エッセー

32. ノンポリ人間の戯言

夏の参議院選挙を睨み、政界の動きが慌ただしい。あちこちの地方を旅していても、参院選を意識したあの手この手のポスターが、ずいぶんと目につくようになってきた。各政党ともマスメディアを通じて、あれこれと見かけだけは立派な政治理念や政策要綱を並べ立て、本番選挙の前哨戦に余念がない。
しかしながら、とっくに政党離れしてしまった私のようなノンポリ人間からすると、昨今の自民党は「耳眠党」に、民主党は「眠守党」に、公明党は「乞う名党」に、社民党は「斜見ん党」に、共産党は「叫惨党」に、さらにまた国民新党は「刻眠親党」に思われてくるから不思議なものである。

ただ、選挙権をもつ身としては支持政党がないからといって棄権するわけにもいかないから、次の参議院選挙においては、いずれかの政党に「清き一票」ならぬ「機良き一票」を投じなければならない。
そんな私が一票を投じる政党の選択基準はきわめて単純なもので、そのキーワードは「変わる」である。五十歩百歩の候補者の人物像や各党の掲げる綺麗事の政策内容など、いまさらもうどうでもよい。この国の政治状況は政権政党が変わることによってしか改革不可能なところにまできてしまっている。
政党やその政策の善しあしではなく、政権政党が折々交代することによる自浄作用によってしか、澱みきったこの国の政治の改革は不可能なように思われてならないからだ。我々国民は時に応じて政権政党を変えることの重要さをもっと認識すべきだろう。

東京のある大学に通っている知り合いの学生がおもしろいことを言っていた。
高校時代に一年間ほど彼女は英国のハイスクールに留学していた。イングランドの片田舎にあるごく普通の学校だったらしいのだが、日本の高校とはちがって、政治経済の授業などでは政治や経済の諸システム、各種の政治思想、さらには経済思想といったものを、深くしかもきわめて具体的に学ぶことができたという。
選挙制度ひとつをとっても、民主的選挙制度のもつ意義やその利点と欠点、民主的選挙の実施方法、政治的な意思表示のしかた、死票のもつ意味やその評価の仕方、さらには自分が死票を投じた場合にそれをのちのち生かす方法などについても実にわかりやすく教わったらしい。そのおかげで帰国後ももろもろの社会問題や政治経済の問題について自分なりにしっかりと考えるようになったという。
ただ、そのことはいいのだが、仲間の学生相手に政治や経済の話をしたりすると、いかにも自分だけが浮いた感じになってしまい、当惑することもしばしばではあるという。

その彼女が英国で勉学中のこと、教師やクラスメートから日本における政権政党の交代状況などについての質問を受けた。そこで彼女が、ごく短い期間をのぞいて終戦直後から今日に至るまで自民党中心の政権が続いてきたと答えると、クラス中から「日本は民主主義国家だと思っていたが、実際は一党独裁の国家だったのか?」という驚きの声が上がったという。
そうではないと説明するのに彼女はずいぶんと苦労したのだそうだが、そんなにも長い間政権党の交代がない国が一党独裁の国家でないことを、民主主義の先進国イギリスの学友らに理解してもらうのはたしかに容易なことではなかったろう。日本独特の事情はあるにしても、民主主義のそれなりに浸透した欧米人の目にすれば、この国の政治状況はずいぶんと異質なものに映るのではあろう。

政権交代の必要性がうんぬんされる時、よく取りざたされるのは、適当な後継総理候補がいるかどうかの問題だ。次代を継ぐべきカリスマ的な総理候補が不在の場合、すぐにマスコミなどでは、「何党にはこれという有力な総理候補者が見あたらない」とか、「何々派には統率力のあるリーダーがいない」とか、「野党には経験不足の若い人材しかいないから、現時点での政権交代は無理だ」とかいったようなことが喧伝される。そして、そんなマスコミの報道をそのまま鵜呑みにして一般国民もついついそうかと納得してしまう。

一国の首相となる人物に十分なキャリアと強力なリーダーシップとがあるにこしたことはないのだが、だからといって政治家としての経験の浅い若い人材をはじめから無能だと決めつけるのはどうかとも思う。
現実には首相一人で政治のすべてを取り仕切るわけではないし、たとえそうしたくても、そんなことはもともと不可能だ。政治理念がしっかりし意志も強固で、ブレーンが真に有能でありさえすれば、年齢や政治経験の浅さなどはさして問題ではないのではなかろうか。当初こそぎこちないかもしれないが、一年もすればそれなりには様になってくることだろうし、官僚だってむやみやたらに抵抗ばかりはしないだろう。

