信州佐久平方面から眺めると、残雪を戴く蓼科山(2530m)の頂上はそこだけまるみを帯びていて、ちょうどお正月のお供え餅みたいな形に見える。そのため、佐久地方の人々は蓼科山のことを「お供え山」と呼ぶのだそうだ。瑞々しい若葉の一面に輝き匂う五月の佐久平から仰ぐ蓼科山は、たしかにお供え餅そっくりであった。八ヶ岳連峰の北端に位置する蓼科山は諏訪方面から眺めると高く聳える円錐台形の独立峰に見える。蓼科山には若い頃一度だけ登ったことがあるのだが、諏訪側からだと真っ平に見えるその頂きが一面ごつごつした大きな溶岩で覆われているのを知って驚いたものだった。だから、今度の旅でたまたま佐久側から目にしたそのまろやかな頂きの形は、私にすればなんとも意外なかぎりだった。
その蓼科山から北東にのびる尾根筋上の一角に、圧倒的な迫力と存在感をもつ近代科学の「お化け」が聳え立っているとは以前から耳にしていた。かつて「この一冊で宇宙の不思議がわかる」(三笠書房知的生き方文庫)という本を執筆した際にも、種子島宇宙センター並びに筑波宇宙センター所長を歴任した共著者の菊山紀彦氏からその話を聞いたことはあったのだが、そのお化けとの対面はいまだに成らぬままであった。ところが、この五月、ある取材のためにシチズン・ミヨタの代表取締役の前川祐三氏を訪ねた折に、よかったらそのお化けを見物に行かないかとの思いがけない誘いを受けたのだった。元シチズン本社中央研究所長兼取締役で精密工業のエキスパートである前川氏は、くだんのお化けともすくなからず縁のある人物だったので、こちらとしてはこのうえなく有難い話だった。
ただ、いくら旧知のよしみあってのこととはいえ、佐久地方では高名なシチズングループ中核企業の現社長を運転手兼案内役にしてウイークデイの真昼間からお化け見物に出かけるなど、世の常識からしてみると顰蹙ものもいいところではあった。前川氏のことだから表向きにはもっともらしいなんらかの口実をもうけたに違いないが、それがどのような口実だったのかはついつい聞きそびれてしまった。ジーンズに薄手のジャケット、さらにはノーネクタイという出で立ちで社長室に押しかけた「変な奴」をそれなりに説得力のある人物像に仕立てるにあたっては、前川氏にもそれなりの苦労があったことだろう。
浅間山麓に位置する御代田町のシチズン・ミヨタをあとにした我々の車は清里方面へとのびる国道141線号を南下し、佐久市臼田の下小田切で南西方向に分岐する道路に入った。舗装はされていたが対向車とのすれ違いも楽ではない一車線の道で、近代科学のお化けの棲む場所へと続く唯一の通行路としては意外なほどに細かった。野次馬根性旺盛な連中に大挙してお化け見物に押しかけられても困るというお化けの管理者の意図があってのことかとも思ったが、お化け見物はむしろ大歓迎だとのことだそうなので、道路の狭さの原因はもっぱらお化けの存在意義に対する道路行政当局の無理解さにあるようだった。
下小田切から30分ほど山道を登ると、突然、前方に白く巨大なお化けの姿が浮かび上がった。ご丁寧なことにその地点の車道左側には駐車帯が設けられてあった。どうやら遠来の見物客がお化けの全体像を眺めたり写真に撮ったりするにはそこが最適のスポットだという暗黙のメッセージでもあるらしかった。すぐそばまで近づくとあまりに相手が巨大すぎて全体像を掴みづらくなるから、まずはそのあたりで一通りのイメージを押さえておいてもらって、そのあと間近で見物をという配慮があってのことだったのだろう。
それからほどななく、我々は問題のお化けを管理している特別な施設へと到着した。その施設とは宇宙航空研究開発機構付属の臼田宇宙空間観測所であった。ゲート脇の受付で簡単な記名手続きをすませると、すぐに構内見学が許された。駐車場で車を降りた私の頭上に大きく広がりのしかかってきたのは、文字通り巨大としか言い表しようのない真っ白なパラボラアンテナの姿だった。むろん、それが近代科学の生み出した「白いお化け」の正体であった。息を呑み圧倒されるままに見上げる私に向かって、そのパラボラアンテナは「どうだ!」と言わんばかりの威容をもって迫ってきた。聞きしに勝るその存在感に私がしばし言葉を失ったのも当然のことだった。
