マセマティック放浪記

自詠旅歌愚考(14)

友呼ばふ孤狼の悲魂弔ひて

大台ケ原に冬の月照る

(大台ケ原ドライブウエイにて)

去る二月十四日の午前零時過ぎ、伊勢自動車の勢和多気インターチェンジで一般道におりた私は、紀伊半島中央部の山岳地帯を縫って和歌山方面へと向かおうとしていた。もちろん、最短距離となる主要道を選んで西進するのではなく、奥深い紀伊山地のあちこちを探訪しながら最終的に和歌山市へと抜けるつもりだった。

勢和多気をあとにしてからは大台町を経て宮川村に入り、いったんはそこから大杉谷へのルートをとろうと考えた。だが、大杉谷への往復にはそれなりに時間もかかるうえに深夜のことでもあったので、おもいなおして国道一六六号へと合流、高見峠のトンネルをくぐって東吉野村へと出た。そして東吉野村からは国道一六九号にあたる東熊野街道へと折れ、川上村を経て大台ケ原のある上北山村方面へと南下してみることにした。

国道伝いに東熊野街道の分岐点まで行くのは遠回りになるので、途中から東熊野街道への近道である地方道に入り、その道ぞいにしばらく走ると鷲家口というところに出た。中天には月齢十二、三日ほどの月がかかり、その澄んだ光のもとにあって、一帯の谷々は深くそして静かな眠りについていた。ハンドルをさばきながらさりげなく右前方に視線を送ると、突然、なにかの動物の銅像みたいなものとその解説板らしいものが目に飛び込んできた。なんだろうとおもいながら車を停め、ライトを取り出して解説板を照らし出してみると、その光の輪の中に浮かび上がったのはおもいもかけぬ一文であった。月の明るい深夜の午前一時五十分、ある意味では、それ以上はないというお膳立てであった。

なんとその解説文は、日本で最後に目撃されたニホンオオカミとそのオオカミのブロンズ製等身大の再現像について記述したものだったのだ。絶滅したニホンオオカミの話についてはかねがね何度も耳にしてはいたが、そのニホンオオカミの姿が最後に見られたという場所がこの地であろうとは想像もしていなかった。私は内心すくなからぬ興奮を覚えながら、零度をきる真冬の外気の冷たさも忘れ、夢中になってライトに浮かぶその解説文に読み入った。

いまから九十八年前の明治三十八年(一九〇五年)のこと、この東吉野村鷲家口の猟師によって一頭の若い雄のニホンオオカミが捕えらえた。そして、そのオオカミは当時滞日中だったマルコム・アンダーソンという英国人に八円五十銭で買い取られ、はるばる母国の英国へと持ち帰られた。英国の専門家たちの手によって仮剥製化され、頭骨とともに現在も大英博物館に保管されているニホンオオカミがその時のオオカミなのだという。生存の確認された最後のニホンオオカミが遠い英国に持ち去られてしまったというのは残念な気もするが、当時の日本の社会状況から考えて、そうでもしなければそのオオカミが剥製標本となって現在まで残されていたりはしなかっただろうから、まずは不幸中の幸いと考えるべきなのだろう。

その後もニホンオオカミの目撃談は国内のあちこちで絶えなかったようであるが、衆人の前でその雄々しい姿が確認されたのはこの時が最後であった。もちろん、そのオオカミが捕獲された当時はこの周辺の紀伊山中にはまだ多少の個体は生存していたのであろうが、環境の変化とともにほどなく絶滅していったものとおもわれる。絶滅の原因としては、餌となっていた野生シカの減少や輸入犬からのディステンバーの感染などが考えられているという。全身標本は、他に、オランダのライデン博物館に一体と、国立科学博物館、東京大学農学部、和歌山大学にそれぞれ一体ずつが現存するだけであるらしい。

解説板からすこし離れたところには、その日本最後のオオカミの等身大ブロンズ像が設置されていた。奈良教育大学教授だった久保田忠和氏が大英博物館の標本をもとにして在りし日のその姿を再現したものなのだという。おもいのほか細身だが、いかにも野生の誇り高さを感じさせるそのオオカミ像の頭部や背中を手で撫でやりながら、しばし私は言葉にならぬ深いおもいに沈んでいた。尾は想像以上にふさふさとしており、目つきは鋭く、全体的な顔つきは犬などのそれよりもはるかに精悍な感じだった。手にしたライトで全身を照らし出すと、背後の壁面に拡大されたその黒い影が異様な迫力をもって映り浮かんだ。これぞまさにオオカミ!……それを見て私はおもわずそう呟きの声をあげていた。

鷲家口をあとにし、深く険しい谷筋を縫ってのびる東熊野街道に入ると、建設中の大型ダムの脇を通り過ぎ、川上村と上北山村の間にある新伯母峰トンネルの手前まで、月下の夜道をひといきに走り抜いた。新伯母峰トンネルの手前からは古来修験道の霊場として名高い大台ケ原山へのドライブウエイが右手に向かって分岐している。どこか神秘的な輝きを見せる月光に誘われるままに、私はそのドライブウエイのほうへとハンドルをきった。大台ケ原ドライブウエイの入口には落石ならびに積雪による路面凍結のため冬季閉鎖中との警告表示がなされていたが、妙に気分が高揚していたこともあって、とにかく行けるところまで行ってみようと思い立ちいつものごとく開き直り、あえて強くアクセルを踏み込んだ。

