執筆活動の一部

43.崩壊する日本の大学院教育

崩壊寸前の日本の高等教育

「このままだと、我々日本人は、もう子女の教育を海外の大学に委ねたほうがよいのかもしれません」―-岩澤康裕日本学術会議第三部会長は、約八十名の国内トップクラスの研究者や文科省官僚らを前にしてそんな痛烈な一言を発した。今年五月八日、岡崎コンファレンスセンターで開かれた日本学術会議と分子科学研究所共催の「学術のあるべき姿と大学等の組織変革」を議題にした会議でのことである。近年の教育行政の絶望的なまでの劣化を嘆き、大学関係者が連帯し組織的に行政当局、メディア界、さらには国民の意識改革に乗り出す必要性を訴える岩澤氏の姿には悲壮感さえも漂っていた。我国屈指の化学者で、本来穏やかな人柄の同氏にしてはなんとも異例な発言でもあった。さらにまた、ノーベル賞学者の野依良治氏の第一声も、「いまや日本の大学院教育は先進諸国のレベルに比べて相当に劣っていると思われます」という辛辣このうえないものであった。

日本の頭脳と目される研究者の多くが、「このままでは近い将来、日本の国際的地位は低下する」と口々に危惧するのには、それなりの理由がある。学術、産業、政官界のいずれを問わず、学識豊かな博士号取得者が指導的ポストを占めるようになった最近の世界の情勢を考えると、これは国家の非常事態だといっても過言ではない。有名大学合格を目指し受験戦争は厳しさを増すばかりだが、その陰において日本の高等教育には危機的状況が迫ってきている。意外に思われるかもしれないが、それは紛れもない事実なのだ。ただ、残念なことに、その憂慮すべき事態に気づき、その問題を真剣に受け止めている人々はきわめて少ない。

危機的状況の原因はどこに?

その最大の原因は、目先の利益や自己保身しか考えない政治家や官僚らの、絶望的なまでの教育行政理念の欠如にある。長期的国家戦略のもと、激しい頭脳育成競争に挑む世界先進諸国の高等教育費はGDP比で平均一・一%と急増しているが、その中で日本の高等教育費はGDP比〇・五%と先進国中最低なのだ。だが、国家の財政危機を理由に政官界は一様にその実態を無視している。さらにまた、高等教育の公私にわたる支援は当然だとする欧米先進国なみの社会意識が我々に欠落しているのも、その原因のひとつである。欧米先進国と違い、学術研究の意義がよく理解されていないこの国においては、学術界への民間からの寄付や支援はきわめて少ない。企業支援もなくはないが、海外企業の場合とは違い日本企業の支援の多くは目前の実利を優先した紐付き資金がほとんどなので、国益を生むまでに時間のかかる基礎学術研究への貢献は期待できない。日本の企業経営者の多くが自己の任期中の業績向上にしか関心がないこともその遠因だ。さらにまた、私たち一般の国民が「基礎学術」や「基礎科学」の世界そのものに無関心でその重要性をまるで理解していないことも問題なのだが、この点については、研究者のアピール不足やメディア関係者の報道姿勢にも責任の一端がある。

日本の学術研究の衰退を真剣に案じる中村宏樹分子研究所長は、国の発展を支える学術界への自由な民間寄付が少ない理由として、社会事業への寄付が慣習化しすっかり定着している欧米と、社会事業への寄付がほとんど定着していない日本との歴史文化的背景の違いを指摘している。中村所長も岡崎の会議で。基礎学術研究とその応用研究とを同じレベルで考える近年の学術行政を批判し、長期的な基礎学術研究は大学主導で、短期に成果を求められる応用技術研究は産官主導で進められるべきだと提唱した。

会議では高等教育を受ける学生やそれを支える家族らの意識の低さも問題になった。「学問を志すのは、国家国民のためばかりでなく、人類全体に奉仕するためである」という高い理念など、いまやどこ吹く風なのだ。自らの子女の安楽な人生だけを願い、経済力にまかせて進学競争に狂奔する親たちと、盆栽のように育てられ自主独立の気概とチャレンジ精神に乏しい学生や院生だけが増え、この国の学術研究衰退に拍車をかけているのも実情なのである。

