初期マセマティック放浪記より

168.自詠旅歌愚考(一)

かなしみも灯る命のあればとて
夕冴えわたる能登の海うみ
(能登金剛厳門にて)

能登半島西海岸の富来と福浦の間に位置する延長三十キロの豪壮な海食崖は、能登金剛と呼ばれている。日本海の怒涛によって食み刻まれた断崖が険しく聳え立ち、一帯の海中には奇岩怪石の類もすくなくない。松本清張の名作「ゼロの焦点」に登場することで有名な厳門やヤセの断崖はこの能登金剛の中心部に位置している。夕陽の美しい厳門一帯は、その金剛海岸のなかでも一、二の景勝地として名高い。厳門という地名は、水面から天井までの高さが十五メートル、長さが六十メートルの貫通洞門をもつ巨大な奇岩にちなんでいる。断崖下の磯辺近くに聳え立つその巨岩の迫力は圧倒的で、まさに「厳門」と呼ぶにふさわしい。

この能登金剛の厳門にやって来たのは、ある晩秋の夕暮れのことであった。独り磯辺に降り立つと、遥かな水平線に向かって真紅の夕陽が大きく傾いていくとことろだった。風は止まり、眼前に広がる西能登の海面はどこまでも凪ぎわたっていて、激しく岩を食む冬の日本海の荒波からは想像できないほどの静けさであった。西の空は荘厳な茜色に染まり、赤々と燃え立つ太陽が水平線に近づくにつれて、海面には赤紫色と黄金色の光の帯が煌き走った。

ほどなく夕陽が水平線の彼方に姿を隠すと、西方の天空にしばし黄道光が輝き、そのどこか神秘的な光が消えていくにつれて、空も海も息を呑むような黄昏色に覆われていった。

刻々と彩りを変えていく空も海も夕陽も、そして黄昏の色も、さらにはそのあとに続く紫紺の空で輝きはじめた星々も、皆が皆、かなしいほどに美しかった。私の立つ磯辺の岩を絶え間なく洗う夕潮の囁きも、深い哀調を湛えて切々と胸に迫り来るのだった。

かなしいまでに夕冴えわたるその能登の海を、私は迫る宵闇をものともせず、いつまでも独り佇み見つめ続けた。そして、この「かなしさ」や「さびしさ」はいったい何処からくるものなのだろうかと考えた。自然の景観そのものはもともと無心なものである。それを「美しい」とか「かなしい」とか「さびしい」とか感じるのは自然に対峙する人間の心があるからにほかならない。この大宇宙の滴とも言うべき私という人間の体内に灯る命の火があるからに違いない。

たとえそれが深い絶望につながるかなしみであったとしても、いや、むしろ、そんなかなしみであればあるほどに、そう感じる人間の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに相違ない。深いかなしみが命灯の輝きの証であるならば、「かなしみ」や「さびしさ」をより多く背負う人間ほどいまを激しく生きているのだと言えないこともない。「そんな人間こそほんとうはより命を輝かせて生きていると言えるんだよ」という無言の励ましの言葉を、この夕冴えわたる晩秋の能登の海うみは、あてどもなく旅行く私に贈ってくれているように思われてならなかった。
2002年1月30日

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