放物曲面反射鏡部の直径64m、全重量1980tというとてつもない規模をもつこのパラボラアンテナは1984年に完成し、各種の宇宙研究や宇宙開発に運用されるようになった。これほどに巨大なアンテナを保有するのは日本以外ではアメリカとロシアだけであるという。この特殊なパラボラアンテナは、八ヶ岳山麓の野辺山にあるような宇宙の諸天体からの電波などを観測する電波望遠鏡のそれとは用途が異なっている。惑星や彗星のような天体に接近して観測を行なう深宇宙探査機に向かって動作指令を送信したり、探査機からの観測データを受信したりするのが、この巨大パラボラアンテナの役割なのだ。遠い宇宙空間を飛行する探査機からの微弱な電波を受信するには、妨害電波や各種ノイズがすくなく、しかも、きわめて地盤の安定した場所に大型パラボラアンテナを建設する必要があった。標高2000mを超える人里離れたこの地がアンテナ設置場所に選ばれたのはそのような理由からなのだった。
上下左右任意の方角に向きを変えることのできるこのアンテナの主鏡面パネルの総面積は3350m2で、曲率の異なる11種類のアルミ製パネル1152枚を組み合せてその放物曲面反射鏡が構成されている。このアンテナで受信された探査機からの信号電波は低雑音増幅器で増幅されたあと光信号に変換され、同じ敷地内にある研究棟に送られる。研究棟ではその光信号データを解析処理して観測データや探査機各部の機能状況を示すデータを得るとともに、距離信号を抽出して探査機までの距離や距離の変化率などを測定する。そして、それらのデータは、研究者チームのいる神奈川県の相模原キャンパスの管制センターに送られている。
また、探査機への指令データや巨大パラボラアンテナをはじめとする臼田観測所の機器類の制御指令データなどは、相模原キャンパスの管制センターから通信回線を通して研究棟に送信されてくる。研究棟では探査機への指令データを指令信号に変換し、距離測定用信号とともにパラボラアンテナに送り込み、宇宙を飛行する探査機に向けて発信する。そのため、それと同時に、機器類制御指令データに基づいてアンテナが探査機の位置する空間へと向けられ、観測所の各種送受信機が作動させられる。
それら一連の信号電波を的確に処理するにあたっては電波の周波数をきわめて正確に測定識別しなければならないが、そのためには超高精度の時刻測定装置が不可欠になってくる。超高精度の原子時計というとセシウム原子の振動を利用した原子時計が知られているが、この臼田宇宙空間観測所ではとくに水素メーザという原子時計を用いて、周波数基準信号と時刻信号を発信しているとのことだった。案内してもらった前川氏の話だと、この水素メーザ原子時計は1億年に1秒程度の誤差しか生じないほどの精度を有しているという。それほどまでの精度がどうして必要になるのかと門外漢ならではの愚問を発すると、宇宙に飛び交う各種類似電波を正確に識別したり、超遠距離にあるクエーサーからの電波を利用して高精度の測地をおこなったりするためには、その水準の高性能時刻測定装置がどうしても必要だとの返事が戻ってきた。
臼田のこの巨大パラボラアンテナは、1986年のハレー彗星探査機「すいせい」、我が国初の人工惑星「さきがけ」、スイングバイ技術習得のための工学試験衛星「ひてん」、深宇宙観測用の電波天文衛星「はるか」、さらには、結果的に失敗には終わったが火星探査機「のぞみ」などの制御や観測データの送受信に掛け替えのない貢献を重ねてきた。また、2003年に打ち上げられて小惑星イトカワに着陸し、その成分サンプルを採取して地球への帰還を目指している小惑星探査機「はやぶさ」の追尾制御においても大活躍をし、いまや日本の宇宙科学ミッションには欠かせない存在となっている。
無料で一般公開されているにもかかわらず、このパラボラアンテナ見学に訪れる人はいまだにきわめてすくないらしい。研究棟は非公開だが、敷地内には見学者のための展示棟などもあり、探査機の管制制御の様子をわかりやすく解説したビデオのほか、パラボラアンテナや探査機の模型展示、衛星や惑星の重力を利用したスイングバイやフライバイといった探査機加速制御技術の紹介なども行なわれている。研究棟前から観測所入口までの小径沿いには55億分の1に縮小した太陽系の模型が配置されており、歩きながら太陽系の大きさがイメージできるようにもなっている。
高所にある観測所周辺からの景観はなかなかのものだし、途中の道路沿いには多様な植物類も自生しているから、宇宙科学ばかりでなく自然科学全般に興味をもつ小中学生などには格好の探索ツアールートとなるのではなかろうか。見学を終えた我々は、未来を担う子供たちにこそもっとこのような施設を見学させるべきだと語り合いながら、白く巨大な科学のお化けの棲家をあとにした。
ちなみに、見学などについての照会先は、臼田宇宙空間観測所(TEL:0267-81-1230)、または、宇宙航空研究開発機構広報部(TEL:03-3438-6111)となっている。基本的には年中無休で、見学時間は10:00~16:00となっているようだ。