初期マセマティック放浪記より

106.素顔の川畠成道さんを訪ねて

九月初旬の昼下がりのこと、東京三鷹市深大寺の閑静な住宅街に、ヴァイオリニストの川畠成道さんをお訪ねした。前日にコンサートのあった名古屋から戻ったばかりのうえに、ほどなく迫った札幌でのコンサートに備えて練習に入らなければならないという時期ではあったが、川畠さんは御両親の正雄さん麗子さん共々、きわめて私的なこの日の訪問を快く受け入れてくださった。しかも、当初は二、三時間ほどでおいとまするつもりでいたにもかかわらず、川畠家の皆さんのご好意もあって、結局、同行の私の後輩共々、夜十一時頃まで延々と話し込む結果になってしまった。

成道さんの父君正雄さんと私には鹿児島に共通の知人がある。正雄さんとは幼なじみのその知人を介してヴァイオリニスト川畠成道さんの存在を知ったようなわけだったが、その魔術的な弦の響きに感動してからというもの、私は熱烈な川畠ファンになってしまった。そしていまでは紹介者である鹿児島の知人を差し置いて川畠家の皆さんには大変懇意にしていただいている。府中の我が家から川畠家までは車で二十分たらずなので、私が先方に伺うのにもほとんど時間はかからない。

いまや川畠伝説ともなりつつある成道さんの経歴や輝かしい業績については各種メディアで既に繰り返し紹介されているし、私自身も以前にこのコラムで筆を執ったことがあるから、あらためてそれらの事柄に詳しく触れることはしない。ここでは、音楽にほとんど無知な人間のゲリラ的訪問によって得られた成果(?)をもとに、二、三週にわたって成道さんをはじめとする川畠家の皆さんの素顔の一端を紹介してみようと思う。あくまでも「素顔の一端」で「全貌」ではないから、その点はあらかじめお断りしておきたい。

この日川畠家の門前に立ってチャイムを鳴らすと、成道さんとご両親の正雄さん麗子さんが揃って玄関に現れ、我々二人を温かく迎え入れてくださった。我々が通された二階の間は、成道さんや、やはり芸大出のヴァイオリニストである正雄さんが練習に使っておられる部屋だった。お二人の練習風景などが想像できてなんとも嬉しいかぎりではあったが、この部屋を客の我々が占領している間、成道さんは本格的な練習ができないとことになってしまう。ちょっと心配になってきたのでその点を確認すると、グランドピアノを置いてある別室が階下にあり、そこでも練習できるから気遣いはいらないとのことであった。

成道さんの隣に座った私は、それを幸いにとばかりに、音楽には必ずしも関係のない愚問のかぎりをこの天才ヴァイオリニストに次々とぶつけてみることにした。また、正雄さんと麗子さんのお二人にも遠慮なく不躾な質問をさせてもらうつもりでいた。このへんはまあ、厚顔無知の鎧を纏った身のほど知らずの音楽音痴人間の強みとでもいうしかないだろう。

まっさきに食べ物の好みについて尋ねると、チャレンジ精神が旺盛だからなんでも食べるようにしているが、やはり洋食などより和食のほうが美味しいと思うとのことだった。成道さんの活動拠点が置かれているイギリスは、昔から一般的にあまり美食にこだわらないお国柄だから、そのぶんよけいにそんな思いがするのかもしれない。成道さんの英国滞在時、常に生活を共にしているお母さんの麗子さんは、米などをはじめとする日本食の食材を求めてロンドン市内のかなり離れたところまで買い物に出かけることが多いらしい。「数キロの米のほかに他の食材や生活用品を合わせて買い込み、バスに乗って持ち帰るのですから、そりゃあ逞しくもなりますよ」と麗子さんは笑っておられた。麗子さんは、楽曲の譜面を直接に読み取ることの困難な成道さんの暗譜作業をピアノを弾いて手伝うかたわら、異郷の地での日常生活に欠かせない雑務のすべてをもこなしておられるわけである。

まだ八歳だった成道さんが不慮の薬害事故に遭遇してからここにいたるまでの麗子さんの辛苦の道のりは想像を絶するものであったようだが、そんな昔の苦労の陰などどこにも感じさせないとても気さくで素敵な方である。知性と強い信念を内に秘めておられるにもかかわらず、まったく飾り気のない庶民的な感じの方だと書かせてもらったほうがよいかも知れない。すっかり成長した成道さんを、一定の距離をおいて冷静に見つめておられるのも大変印象的だった。成道さんのリサイタルなどではいつも、正雄さんも麗子さんもまったく目立たない格好をして招待客などとは離れた会場の片隅にそっと座って聴いておられる。ごく普通の生活感覚を大切にし、個々のお子さんの自主性を尊重するというのが昔からの川畠家の教育方針だったようで、そもそも、不慮の薬害事故などがなければ成道さんを音楽家なんかにするつもりはなかったのだという。十歳まで成道さんに楽器をもたせたことは一度もなかったし、実際、二人の弟さんがたは音楽とはまるで無縁の道を歩んでおられるようである。

「日本食が食べられるというお店に入って味噌汁が出てきたところまではいいんですが、その味噌汁をすっかり飲み干すまでは御飯をはじめ次の料理が出てこないんですよ。ミソ・スープだから西洋料理のスープ並みに綺麗に飲み干してからでないと次のディッシュを出してやらないということなんでしょうが……」などと、イギリスでの食生活まつわるエピソードの一端を苦笑まじりに語ってくれる成道さんは実に快活そのもので、話はどんどん弾んでいった。