道幅もそう広くなくカーブも多い急坂路のあちこちには大小の岩石が転がり落ちていたが、通れないほどではなさそうなので、四輪駆動に切り替えてどんどんと高度を上げた。しばらく走りつづけていると、積雪や融雪で路面がガチガチに凍結した状態になってきた。外気温はすくなくともマイナス五、六度までは下がっているだろう。面倒ではあったがやむをえないのでチェーンを取り出して装着し、凍結した路面をさらに進んでかなりの高度のところまでのぼりつめた。だが、伯母峰峠尾根筋直下の小トンネルを北面側から南面側に抜け、そこからすこしのぼったところでついに前進不可能になった。頑丈な鉄のゲートが行く手を塞いでいたからだった。

ゲートの手前には見晴らしのききそうな展望所があったので、とりあえずその前に車を駐め、たとえ日中であっても冬場は訪れる人などないだろうその望楼にぽつねんと立ち尽した。時計を見るともう午前三時半を過ぎていた。月は大きく西の空に傾きかけていたが、それでもまだその光は冬空を背にして煌々と冴えわたっていた。それはなんとも幻想的な光景だった。

左手遠くには大台ケ原山一帯の連綿とした山並みが黒々とした姿をみせていた。その稜線の一部は深い積雪の下にあるらしく、折からの月光を弾き返すようにしてそのあちこちが白々と輝いてみえた。望楼の右手に大きく迫って見えるのは大峯連峰の一角を占める大普賢岳のようで、その頂きから山腹にかけての急峻な斜面が一面積雪に覆われているのは夜目にもはっきりと見てとれた。

大きく開けた展望台の前方には、幾重にも重なり波打つようにして、視界の尽きるところまで果てしない並みがつづいていた。その光景は月光のもとに揺れ動く大海原をも連想させた。月下の海面を覆う無数の波浪のうねりを彷彿(ほうふつ)とさせるその連山の有様を形容するには、山並みというよりは「山波」という表現を選んだほうがよりふさわしいようにもおもわれた。

北アルプスや南アルプスなどに較べて標高こそ低いものの、紀伊半島の山岳地帯は、国内では他に類を見ないほどに広大な面としてのひろがりをもっている。そしてその果て知れぬ山岳地形面のいたるところに無数の深く鋭いヒダが、まるで巨大な銀紙をグシャグシャにしたときのような様相をみせながら縦横に刻み込まれているのである。古来、吉野や熊野の山地が容易には人を寄せつけぬ信仰の聖地として崇められてきたのも道理だ、というおもいがしてならなかった。

身を切るような寒気のことも忘れ、眼前の光景を見つめながら深い想いに耽っているうちに、私は突然奇妙な幻聴に襲われた。冷たく澄んだ冬の月に照らされる深く広大な山並みのどこからか、友を呼ぶオオカミの哀調にみちた遠咆えが響き聞こえてくるような気がしてきてならなかった。考えてみれば、この大台ケ原一帯や大峯山脈一帯は、かつてニホンオオカミたちの天下であったはずである。このような月の明るい夜などには、おのれの存在を誇示するオオカミたちの高らかな咆哮がいたるところで響きわたっていたに違いない。しかし、かれらは文明という名の得体の知れぬ魔物に追い詰められ、やがてこの吉野熊野の山々から完全に姿を消していったのだ。

実際には、鷲家口で捕らえられたあのニホンオオカミが日本最後のオオカミであったわけではないだろう。その一族のオオカミであったかどうかは知るよしもないが、たぶん、最後のオオカミはこの果てしない山並みのどこかでひとり静かにその息を引き取ったに相違ない。もしもそれが雄のオオカミだったとすれば、このような月の美しい夜になると、彼はもはや永遠に応えてはくれなくなった友を求めていつまでもいつまでも悲しく咆えつづけたことだろう。

そんな孤狼の姿を天空はるかなところから見下ろし照らし出していたのは、四十余億年にわたって我々の住む地球をめぐりつづけてきたこの月のみだったとおもわれる。そのニホンオオカミの最期を看取ったのもおそらくは青く輝く月影だったのではなかろうか。すくなくとも、月の光は息絶えた最後のオオカミの亡骸を照らし出し、その悲しみに満ちた魂を人知れず弔ったに違いない。

不可思議な幻聴に身をまかせつつ、いまはなきニホンオオカミのことをおもい、真冬の紀伊半島の深山を明るく照らし出す月影を遠く仰ぎやるうちに、私の胸中にはささやかな短歌が一首自然と湧き上がってきたのだった。

絵・渡辺 淳

近著紹介

AIC本田成親マセマテック放浪記 で1998年12月9日から1999年4月21日まで掲載された甑島紀行エッセーをA4判縦書きの本にしました。

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