日本の大学院は修士課程が主体で、その八割が実業界や教育界さらには官公庁入りしているのだが、国際的には修士の学位はいまやほとんど評価されていない。そのため、民間企業でも博士号取得者の多い外国勢と対等に渡り合うのは容易でなくなってきている。しかも、博士課程を含めた大学院教育の水準が低下しはじめ、学術界に進む二割ほどの者を除く博士課程修了者の多くがその後の進路に窮する有り様なのだ。これは他の先進国では考えられない異常な事態で、教育に要する公費面からしても国家的損失だというほかない。

容易ではない高等教育の窮状脱却

七〇年当時名古屋大学の助手だったノーベル賞学者の小林誠氏には年間約百万円の研究費が支給されていたが、現在の名古屋大学助教(以前の助手に相当)には五十万円程度しか支給されていない。岩澤氏はその事例を挙げ、大学における学術研究の窮状を訴えかけた。物価を勘案するとその実質支給額は当時の十分の一にも及ばない。

紺野大介清華大学招聘教授からは、国家財政の豊かな中国が日本とは桁違いの競争資金を重点大学に投入して基礎学術の飛躍的発展を図り、世界の学術界での覇権を窺う状況なども報告された。アメリカにも迫るその知的戦略の凄まじさを知り、一瞬会場は溜息まじりの沈黙に包まれた。また、国家の超エリート育成に貢献するフランスの高等教育制度の話も衝撃的だった。

いっぽうには、高等教育費不足の一因は大学数の多さにあるのだから、重点大学のみに研究・教育費を優先投与し、そこへ人材を集中すればよいとの意見もある。実際、国立大学の法人化以降はそのような動向が強まった。だが、その煽りを受けて地方国立大学の多くが財政的に困窮疲弊し、結果的には日本の学術研究全体が存亡の危機に瀕する事態になっている。

学術研究界の人材構成最頂上部が円錐台の上面みたいに広く平らな形状を保ち、最上部でも人材の相互流動性が高い欧米と、東大・京大を頂点に鋭く先の尖った円錐状の人材構成をとる日本とでは事情が大きく異なっているからだ。従来は東大・京大等の優秀な若手研究者は地方国立大学の教官となって転出していたが、今そこで待つのは、研究費の枯渇と想定外の雑務による「研究者としての死」のみなのだ。無論、頂点に立つ大学にも有能な研究者全員を受け入れる余地などない。しかも、そのいっぽうでは、官僚らが、国立大学法人の経営部門や近年多数の新設が認められてきた私立大学の教職員枠を隠れた天下りの場にしてしまっている。私学助成金の配分などはそのための有力な武器になってさえいる有り様なのだ。

このままでは日本は没落する

そんな日本学術界の将来を憂える野依良治氏は、岡崎の会議において、「学術界と産業界の双方で国際的に通用する人材を育成しなければなりません。そのためには、大学院教育の改革や、大学と大学院との分離、各大学院間や大学院と産官界間の相互流動性の確保などが不可欠です。また世界の状況からしましても、理工系大学院生などには年間百万円程度の実験教育費と月額二十万円程度の労働対価が支給されるべきでしょう」と訴え、そして、「日本の学術情報の国際的な発信力・収集力を高めるには、ネイチャー誌やサイエンス誌に伍する日本独自の学術誌を刊行すべきでしょう。権威有る学術誌が日本に存在しないため、国内の重要研究の八割が海外に流出してしまっています」と警鐘を鳴らしもした。

国家の将来を支える学術研究や高等教育が絶体絶命の窮地に立たされているというのに、なぜ国民はその問題にこれほどに無関心でおられるのだろう。その理由を端的に言えば、眼前の即物的な繁栄のみにうつつを抜かし、自らの日々の享楽と安泰を追い求めることに終始しているうちに、日本国民全体の知的・精神的レベルが極度に低下してしまったからなのだ。自制なき欲望の連鎖や、未来への理念と展望を欠く表層的な文化の爛熟は、社会の退廃を促し、早晩国家の没落へと繋がる。だが、官民揃ってその深刻な現状を自覚さえしていないこの国に、その暗澹たる結末を回避するすべなど最早残されていないだろう。

以上本文

野依良次氏の提唱する高等教育改善策

<大学院改革について>

<社会一般に求められること>

著者プロフィール

本田成親

(ほんだしげちか)

著者プロフィール

マセマティック放浪記

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