エッセー

10. 奥多摩三条の湯再訪記

東京都の最高峰雲取山(2018m)には若い頃何度か登ったことがあるのだが、奥多摩の鴨沢方面への下山途中で三条の湯に立寄り、湯船に浸かりながら山行の疲れを癒すのはなによりの楽しみだった。気まぐれというかなんというか、なにげなく奥多摩周辺の地図を眺めているうちに、久々に三条の湯を訪ねてみようかという思いが湧いてきた。昔は奥秩父側の三峰口から大きなザックを背負って登山道に入り、何時間も歩いたのちに雲取山の頂に立ち、そのあと奥多摩側の鴨沢や氷川方面へと下ったものだった。三条の湯のある小屋は海抜1200m前後のところに位置し、雲取山頂からその小屋までは下り2時間ほどを要する。

「昔取った杵柄」などと、すでに死語になりかけている言い回しを用い格好をつけてみるのも悪くはないが、悲しいことにいまとなってはその「杵」を持ち上げる体力など残ってはいない。若い頃のように小型テントや炊事道具一式、さらには食料や飲料水の入った重いザックを背負って歩き出したりしたら、1kmも進まぬうちにへたれこんでしまいそうだった。だから、「昔取った杵柄」などさっさと捨て置いて、中東産の有り難い「お油様」とトヨタ産の「WISH様」のお力に縋ることにした。「お油様」のほうは最近とてもお高い存在となられたので、貧乏なこの身などがその威光にお縋りするなど畏れ多いことではあったが、この際やむを得なかった。

東京都民の水瓶として知られる小河内ダムを過ぎ、丹波山集落のすこし手前の「お祭」という地点で国道411号から右手に分岐する後山林道に入ると、すぐに道は狭いダート路に変った。後山川渓谷沿いの林道はゴツゴツと岩の剥き出す急坂の隘路になっており、カーブもやたらと多かった。そのため二輪駆動の走行から四輪駆動走行に切り換え、カーブでの対向車との不意の出遭いを避けるためライトを点灯して走ることにした。ダートの林道を走るのはもともと大好きときているから少しも苦にはならなかったが、昔はずいぶんと時間をかけ徒歩で往来したことのある道だけに、おのれの老いを痛感させられるようで胸中の想いはなんとも複雑であった。

ぐんぐんと高度が上がり、いっそう渓谷が深まるにつれて左手眼下の渓流の色合いが澄み輝くような青緑色に変わってきた。また大小の滝々があちこちに見かけられるようにもなってきた。斜面を覆う樹木の相も針葉樹主体から広葉樹主体へと変容し、ひときわ白く輝く蔓草の葉が散見されるようになってきた。喬木に絡むようにして茂るその白い葉はマタタビのそれにほかならなかった。しばし車を停めてドングリをもっと細長くしたような形のマタタビの実を探そうとしてみたが、少々季節が早いせいもあってか、うまく見つけることができなかった。「猫にマタタビ」の諺通り、マタタビを与えられた猫は異常な興奮を示し陶酔したような様相を見せるものだが、マタタビはまた人間にもそれなりに有効なようである。

いまも信州の田舎などでは手製のマタタビ酒が造られる。山から採って来たマタタビの実を焼酎などにつけて瓶詰めにし、じっくりと寝かせておくだけで出来上がるのだが、昔から強精剤としてけっこう珍重されていたらしい。下戸の身であることも忘れ、いったんは「たまにはマタタビ酒でも造って呑まないと体力も衰えるいっぽうになってしまうかな……」などと思ったりもしたが、猫なみに陶酔しきった状態になってしまうのもはた迷惑だろうなと考えなおした。そんな詰まらぬ雑念が胸中をよぎったりするのもやはり歳をとったせいなのだろう。

車で40分ほど走ったところが後山林道の終点になっていた。その近くにある青岩川橋から先は昔ながらの登山道伝いに歩いて行くしかないようだった。現在地をカーナビで確認し、地図を開いておおよそのところを目算すると、三条の湯のある山小屋までは徒歩であと30分くらいの距離だった。そこで、小広いスペースに車を駐め、タオル一本だけを手にして鼻歌まじりに歩き出した。大きく重たいザックを背負って往来した昔に比べると、タオル一本を携えただけの軽装だから、楽なことこのうえなかった……、いや、より正確にいうと楽なことこのうえないはずだった。