倒幕運動を経て明治政府を樹立した志士たちや、江戸幕府末期の開明的な幕閣のことなどを礼賛するドラマや書籍は数知れないし、なにかというとかれらの活躍を引き合いに出して礼賛する人はすくなくない。
だが、そこに登場した人物たちのほとんどはずいぶんと若かった。我々はいまあらためてそのことを思い出してみる必要があるだろう。たとえ力量不足の感が否めないとしても、特定政党の政権が長期にわたりすぎ、政治が澱み、目に余る腐敗が横行するようなら、それに変わる他党政権を選択することはそれなりに意義あることに違いない。我々日本国民も、折々政権政党を変え、その自浄作用によって政界の浄化を実践することを真剣に考えるべき時にきているのかもしれない。

今年七月の参議院選挙に先立って四月には東京都知事選挙がおこなわれる。現職都知事に対する対抗馬の擁立がいろいろと噂されているようだが、昨今報道されている都知事の過度な身贔屓ぶりが事実だとすれば、変化を求める風が吹くことになるかもしれない。
朝日新聞の都区内版や多摩版にはここ何年か「石原都知事発言録」なるものが折々掲載されている。以前からその記事にはいくぶん違和感を覚えてならなかった。
一応、都知事の言動をそのまま伝える記事内容にはなっているのだが、毎回の記事全体を通して読むと、結果的には現都知事の政治理念や行政手腕のアピールに貢献しているように思われてならないからだった。もしも次の選挙で変革の風が吹き、新都知事が誕生した場合にもその人物の名を冠した「都知事発言録」が掲載され続けるのであろうか……、いささか気になるところではある。

それにしても、政治家とは慎重の上にも慎重を要する職業ではあるようだ。この原稿を書いている途中で、柳沢伯夫厚生労働大臣が、女性を「子供を産む機械」に例えるという大失言をしたとのニュースが飛び込んできた。
私事でいささか恐縮だが、もう十数年前のこと、ある教え子の結婚式の仲人を務めされられる羽目になった。その種のことは苦手なので頑なに断ったが、新郎とその両親に泣きつかれやむなくしてその依頼を引き受けたのだった。そして、その結婚式の新婦側の主賓として列席していたのが柳沢伯夫氏だった。

柳沢氏とはその時が初対面だったが、とても頭の低い方で、七歳年下の私に先方から声をかけてもらい、おかげでこちらもごく自然体のままでしばし親しく話をなどさせてもらった。
官僚出身の自民党中堅国会議員としては異例なほどに柔軟かつ気さくで、文化芸術などに関するその知見の深さもなかなかのものだとお見受けした。もし何か必要なことでもあればいつでも事務所を訪ねてほしいとの誘いを受けたりもし、年賀状のやりとりもその後何年か続いた。芸大大学院卒で現在も都内のある美大の教授職にある夫人との関係も良好で、互いの立場を十分に尊重し合いながら対等の関係を築いておられる様子だったので、むろん当時は「女性軽視」のかげなどまったく感じられなかった。新婦の父君から若い頃たいへんな苦労を積んだ方だとも伺った。

その後、柳沢氏は金融問題のプロとして政界の階段をいっきに駆け上り、金融相をはじめとする要職を歴任、現在に至ったようなわけだった。同氏が先の自民党の新総裁選において安部支持票を纏めるのに一役買い、その結果として厚生労働大臣のポストに就いたと知った時、私はすくなからず意外だという印象を受けた。
私の知るかつての柳沢氏の雰囲気にはなんとなくそぐわないものを感じたからだった。だが、なんらかの派閥に属する以上、主力議員の役割としてそれもやむをえないのだろうと考えたりもした。

しかしながら、今回の発言はどのような事情があったにしても不適切なものだと断じざるを得ない。いくらなんでも根っから人柄が変わったとまでは思わないが、要職を歴任するうちに心に隙が生じ、慎重さがうせ、庶民への低い視線、なかでも女性に対する心からの配慮が以前に比べずいぶんと欠落するようになってしまったのだろう。政界に身を置き、そこで重責を担う場合は慎重の上に慎重を重ね、二重三重に己を律しなければならない。

もろもろの教育関係者や政治家など、世に「先生」と呼ばれる人々の心には、初めの頃はそうでなくても、時がたつにつれ知らず知らずのうちに「先生虫」という悪い虫が生息するようになるからだ。

与野党を問わず、さらには男性議員女性議員のいずれを問わず、国会議員たる者は今回の柳沢発言を他人事とせず、十分に庶民の気持ちを配慮した温かみのある発言をするように心がけてもらいたいものである。
また、マスメディアのほうも、見方によっては今回の柳沢氏の発言にもおとらぬ失言や暴言の多いようにも思われる都知事などに対しても、毅然とした態度を報道理念とをもって臨んでもらいたい。国政と地方自治とでは問題が違うなどという言い訳などは通用しないはずである。昨今のマスメディアなどに、こわもてで威勢のいい人物相手だと引いてしまう傾向があるように感じるのは、この私だけなのだろうか。

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