一流の音楽家に向かって、いまさら、「どんな音楽がお好きですか?」もないもんだが、そんな愚問にも成道さんはにこやかに応じてくれた。どんな音楽であってもそれぞれに固有の素晴らしさが秘められており、折々の人生のなかでそれらに出逢い、感動もし共感もし、またそこから学んだりもしていくわけだから、結局、どんな音楽でもそれなりに好きだということになるんでしょうね、というのが成道さんの答えだった。ジャズやポップスなどを好んで聴いたりすることもあるらしい。

どの作曲家の曲が好きですかという問いかけを受けることは常のことであるらしいが、同じ作曲家の作品だって感動的なものもあればそうでないものもあるから、一概には答えられないと成道さんは笑う。新たな曲に出逢い、それにチャレンジしていく過程ではじめてその曲の秘めもつ素晴らしさを発見することのほいが多いとのことで、その意味でも好みの曲は特定されてはいないのだという。四十代、五十代の円熟期を睨み、心技両面におけるいっそうの飛躍を目指して自己練磨中の成道さんにとって、それは当然のことなのだろう。あえて読書になぞらえれば、自己成長につれて書物の好みや特定の本に対する評価や認識が変わってくるのと同じようなもので、日進月歩の日々を送っている成道さんの場合にはとくにその傾向が顕著なのだろう。

日常的な生活パターンについて尋ねると、ロンドンにいる時などは、大体午前八時頃に起床し、朝食や昼食、休憩などをはさんで午後十時頃までヴァイオリンの練習をするのが日課になっているという。練習終了後に遅い夕食をとって十二時頃に就寝するから、平均睡眠時間は八時間くらいだとのことだった。実質的には日に八時間くらいは精神を集中し体力の消耗を惜しまず厳しい練習を重ねているわけで、それは「天才の陰に努力あり」の教えを地でいくような話であるといってよい。巨匠と呼ばれるソリストたちは皆、高齢になっても毎日十時間くらいは練習をするのが当たり前なのだそうで、なかには集中力を維持するため、長時間にわたる練習中いっさい食事抜きで通す人もあるという。

「会社勤めの方々などは誰だって毎日八時間や十時間の仕事はなさるわけでしょう。私たちだってそれが仕事なわけですし、わざわざ会場に足を運び、それなりの料金を払って聴いていただく以上、プロとして当然のことなのではないでしょうか」と、なんの衒(てら)いもなく成道さんは言ってのける。十歳でヴァイオリンを始めた当時、薬害で皮膚の痛んだ指先から血を流しながら父正雄さんの猛特訓に耐え、けっして大袈裟ではなく人の数倍は練習を積んだという成道さんだからなんでもないのかもしれないが、私のような不精者には大変耳の痛い話ではあった。

ロンドン市内の成道さんのアパートメントはグランドフロア(一階)なのだそうで、上のファーストフロア(二階)には男の子二人のいる賑やかな家族が住んでいるらしい。そのため天井ごしに聞こえてくる物音も相当なものなのだそうだが、成道さんにはそのほうが好都合でもあるようだ。むろん、成道さんのほうも遠慮せずにおもいきりヴァイオリンの練習できるからだそうで、いまでは上階に住むその家族もすっかりその音楽環境(?)に馴らされてお互い和気藹々なのだという。天才ヴァイオリニストの生演奏をバックグランド・ミュージックにした日常生活というものがいったいどんなものか一度体験してみたい気もするが、そればっかりは野次馬精神旺盛なこの身にもどうしようもないことではある。

成道さんはこのロンドンの住まいから、大学院卒業後のいまも王立音楽院の先生のもとにレッスンに通い、さらには時々ユーロスターに乗って英仏海峡のトンネルをくぐり、パリ在住のフランス・ヴァイオリン界の第一人者、ガストン・プーレを訪ねて、その教えを乞うているのだという。長期間ロンドンのアパートを空けると、英国特有の気候やアパートの構造上の関係でたちまち住めなくなってしまうおそれがあるので、不在の間は王立音楽院入学以来の親友でピアニストのダニエルベン・ピエナールに自由に使うようにしてもらっているのだそうだ。南アフリカ出身のピエナールはやはり王立音楽院大学院卒業の優れたピアニストで、川畠成道リサイタルの伴奏者として名コンビを組み、近年国内でも広く知られるようになった人物だ。成道さんが不在の時、上階に住むくだんの一家にはヴァイオリンの響きにかわってピエナールの弾くピアノの名曲の音が聞こえてくるのであろうか。そんな妙なことがいささか気になりはしたが、その点についてはついつい聞き漏らしてしまった。

成道さんと談笑しながら、私は四本の弦を神業のごとく捌くその左手の指を見せてもらうことにした。そう大きなほうではない成道さんの手は全体的にとても柔らかで温かだった。指の先端はちょっと平な感じになっていて、角がとれてすこし丸みを帯びた小さなサイコロの表面を連想させた。むろん、十八年の長きに渡る弦との格闘の結果なのだろう。弦を押さえる指先の平らな部分に触ってみると意外なほどに柔らかだったが、さすがにその皮膚の一部はかなり固くなっていた。

ただ、当初予想していたようなペンダコなみの固さではなかった。お父さんの正雄さんに伺ったところでは、的確に弦を捌くには指の先端はなるべく柔らかいほうがよいのだという。入浴の時などには固くならないように軽石のようなものを用いて指先をこするようにしているのだとのことだった。いっぽう、テニスの選手などと同様に、弓をもつ右手のほうは長年のうちに左手に較べて少しばかり長くなるらしい。だから、洋服などを仕立てる際には右袖を長めにする必要があるのだそうだ。
2000年11月8日

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