エッセー

30. 「図工頑張れ」の朝日記事に思う

小中学校の教育における美術工芸教科の重要性、よりひらたい言い方をすれば、図画工作の授業の意義を訴え、その充実を呼びかける「図工頑張れ」という記事が先日の朝日新聞に掲載されていた。小学校や中学校の週5日制への移行にともない図画工作の授業時間数が以前に比べて3割削減されたうえに、基礎学力の低下を憂える昨今の社会的動向や受験対応のカリキュラム優先を望む保護者らの意向も影響し、美術工芸教科が軽視されるようになってきた。さらなる授業時間数削減の可能性もあるという。

学校教育の週5日制移行を前にしカリキュラムの新編成を検討する公的会議が開かれていた当時、美術工芸教科担当の代表委員を務めていたのは、宮田亮平現東京芸術大学学長の先輩にあたる伊藤廣利教授だった。日本屈指の鍛金の専門家で、同大学院美術教育研究科の主任だった伊藤教授は、超多忙な中を縫って各教科担当者の思惑の対立する会議に出席し、懸命に美術工芸教科の必要性を訴えておられた。

その伊藤廣利先生と親交のあった私は、その縁などもあって、その頃、時々芸大に出向いては美術教育研究科の院生相手に、数理科学の本質や現代社会における科学哲学の必要性についてささやかな講義などを行っていた。また、伊藤先生の狭山の工房にもお邪魔し、鍛金の初歩の手ほどきをして頂くこともしばしばだった。そして、そんな折など、美術工芸教科の重要性について先生とあれこれ話し合うことも多かった。もともと美術教育の専門家ではない私には、むろんその問題に関してさしたる見識などあろうはずもなかったが、門外漢として側面的な私見を述べさせていただくことが、なんらかのかたちで先生のお役に立てればという思いはあった。

各教育分野の代表委員の集まる公的会議などにおいては、一般的に最重要教科だと考えられがちな算数・数学や国語などの教科担当委員の主張のほうが幅を利かせかがちである。そんな状況下にあって、その重要性や必要性を明確化することが必ずしも容易ではない美術工芸教科学習の意義を、当時の文部官僚や他の教科の担当委員らに向かって的確に説かなければならない伊藤先生の心労のほどはたいへんなものだった。そのため、すこしでも先生のサポートをするよう心がけたいと考えた私は、いささかなりとも数理科学や言語表現の世界にかかわってきている身として、初等中等教育期における美術工芸教科の学習が自然科学や社会科学、さらには文学の世界などを深く理解するためにも不可欠なものであることを説明させてもらったりした。

そのような経緯もあって、その年は、美術工芸にはまるで疎い私がその年の美術教育研究科の院生相手に「美術工芸教科の重要性」というおよそお門違いのテーマの講義をさせられる羽目になった。芸大での非常勤講師の仕事を引き受けて以来、毎年異なる内容の講義をするように心がけてきていたので、こちらとしてはそれでもかまわなかったのではあるが、講義を聴かされるほうの身にすればたまったものではなかったかもしれない。ただ、その講義が契機となって、都内多摩地区の公立学校の美術の先生方相手に同じテーマで講演をさせられる事態にまでいたったのは、いささか意外なことであった。

なんとも残念なことに、それからほどなくキーマンの伊藤先生が心身の過労や過度のストレスが原因となって通勤途上の車中でクモ膜下出血を起こして昏倒され、そのまま不帰の人となってしまわれたのだった。亡くなる一週間ほど前に狭山の工房をお訪ねした時も、あまりに忙しくてストレスも多く身がもちそうにないと語っておられた矢先の悲しい出来事だった。伊藤先生が亡くなってほどなく、どの教科もほぼ均等な割合で授業時間数が削減されることが最終的に決まり、美術工芸教科だけが極端に削減されることは回避された。だが、その後も美術工芸教科の重要性に対する世間一般の認識はどんどん低まっていくばかりだったようである。

先の朝日新聞の記事によると、小学生などの場合、図画工作の授業が好きだと答える者の割合は体育に次いで高いが、直接中学受験などには関係ないこともあって、同教科に対する保護者らの関心はずいぶんと低いらしい。それでなくても、ゆとり教育が原因とされる学力低下が問題となっている昨今では、算数や国語などの学力再強化が優先課題とされるいっぽう、美術工芸教科のほうはますます冷遇されるようになりつつあるようだ。図工の時間がこれ以上削減されると将来の日本のものづくりが危うくなると感じた藤幡正樹東京芸術大学大学院教授らは工学系の研究者と連携し、「頑張れ!・図工の時間フォーラム」を発足させ、図工の授業時間増を求める活動を開始したという。

初等中等教育期における美術工芸教育は、一般に想像されている以上に重要だと思われる。豊かな自然環境の中で様々な実体験を積みながら子供たちが育つことの難しくなった現代においては、とくにそうだと考えられる。美術工芸教科はべつに将来芸術家を育てるためにのみ存在しているわけではない。好奇心旺盛な時期の子供たちがその教科を学ぶことを通して鋭い観察力を身につけたり、自然の妙に深く感動したり、事物の構造を的確に把握する能力を修得したりできることこそが重要なのだ。実際に自然界の事象と向き合ったり、さまざまな道具や事物を用いたり操作したりする体験を実践的に積めるのも美術工芸教科ならではのことである。じっくりと時間をかけて表現の対象と向き合いながらいろいろな工夫を凝らすことにより、本格的な創造力や分析力につながる基礎的思考トレーニングを積むこともできる。

