初期マセマティック放浪記より

187.自詠旅歌愚考(八)

爽やかに夏を孕(はら)んで吹く風の
光る緑を目を閉じて聴く
(八ヶ岳野辺山高原にて)

久々に訪れた八ヶ岳野辺山高原はまだ初夏を迎えたばかりで、あたり一面は、芽吹いてまもない若草や若葉の柔らかな緑に覆い尽くされていた。明るい陽光のもとを吹きぬける風はこころもち冷たかったが、それでも爽やかそのものだった。私は広い野原の一角に腰をおろし、八ヶ岳連峰を仰ぎ見たり、真っ青な空を背にふんわりと浮かぶ白雲をぼんやりと眺めたりしていた。

そうこうするうちに、私には本来透明な空気の流れであるはずの風そのもののが明るく鮮やかな緑の精気を発しているかのようにさえ思われてきた。風という名の若緑色のスプレイが一帯の野山を鮮やかに染め変え、若い命の息吹の大合唱を喚起しているような錯覚に陥ったのである。もっとも、「風光る」とか「風薫る」とかいう昔からの表現の的確さを再認識させられもするこの錯覚は、けっして心地の悪いものではなかった。

その輝くような緑の風は、来るべき活動的な夏の「卵」や「蛹」を内に孕み、それらをこの高原の随所に産みつけたり産み落としたりしているように感じられてならなかった。
そして、そんな錯覚にひたるなら、ついでに、吹きぬける風の緑色の輝きを耳で聴き取ることはできないものかという、妙なことを考えはじめた。こうなるともう、「中年性痴呆症?」もいいところである。

柄にもなく瞑目してじっと大気の流れに耳を傾けると、なんと「風のせせらぎ」が聞えてきた。そして瞼の裏に緑に澄んだ「風の川」の美しい光景が浮かんできた。幻覚と言えば幻覚だし、幻想と言えば幻想にすぎないのだろうけれど、耳をもって外界の色を聴き取るなどということも、もしかしたら絶対に不可能だとは言い切れないのかもしれない。まったく目が見えないにもかかわらず、指先で色の違いを感じ取ることのできる人がいたりするというレポートをどこかで読んだことがあるような気もするが、もしもそれが事実なら、耳で色の違いを識別できるなどという超人が存在していてもおかしくない。近年、知覚や記憶に関する研究からも明かになってきているように、人間の潜在能力には底知れぬものがあるようだからだ。

凡庸な我が身を承知で、なお目を瞑って風の色を聴きわけようとしていると、この野辺山周辺をはじめとする八ヶ岳一帯を大きなザックを背負って歩き回った青春の日々の記憶が甦ってきた。細身ではあったが脚力には自信があったから、ずいぶんと無茶もしながら、なお未開のところも多かった八ヶ岳の自然を満喫したものだ。青春時代を想い出だすなんて雑念もいいところで、風の色を聴きわけるどころの騒ぎではないが、凡人の能力なんて所詮そんなものだろうと開き直った。

格好だけの瞑想はますます脱線し、脳裏にはまだ幼かった息子や娘を連れて清里や野辺山周辺の牧場、高原、渓谷などに遊んだ日々の想い出が浮かび上がってきた。けっして模範的な父親などではなかったが、野山には幼い子どもたちをよく連れ出した。何事にも不器用なうえに臆病かつ内向的で、大自然の中でいつも戸惑ってばかりいた息子が、いまでは折あるごとに深山を歩き回り、研究者の卵として人前で危なかしく怪しげなレポートなどを発表したりもしている。

反対に、幼い頃、好奇心にまかせ無鉄砲にこの一帯の野山を駆けめぐり、家にあってはニコニコしながらトイレのスリッパを齧るという奇癖をもっていた娘のほうは、どちらかというと日常的な生活空間の中にとどまり、趣味的ともいえる小さな創造の世界にひたっている。もしかしたら激励のつもりなのかもしれないが、折あるごとに父親をコケにして楽しんでいるのは彼女のほうである。

耳で色を知覚するなどという途方もないことに想いをめぐらせているうちに、昨年他界した石田達夫翁にまつわる面白い話を想い出した。石田翁がBBC放送に勤務していたときのこと、「春の海」などの筝曲で名高い宮城道雄が民族音楽祭参加のためイギリスを訪ねたことがあった。その際、石田翁は宮城道雄を案内して英国内のあちこちを旅してまわり、すっかり宮城と親しくなった。

その訪英の際、宮城道雄はフランスから空路イギリスにやってきた。ロンドン郊外の空港まで迎えに行った石田翁に、宮城は「飛行機の窓から見えた雲の色は綺麗だったですよ、ピンクと紅と黄金色のほどよく混じった幻想的な色に染まってねえ……」と感慨深げに語りかけてきたというのである。宮城道雄は盲目で知られていたから、その意外な言葉にさすがの石田も一瞬驚いた。むろん、雲の色など見えるはずがないと思ったからである。しかし、宮城の言葉には、現実に美しい雲の色を見たとしか思えないような深い感動の響きがこもっていた。
実際、旅客機の窓越しに乗客たちが目にしたその日の空と雲の色は素晴らしいものであったという。雲の色が美しいと話しかけるお供の者の声を耳にした宮城は、彼ならではの超常的な心眼をはたらかせ、その光景を感じ取ったものらしい。宮城が心中に描き浮かべた情景がどのようなものであったのかは知るよしもないけれど、彼が常人とは異なる方法で空と雲のおりなす天空のドラマを眺めていたことだけは間違いないと、石田翁は懐かしそうに語ってくれたものだった。

私のような凡人が「光る緑を目を閉じて聴く」にはおのずから限界があるが、宮城道雄のような稀代の異能者にしてみれば、美しい風の色を聴き知ることなどもそう難しいことではないのかもしれない――最後にはそんなことを考えたりもしながら、野辺山高原を吹き抜ける五月の風にいつまでもいつまでも愚かな我が身を委ね続けたのだった。
2002年6月12日

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