(この身の何と無力で無能な存在であることか!)
独り自分の部屋に坐しながら何気なく身のまわりの品々を眺めやっていた。すると突然、懺悔の思いが込み上げてきた。「ああ、なんて俺は無力な存在なんだろう。常々、自立して生活しているようなつもりでいたけれど、実際にはその裏でどれだけ多くの人様にお世話になりながら生きてきているんだろう!」――沸々とそんな思いが湧き上がってきたのである。
その契機となったのはごく単純な事柄だったのだが、しかし日常的にはついつい見落としてしまいがちなものでもあった。部屋の中にある様々な日用品のなかで、それらの大小を問わず、自分の力で作れるものなど何一つ存在しないことに気がついたからである。
消しゴム、鉛筆、ボールペン、用紙、定規、鋏、ピン、ボタン、糸、箸、スプーン、皿、カップ、タオルといったごくシンプルな品物であっても、自分にはどれひとつその造り方がわかりはしない。でも、この世の中の何処かにいる誰かが、それらを造り供給してくれているわけである。もちろん、お金を払えば入手できはするけれど、もしもそれらの品々を造る人々がいなければ、どんなにお金を積んでみたところで手に入れることなどできはしない。
人間というものは見えないところで深く支え合って生きているものなのだと、あらためて痛感させられる。自分では何一つ造ることのできない愚かな身をつくづく反省もし、自嘲もしながらであるのだが……。見えないところで黙々とそれらの品々の製作に勤しむ人々に、今はひたすら感謝するのみである。