以前より道はよく整備され、しっかりと踏み固められていたが、それでもなお細くて急な登山道が左手に切り立つ深い渓谷上の岩肌を縫い進むようにして上へ上へとのびていた。

行く手の谷々や山々は深い霧に覆われ、大小の岩々を喰み削りながら流れる渓谷の水は白く泡立ち轟々という響きをたてていた。東京都の水源保護林になっているだけのことはあってその一帯の樹林は鬱蒼としており、しかもそのどこかにこの世の生命の躍動の源泉となる何ものかが秘め隠されている感じであった。

だが、情けないことには、我が身の命の躍動のほうは、躍動し過ぎていまにも破裂せんばかりの状態になっていた。心臓の動悸は一段と激しさを増し、肺と気管はゼイゼイと喘ぎはじめ、顔面や首筋からはひっきりなしにダラダラと汗が流れ出していた。歩き始めの頃の鼻歌などはどこへやら、タオル一本の重ささえもずっしりと身にこたえる有様だった。それでもぐっと歯を喰いしばりつつ奥へ奥へと進むうちに、左手に切れ落ちる断崖はほぼ垂直に近くなってきた。ふらついて足を踏み外そうものならあの世への直行となるだろうことは疑うべくもなかった。

若い頃のように20~30kgくらいはある重く大きなザックを背負っていたらたちまち転げ落ちでしまうだろうなと思いながらも、そのいっぽうでは、あの頃に比べると体重が10kgは増えたから、すくなくとも小型ザックくらいは背負っているようなものだと、自分に向かって変な言い訳をしたりもした。20分ほど歩いたところでデジカメを忘れてきたことに気づいたが、そこから車のところまで戻りデジカメを持ってもう一度出直すだけの気力はなかった。

そこから先も起伏の激しいジグザクの坂道が続いていたが、なんとか登山道を詰め終え、何重もの最後のジグザクの急坂を登り終えると、懐かしい三条の湯の山小屋に到着した。時間にすれは当初の計算通り正味30分余の歩行に過ぎなかったが、ひどく汗をかいたこともあって、気分的には1時間も2時間も歩いたような感じであった。自家発電による明かりが灯り、昔の山小屋よりもずっと小綺麗になった感じを受けはしたが、登山愛好家に長年にわたって親しまれてきた山小屋としての風情はすこしも失われていなかった。

一服したあと、山小屋の裏手にあるお目当ての三条の湯で汗を流すことにした。入浴料500円を小屋の管理人に支払ったあと浴室へと向かったのだが、入口にある注意書きによると男女が交互に利用できるように専用時間帯が設けられているようだった。幸い、この日は山小屋の泊り客も日帰りの客も男だけだったので、男女別の入浴時間帯を気にすることなく湯船に浸かることができた。

三条の湯は小屋の付近で涌き出る良質の鉱泉(冷泉)を沸かして湯船を満たし、その中に入るようになっている。ぬるめの湯になるように配慮してあるが、硫黄分の濃いここのお湯はとても肌触りがよいうえに身体も芯からぽかぽかと温まる。ぬるめなので長湯もできるし、湯上り後のなめらかな皮膚感覚はなんとも心地よいかぎりなのだ。

二人の先客と入れ替わりになったおかげで、浴室を独占し、我が物顔で深々と湯船に身を沈めるという贅沢を楽しむことができた。先刻の登りの苦しさなどけろりと忘れ、浴室の窓越しに見える広葉樹林の深い緑とその向こうに広がる谷筋の景観を楽しみながら、時を忘れてひたすら湯に浸かり続けた。眼下の谷筋の奥にかかる霧の中に一瞬若き日の自分の幻影を垣間見たような思いもした。湯船の脇には冷たい源泉が出る蛇口が備えつけられていて、その冷泉を直接飲むことができるようにもなっていた。折角のことだから私も飲んでみたが、鉱泉らしい独特の味がし、如何にも身体によさそうな感じだった。成分分析表に付記された効能書きによると、実際に胃腸病や内蔵疾患などに卓効があるらしかった。

三条の湯から20分ほど雲取山方面に向かって登り進んだところには青岩鍾乳洞がある。奥行が700m余もあるこの鍾乳洞は学術的に見て大変価値の高い洞なのだが、アプローチに時間がかかるので探訪者は意外にすくない。お湯から上がったあとで急にそのことを想い出しはしたのだが、夕暮れが迫ってきてもいたので鍾乳洞探訪は断念しすぐ帰途についた。帰り道はもっぱら重力に身を任せておればすむことだったし、気温も下がって外気が爽やかそのものだったので、汗をかくこともなく車を駐めてある場所へと辿りついた。

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