日本列島こころの旅路

第7回 古都奈良から月下の大台ケ原へ(その1)

昨年の晩秋の一日、久々に愛車を駆って古都奈良を訪ねた。平城遷都1300年記念事業の一環として催された「夢の光が照らす文化と歴史」という一風変わった講演会に臨席するためである。ほとんどの方には馴染みがないかもしれないが、兵庫県の佐用町に「SPring-8(スプリング・エイト)」の通称で知られる光科学の研究センターがある。正式には「理化学研究所播磨研究所・放射光科学総合研究センター」という大規模研究施設で、国内外から集まる研究者たちが、その施設のシンクロトロンの生み出す高輝度放射光を用い世界最先端の物質科学研究を行っている。あの「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った極微粒子の本格的な分析調査もこの研究施設で行われることになっている。東大寺脇の奈良県新公会堂能楽ホールで開かれたこの日の講演会はそのSpring-8の主催で、東京藝術大学が協力、文部科学省・奈良県などが後援というかたちをとっていた。

古都奈良において世界最先端の光科学研究センター主催の講演会が開かれたと言うと首を傾げたくなる方もあるだろうが、1300年ほど前のこの奈良では当時の最新科学知識や最新科学技術を駆使して都の建設が進められていたことを思えば、それは決して場違いなことではない。Spring-8ではネイチャーやサイエンスといった世界の一流科学誌の表紙を飾るような研究が次々と遂行されているのだが、光科学という特異な分野のことでもあるため、一般にはその研究の重要性がほとんど認識されていない。だが、実のところは、現代の高度な光科学の研究は一見無縁にも映る古代の歴史文化の研究に大きく貢献している。そんな事実を知ってもらおうという狙いもあって、先端光科学研究の世界と古代歴史文化研究の世界とのコラボレーションによる講演会が実現したというわけなのである。

現在私はフリーランスの身であるが、先方からの要請を受け、一昨年の秋から昨年の春にかけてSpring-8の学術成果集執筆に携わった。また、以前、長年にわたり東京藝術大学大学院の客員講師を務めてもいた。そのような縁もあって、非力な身ではありながらも双方を繋ぐかたちでその場に顔を出すことになっていた。当日の会場ロビーやその周辺の壁面には、ツタンカーメン王の黄金マスクの精緻な小型複製模型や各講演者の研究を紹介する諸々の資料が展示され、多くの来場者の目を引いていた。また会場となったこの公会堂の裏手には壮麗な造りの日本庭園が広がっていて、一段と雅(みやび)な雰囲気を醸(かも)し出していた。

座席数500席ほどの能楽堂の最前列に陣取らされた私は、能舞台を見上げるようにして講演会の成り行きを見守った(写真)。こころなしか控えめに構える主催者の理研やSpring-8側の短い挨拶が終わったあと、「アートとサイエンスの融合」という演題で基調講演に立ったのは宮廻(みやさこ)正明藝大教授だった。日本画家で、藝術作品の保存修復の専門家でもある宮廻教授は、「芸術の世界では創作と保存とは相互に影響し合い進歩を遂げてきたものの、伝統的に目視に依存してきた文化財補修や美術史研究が、その時代の最新科学と連携し発展することはほとんどなかった。だが、近年、芸術と科学とが融合することによって、目視では不可能だったさまざまな情報が得られるようになり、それらをもとにして高度な文化財修復を行ったり、これまで見ることのできなかった文化芸術の奥の世界に光を当てたりすることができるようになった。もっとも、いま何よりも修復を急がなくてはならないのは我々現代人の心のほうなのかもしれないが……」という趣旨の講演を行った。

講演の中で、宮廻教授は、Spring-8でも物質研究に用いられている解析手法の一つ「蛍光X線分析法」が、修復対象の文化財の内奥に隠された貴重な情報の把握に大きく貢献している事例などを紹介した。古い書画の外縁部や裏張りなどを現代の先端技術で調べると、ほんの僅かな糸屑の断片からだけでも、用いられている絹糸の種類や特徴、経年数、劣化度までがわかるという。そのデータは、書画の正確な制作年代の特定のほか、修復用の絹糸をX線照射により書画実物の素材の状態に合わせ意図的に劣化させる作業にも役立っているようだ。従来は確認できなかった国宝級の仏画などの裏彩色の意義や、制作過程における隠された構図、過去の修復が原作品に及ぼした影響などを知ることもできるらしい。

さらに面白かったのは、従来の修復技術が現代の先端科学技術と結び付けば、文化財の復元や精巧な複製が可能になり、保存修復学の世界に「創造」や「創作」の要素が導入されるかもしれないという発言だった。宮廻教授は、対をなす文化財の掛軸の図柄や素地を詳細に分析した大院生が本来は3軸で1組の構成になっていたはずだと推定、現存しない残りの1軸を創造的に復元した事例を映像で紹介したが、古びた感じも含め実に見事な出来栄えであった。また、かなり劣化し茶色にくすんだ高句麗古墳壁画「朱雀」の現状写真と現状模写図の映像に加えて、色鮮やかな再現壁画の映像を紹介した。科学的分析に基づき図柄や色彩はむろん、壁面の材質やその手触りまでも再現したのだという。現代人が忘れて久しい触感による古代壁画の鑑賞復活というわけなのだった。

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