初期マセマティック放浪記より

193.自詠旅歌愚考(十)

青潮の慕いをのせて湧く霧に
ひとり気高く礼文うすゆき
(礼文島桃岩展望台にて)

これまで礼文島には三度ほど渡ったことがある。訪ねたのはいずれも初夏――この島全体が美しい花々に彩られ、眼下の海面が陽光に青く輝く時節のことである。ちょうどこの時期に島の周辺でとれるバフンウニの味ときたら、何物にもたとえようのないほどに素晴らしい。最初にこの島を訪ねたときは、早朝の一番バスで最北端のスコトン岬まで行き、そこから西海岸線沿いに地蔵岩で知られる元地海岸に向かってひたすら歩いた。朝早くスコトン岬を出発し、美しい夕陽が西方の海に沈む頃に元地海岸にゴールインするというのがこのハイキングコースの標準的な歩き方なのだが、このコース、山海の織り成す絶妙な変化に富んでいてなんとも感動的なのだ。

青潮のきらめき寄せる荒磯をはるかに見下ろす峻険な断崖づたいの道、林や草原を縫う細道、三、四十種もの花々の咲き乱れる天然のお花畑、美しい利尻の島影の望める小山、砂走りと呼ばれる急斜面の砂地の道、夏場ならしばし汗を流すにもってこいの小川、さらには様々なドラマの眠っていそうな宇遠内の海辺の漁師番小屋と、コースの半ばまでをとってみてもその景観の多様さには唯々驚かされるばかりである。

後半の宇遠内から元地海岸までは断崖下の海辺沿いの道になるが、玉石の浜辺あり、数々の岩間に刻まれた細道あり、礼文の滝や瑪瑙(めのう)の原石の採れるメノウ海岸ありと、これまた変化にはこと欠かない。そして、天に向かって屹立する奇岩、地蔵岩の垂直な割れ目の間を通り抜けると、ようやくゴールの元地部落に到着する。ただ、残念なことに、宇遠内から元地海岸の地蔵岩に至るこの磯辺づたいのコースは落石や崖崩れなどが多く危険だというので、その後、一般ハイカーの通行は全面禁止になってしまったと聞いている。いまでは宇遠内からレブンウスユキソウの群生地のある礼文林道方面へと迂回するルートが標準コースになっているようだ。

ところでこのハイキングコースだが、礼文島の観光案内パンフレットやガイドブックなどでは「愛とロマンの八時間コース」などという洒落た呼び名で紹介されたりもしている。早朝スコトン岬を出発した知らない者同士の一団がお互い助け合いながら元地海岸へと向かううちに、自然発生的に幾組もの若い男女のペアが誕生、そのごの交際に発展するようなことも珍しくはなかったらしい。地蔵岩に辿り着き、西方の海に沈む美しい夕陽を共に眺めたことが縁となり、ついには結婚に至るといったカップルも数知れぬとかいうことで、島民の間ではいつしかそんな名で呼び親しまれるようになったのだそうだ。もっとも、事情通の話によると、途中で天候が急変したような場合には「泥と涙の十時間コース」に変貌してしまう可能性もあるとのことであった。

初めての礼文訪島の折このコースにチャレンジしたときは、うたい文句に過剰な期待を寄せたせいか、意に反して「愛とロマン」を共に語り合うような相手にはめぐり逢えなかった。「おまえなあ、あとさきを考えないでこれ以上愛とロマンばっかり追いかけてると、ややこしいことになっちまうかもしれないぞ。悪いことは言わないから、自分の歳や立場も考え、いい加減にしとけや」という神様の思し召のゆえではあったのかもしれない。

そのせいか、途中でたまたま親しくなり行動を共にしたのは、愛とロマンに疲れ果て仕事にも挫折したとかで、どちらも「社会のおちこぼれ」を自認して憚らない三十代後半の男たち二人であった。だが、それにもかかわらず、彼らの瞳は礼文の海や花々を見て生き生きと輝き、しかも、その姿格好からは想像もできないほどに二人とも心優しく謙虚であったことを想い起こす。

