくしかありません。最終的にどう処理するかは国レベルで検討してもらわねばならないことで、その結論待ちなのですが、なんとか安全に処理する方法は見つかると信じます」ということにほかならなかった。

使用済み核燃料の再処理後に残るストロンチウム90、セシウム137、アメリシュウム241など、俗に「死の灰」と呼ばれる高レベル放射性廃棄物の最終処理をどうするかについては、科学技術庁や電気事業連合会がその当時ようやくその処理のための対策推進準備会を発足させ、検討を始めたばかりであった。そのままなら液体状で残留する高レベル放射性廃棄物は、まず、水分を蒸発させて濃縮し、ガラスと混ぜて固め、直径40センチ、高さ1.3メートルほどのステンレス製の専用容器に入れられる。そして、1995年青森県六ケ所村に完成予定の「廃棄物管理施設」などで30年から50年間保管され、そのあと地下深くに埋め込むという最終処分が行われる予定であった。

ただ、当時はまだその問題に関する最終的な決定は行われておらず、2000年頃をめどに、最終処分場を建設・運営する組織形態を決めるほか、立地に伴う地域新興策などを検討しようという段階に到達したばかりであった。最終処分場の問題に関しては、福島第1原発の事故が起こった2011年現在においても依然として結論は出されていない。

カテゴリー 日本列島こころの旅路. Bookmark the permalink.