マセマティック放浪記

エッセー

6.ゴールド免許よさらば

来月は運転免許証の更新月に当たっている。経費節約のため、車を宿屋代わりにして国内各地を駆けめぐる私のような人間がゴールド免許を取得するのは想像以上に難しい。そんな私が五年前ゴールド免許を取得したのは、天の悪戯か、さもなければ何かの間違いだったのかもしれない。そして、実際そうであったことが明かになるまでに、それほど時間はかからなかった。

ゴールド免許取得から一ヶ月ほど経ったある日の深夜、私は栃木県小山市付近の国道を東京に向かって走っていた。その夜、小山市近隣には濃霧が発生していて一帯の視界はひどく悪かった。霧灯を点しライトをアップしても視界はせいぜい四、五メートルというところで、交差点の信号機もはっきりと見分けがつかないほどだったから、当然ノロノロ運転による走行となった。しばらくすると前方にぼんやりと大型トラックの影が見えてきたので赤く目立つその尾灯を頼りに、そのままあとに続いて走行することにした。しかし、それが運の尽きだった。

時速二十キロほどでゆっくりと走る前方のトラックを追いかけ、私の車もとある交差点を通過した。いや、正確にいうと、そこが交差点だとわかったのはその交差点を通過し終えかけた時だった。クロスする左手の路上に停車中の白っぽい車の影とそのライトがぼんやりと見えたからである。アレッと思いつつ一瞬頭上を見上げると、ボーッと霧に霞み浮かぶ赤信号のかすかな輝きが目にとまった。そのままトラックのあとに続いて走っていると、かなりの距離をおいてうしろからゆっくりと近づいてくる車のライトがバックミラーに映った。

次の信号のところでトラックが停ったので私も車を停めた。すると、後続の車が霧の中から徐々に姿を現し、ゆっくりと近づいてきて静かに停まった。よく見るとそれは一台のパトカーであった。警察官が降りてきて軽く私の車窓をノックしたので、それに応じて窓を開けると、相手は「信号無視です」と通告してきた。前の交差点のところに停まっていたのは、獲物を求めて張り込み中のこのパトカーだったのだ。折からの濃霧の中では車の速度を上げようにも上げようがないから、逃亡の可能性なしと判断したパトカーは、悠然と構えながら、しばしの追尾の時間を楽しむかのようにして、前方の獲物にじわじわと近づいてきたというわけだった。

求められるままに免許証を提示すると、相手の警察官はそれを目にしながら言ったものだ。
「ゴールド免許証になってまだ間もないんですねえ……」
その問いかけに私はいささか皮肉まじりに応答した。
「ええ、そうですよ。でも、分不相応なゴールド免許証なんかもらうんじゃなかったですねえ……」
「まあ、どんな理由があるにしろ信号無視はいけませんよ」
「あまりに霧が深いので前のトラックの尾灯を頼りにノロノロと走っていたんですが、前方に交差点があってその信号が赤になっているなんてまったく気づきませんでした。トラックがいなくても信号の確認ができなかったかもしれません」
「そんなことは理由になりません。こういう濃霧の夜こそ細心の注意を払って走行しなければなりませんよ」
「前にいたトラックはもう走り去ってしまいましたが、あの車は信号無視をしてはいなかったんでしょうか。どうみても私と同罪だったと思うんですが……」
「まあ、それはいろいろな状況やいくたか運不運の問題もありますからねえ」
「はあ?、運不運ねえ……、お言葉を返すようですが、運不運の問題があるとしますと、あなたがたが私を信号無視で検挙することができたのも運がよかった……、そう、たまたまの濃霧のお蔭だったということになりますよね」
「いえいえ、こういう濃霧の夜は信号無視する車が多いんですよ。もちろん今夜もあなた以外にもかなりの数の違反車を検挙しましたよ」
「それはそうでしょう。こともあろうに、信号確認も難しいこんな濃霧の最中に、あんな交差点で一台でも多く違反車が現れよとばかりに待ち構えていらっしゃるんですからねえ……。あなたがたもずいぶんと人が悪いですよねえ……」
「……」
こちらの最後の言葉に相手は無言のままだったが、かくして、五年後にゴールド免許を再取得するという夢ははかなくも潰え去った。

そして、いつしか時は流れ、あと一ヶ月余ほどで免許更新期限という昨日のこと、自宅からそう遠くない私鉄のとある駅まで知人を送って行った。たまたま前方の右折車線にバスやタクシーが何台か並び、それらが次々に駅前方向に右折して行くので、私もその車列に並びほどなく右折した。ところが、そこに待ち構えていたのはほかならぬ三、四人の交通警察官たちだった。すぐに一人の警察官が私の車を制止し、近づいてきた。
「ここは右折禁止です。違反調書をつくりますから、まずは免許証を見せてください」
「以前にはここは一般車も右折出来ましたよね?」
「いまは一般車は右折禁止なんです。なんでしたら交通標識を確認してみますか?」
「いえ結構です。右折禁止だからこそ、あながた警察官が違反車を検挙しようと待ち構えていらしゃるわけですから」