冒頭に掲げた歌を詠んだのは、そんな一度目の訪島の時ではなく、二度目の礼文渡島においてのことだった。それももういまから十数年ほど昔のことになる。この時は、礼文島随一の原生花園の広がる桃岩展望台に登り、そのあと、一帯に広がる天然のお花畑を縫って最南端の知床へとのびる桃岩遊歩道を独り静かに辿ってみようと考えた。桃岩展望台の「桃岩」という呼称は付近にある桃の形にそっくりな巨岩に、また、知床半島とおなじ「知床」という地名は「地の涯てるところ」を意味する「シェレトック」というアイヌ語に由来している。

ちなみに述べておくと、この桃岩展望台の眼下に連なる海岸線の一隅には、かつて、「キチガイユース」という異名で知られた「桃岩ユースホステル」が建っていたものである。現在そのユースホステルがどのようになっているのかはわからないけれども、この有名なユースホステルに泊まり、人間味の濃縮されたようなその過剰かつ過激なサービスぶりに感激し、あるいはまた驚き呆れ果てながら、想い出深い青春の旅の一夜を送った人も少なくはないことだろう。

この二度目の訪島は時節にもたいへん恵まれ、花の礼文の美しさをこころゆくまで楽しむことができた。展望台周辺を埋め尽くす亜寒帯種の花々の繚乱ぶりは凄まじいかぎりで、その光景をまえに私はひたすら息を呑むばかりであった。しかも、眼下はるかな海面から激しく湧き上がる白い霧がほどよく花々を包み込み、その景観をいっそう詩情豊かなものに演出してくれてもいた。霧の晴れ間に秀麗な姿を見せる利尻島を時折お花畑越しに眺めやりながら知床方面へとどんどん小道を分け進んでいくと、人影はほとんどなくなり、それに反比例するかのように花々の密生度が一段と高くなってきた。

奇岩のひとつ猫岩を見下ろす断崖沿いの小道にちょうどさしかかったときである。すぐ足元に多角星形の白い小さな花が一輪、霧を含んで吹き上がる強風に揺れながらひっそりと咲いているのが目にとまった。腰を屈めてその清楚な花をつぶさに観察してみると、多角星形の白い花弁に思われたのは実は花額で、中央の小さい黄色のかたまりがほんとうの花びらであるらしかった。多角星形の花額の表面が薄く雪化粧された感じに見える特徴的な花相から判断して、その花が、あの有名なエーデルワイスの仲間、レブンウスユキソウであることは疑う余地のないところだった。

国内のウスユキソウの仲間で、学術的にみてヨーロッパアルプスのエーデルワイスにもっとも近いのは岩手の早池峰山麓に群生するハヤチネウスユキソウであるといわれるが、このレブンウスユキソウも可憐さと清楚さにおいてはけっしてそれらに見劣りはしない。礼文林道の群生地で咲き競うウスユキソウもすてきだが、こうしてたった一輪だけ、霧の中で人知れず気高く花開くレブンウスユキソウのたたずまいは、またひときわ美しく高貴なものに感じられてならなかった。

青潮のきらめくはるか眼下の海面に湧き立ち、海風にのって断崖の急斜面をいっきにかけのぼってくる霧は、まるで、海中深くに棲む竜神かなにかが可憐なレブンウスユキソウにひたすら寄せる思慕の念そのものであるかのように思われた。そして、そんな霧と風とのはたらきかけを涼やかに受け流しながら、天賦の気品を失うこともなく凛として咲きつづけるその一輪のレンブンウスユキソウの姿は、まさに礼文島の花々を守る妖精ともまがうばかりでもあった。

どうしてそのような資質をそなえもつようになれるのかはわからないけれども、この世には、ごく稀にだが、天賦の品格とでも形容するほかはないきらめきを内に秘めた女性というものが存在する。しかも、そのような女性は、自らもそのことに気づかぬままに、社会の片隅に隠れたかたちで存在していることが少なくない。

どんな逆境に立ち、またどんなに俗社会の泥にまみれようとも絶対に輝きを失うことないその種の天与の品性は、学歴、職歴、財力、権力、地位などといったものをどんなに積み重ねてみたところでけっして得られるようなものではない。むろん、どのような豪邸に住み、どんなに高価な衣服に身を包み、いかに美しい宝石類を身につけてみたところで、そんな女性の天性の輝きには及ぶべくもない。礼文島の断崖の上で人知れず咲く一輪のレブンウスユキソウのけなげな姿に、いつしか私はそんな女性の姿を重ね見ていたのだった。
2002年7月24日

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