自然科学系、社会科学系のいずれの分野を問わず、将来優れた業績をあげることのできる独創的な研究者を育てるには、美術工芸教科の充実は不可欠である。まして、子供たちが豊かな自然環境の中で伸びのびと育つことの難しくなった近年にあっては、その重要性はますます高まってきている。しかし、現実にはそのことが教育関係者の間においてさえも十分に理解されているとは思われない。

たとえば、算数や数学の学習にいくら力を入れ、表面的な計算力や数学上の知識が一定レベルに到達したとしても、それらの知識を現実世界の問題と対応させながら発展的に用い深める能力がなければ、それらは単なる受験の道具に終わってしまう。たとえ難関大学に合格するところまではいったとしても、それから先もいっそう数学の知識を深め、将来の専門的な研究にそれを生かすことなど到底望むべくもない。思考の対象を操作するための一種の抽象言語である数学を有意に使いこなすには、自然事象や社会事象に対する豊かな感性を持ち合わせていなければならないからである。

同様のことは国語力にも言えるだろう。いくら受験レベルの国語の知識をふんだんに持ちそなえているからといっても、そして、それによって難関大学に進学することができたとしても、所詮それだけのことになってしまいかねない。その先において素晴らしい文章を綴ったり、洞察力に富んだ独創的な論文を書いたりするには、諸々の物事に深く感動したり、それらの本質を的確に直観し把握する能力がなくてはならないからだ。

かつての日本の就学期前の児童らや小中学校就学期の生徒らには、程度の差こそあれ、時間をかけて大自然に親しみ、自然の不思議やその美しさに感動したり、自然の猛威やその怖さを体感したりする機会があった。都会育ちの子供らでさえも現代ほどには自然界から遊離した生活を送ってはいなかった。そして、そんな生活を通じ、子供らは無意識のうちに「心の原風景」とも「自然界で生きるための知恵の基本」ともいうべきものを自主形成していった。

それはまた、創造性と破壊性、安全性と危険性、規則性と不規則性といったような相反する要素を同時にもつ自然現象や社会現象を考察しそれらに適切に対応する能力の源泉ともなるべきものだった。そして、そんな心の備えと心の器があってこそ、のちに続く諸々の知識教育も十分に意味をもち、その成果を上げることができたのだ。しかし、現代の日本社会においては、そんな学習環境がすっかり失われていきつつある。そのような昨今の社会状況の中にあって、せめてもの体感的学習を経験し、実践的な基礎知識を学ぶことのできる美術工芸教科の果たす役割はきわめて大きいと言わざるをえない。

ゆとり教育であろうと知識の詰め込み型教育であろうと、その前提となる「学育能力」、すなわち、「自ら学び育つ能力」が欠如していたら効果のほどは期待できない。経済力にものをいわせて名門校に通わせ、教育によって一時的に多くの知識を習得させたとしても、学育能力のない者には、将来それらの知識を実践的に用いたり、新たな創造に繋げたり、自然界や人間社会の深い理解に役立てたりすることなどできないからだ。文学などに話をかぎってもそれは同じで、いくら古今の名文を朗読させ暗記させても、その名文が描く自然体験や社会体験を抜きにしてはその理解度も感動のほども半減してしまう。名文や名詩の表現が心の原風景や原体験と結びつき、内なる想いの代弁をしてくれるからこそ素読や暗記も意味をもつというものだ。体系的かつ集約的に整理された知識を教える「教育」は、それに先立つ体験的かつ試行錯誤的な「学育」の場あってこそ生きてくる。さもなければどんな知識も短期記憶を司る海馬の表層を滑り去るだけである。

豊かな海に囲まれた南国の離島の子供らも、いまでは都会の子供ら同様、フォームとタイムと競いながら設置されたプールで泳ぐ。眼前に海があるというのに子供らが魚貝を求めて素潜りするような光景はほとんど見られなくなった。夕陽や夕月の美しい各地の岬からは子供たちの姿がすっかり消えた。幼児期からの画一的な知識教育が津々浦々にまで浸透し、過剰なまでの安全思想が全国に広まって、生活に密着した以前のような「学育」の場はもうどこにもなくなった。

従来の自然科学分野の独創的な研究者には、幼児期から少年期にかけて豊かな自然環境の中で育ち、ゆっくりとした時間の流れの中で自然界の奥懐を見つめながら、その世界の神秘と驚異に感動する能力を培った人が多かった。だが、全国的に都会化現象の波及した現在の日本社会では、幼児期から知識を教え込む教育のみが盛んになり、試行錯誤を通じ自主観察や自主体験を重ね深める場はすっかり影を潜めてしまった。昨今の学力低下騒動は、子供たちが学育能力未熟なままに知識教育にさらされた結果なのだと言ってよい。初等中等教育の現場では自然観察力の育成や自然に対する豊かな感受性の養成などが必要視されるようになってきているが、そのために重要な意味をもつ美術工芸教科が軽視されてやまない現状では、それもけっして容易なことではないだろう。いずれにしろ、このままだと科学技術立国としての日本の未来は甚だ危うい。

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