そう言いながら免許証を差し出すと、相手はそれを受取り、それからしばし記載事項に見入ったていた。
「あともうすこしで免許証の更新だったんですね」
「ええ、でも、まあ仕方ありませんねえ」
「二点の違反点数がつきますので、もうゴールド免許の更新はなりませんが、他に違反がなければ、五年間有効の免許は貰えますよ。もちろん、講習は受けてもらわなければなりませんが……」
「はあ、そうですか……、でもまあ、ゴールド免許に未練などこれっぽちもありませんから……。そもそも、いまのような取締り方式のもとで、私のようにあちこち車で出向く人間がゴールド免許を維持し続けられるほうが奇跡というものですからね」

ゴールド免許取得直後に信号無視で捕まったことがあるなどとはむろん言わなかったし、そんな余計なことを言う気もなかった。警察当局のコンピュータにはしっかり違反歴が記録されているわけだから、なるようにしかなるはずもなかった。
「お仕事は?」
「しがない百円ライターですよ。それで、科料はいくらになるんですか?」
「七千円です。期限までに郵便局で支払ってください」
「七千円は支払いますが、その七千円は一般車右折禁止であることを運転者によりわかりやすく事前警告する標識の設置などに使ってもらいたいものですね。皆さんのボーナスに化けるのだけはご勘弁願いたいと思いますよ」

ちょっと意地悪なそんな一言を残すのが、こちらにできる精一杯の抗議だった。ともかくもそれから知人を駅前で降ろし、帰途に着いたのだったが、その途中でまた、昔スピード違反で捕まった折のちょっとした想い出が脳裏に甦ってきた。

もう二十年近く前のことになるが、私は四国の南岸沿いに足摺岬方面へと向かうところだった。ちょっとした地方都市のバイパスを地元の車と同様に時速六十キロほどのスピードで走っていた。足摺岬まであと百五十キロほどの地点に差しかかっていたので、そのままの速度を維持するとあと二時間半ほどで足摺岬に到着できる計算だった。だが、運悪く、その直後にスピード違反で捕まってしまったのだった。その一帯は速度制限が四十キロなので二十キロの速度オーバーということであった。事情がどうであれ違反にはちがいないのでその点は素直に認め、差し出された調書にサインしながら、さりげなく不意討ちの一言を吐いた。

「あのう……、足摺岬にはあと二時間半ほどで着きますよね?」
「そうですね……、そのくらいの時間があれば着くと思います」
「でも、足摺岬まではまだ百五十キロくらいありますから速度制限を守って走ると、とても二時間半では着かないのでは?」
次の瞬間、相手の警察官はとても困惑したような表情を浮かべた。いま思うと、とても正直な警察官だったのだろう。しばし間を置いたあと、彼はバツの悪そうな口調で補足したものだった。
「まあ、取締り当局にもいろいろとそれなりの事情がありまして……。いま四国全県では一斉取締りをやっていますから、このあとも気をつけて走行なさってください。これから先、このあたりとこのあたりでも取締りをやっていますから……」
さすがに速度違反の取り消しまではしてもらえなかったが、その警察官のなんとも人間的な対応ぶりにほっとしたものを感じながら、足摺岬方面に向かって私は再びアクセルを踏みはじめたのだった。

全体的な道路状況や車の流れに逆らわず自然体で車を走らせていると、必然的にどこかで交通違反を犯してしまうのは現代の車社会の宿命であるらしい。その際に違反で検挙されるか否かはもっぱら運と確率の問題だ。だからといって、すべての交通法規や交通標識を四六時中細かく気にかけながら走行していたら、状況次第ではかえって危険なことにもなってしまう。私みたいな人間は、やはり、はじめからゴールド免許なるものは諦めるしかないようだ。私はかねてから交通課の警察官のゴールド免許取得率を知りたいものだと思っている。その割合はかぎりなく百パーセントに近いのであろうか……。もしそうだとすれば、それはそれでまた変な話なのではあるのだけれど……。いずれにしろ、交通取締り関係者の勤務時外における交通法規遵守度がどの程度のものか公開されれば、何の負い目がなくともパトカーの影を目にするごとに穏やかならざる気分にさせられる庶民の心も、すこしは安らぎ和むのではなかろうか。

近著紹介

AIC本田成親マセマテック放浪記 で1998年12月9日から1999年4月21日まで掲載された甑島紀行エッセーをA4判縦書きの本にしました。

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