初期マセマティック放浪記より

90.フリーランスってなに?

初対面の相手と挨拶を交わすとき、「お仕事はどのようなことを?」と訊ねられると、私のような人間はとりあえず「フリーランスです」と答えるしかない。一応名刺も持ってはいるが、もちろん肩書きのない、自分の名前と住所電話番号を記しただけの名刺である。

世の中には「フリーライター」という言葉がある。何時頃から一般化した和製英語かは知らないが、「フリーのもの書きです」という意味のあるらしいこの言葉が、私は必ずしも好きではない。べつに今ばやりの「フリーター」と間違えられるから嫌だというわけではなく、もっと深い理由があってのことである。その日暮らしの経済的な生活状況から言えば私などはまさにフリーターの典型に違いない。

たぶん、フリーライターという言葉には、どこかの出版社や新聞社の「専属ライター」ではなく、どこの仕事でも引き受けるライターだと言う含みがあるのだろう。それならば単にライターと言えばよさそうなものだが、あえてフリーという一語を冠するところがいかにも日本的である。もしかしたら、「ライター」すなわち「作家」と名乗るのはおこがましいが、かといってまったくの素人とも違う書き手という少しばかり屈曲した思いがその言葉には込められているのかもしれない。本来、文章を書く仕事をする人は皆ライターなのだから、個人的には「フリー」という冠などつけなくてよいと思うのだが……。

「フリーライター」という和製英語が生まれた背景には、おそらく「フリーランス(free
-lance)」という英語の存在があったと思われる。定職を離れ所属のない生活を送るようになってからは、私なども職業を訊ねられたとき、「フリーランスです」と答えることがおおい。そんなとき、「フリーランスってなんですか?」と問い返されたら、細かな説明は面倒なので、「いやー、要するに、落穂拾いでもなんでもやるフリーのことですよ」とついついお茶を濁してしまうのだが、実は「フリーランス」という言葉にはそれなりの意味がある。

欧米ではライターや各種アーティストで「フリーランス」を名乗る人は少なくないし、そう名乗る人は、有名無名にかかわらずそれなりの信念と自分の仕事に対する良い意味での責任と誇りをもって生きている。それは、欧米にあっては「フリーランス」という言葉が長い歴史と伝統に支えられた言葉でもあるからだ。

「free-lance」を直訳すると「自由の槍」ということになる。「chivalry world」すなわち
中世騎士道の世界において、特定の王侯貴族に仕えることなく手にした「槍一本」のみを頼りに乱世を渡る騎士たちがいた。誇り高き彼らは、その実力を真に認め遇してくれる王侯や貴族のために働きはしたが、けっしてその臣下として帰順することはなく、あくまで一匹狼として自由意思を貫き通した。

むろん、状況次第では、彼らは不遇に甘んじ、損得抜きで義を貫くこともあった。そして、そんな彼らはいつしか「free-lance」と呼ばれるようになっていったのである。中世騎士道の時代が終わり、ずっと後世にいたってからも、その故事にちなんで、欧米においては、特定の雇用主に属さず自らの信念に基づいて専門の仕事をする人々はフリーランスと呼ばれるようになったようである。

「槍一本の渡世人」とでもいったもともとの意味でのフリーランスにはほど遠い私だが、所属のない立場に身をおくようになってからは、ともするとクライアントの顔色をうかがいながら流されたり妥協したりしがちな身を律するために、たまにはフリーランスの精神に立ち返って折々の自分の現状をチェックするようにしように心がけてきた。まあそんなこともあって、表だって職業を問われたときには、「フリーライター」ではなく、「フリーランス」と答えるようにしているわけである。それに、私の場合、ライターばかりをやって生計を立てているわけではないから、フリーライターという言葉はしっくりこない。

とまあ、そこまでの決意表明のほどは格好いいのだが、現実にはということになると事情ははおのずから異なってくる。警察の取締まりの厳しい現代ということもあって、槍をば下手なペンやキーボードに持ち替え、時々旅をしたりしながら、本来のフリーランスにはあるまじき拙い文章などを書き綴っているわけである。朝日新聞社のアサヒ・インターネット・キャスター欄(AIC欄)の放浪記などもその一環にほかならない。

当該欄の担当を依頼された私が原稿用紙換算で平均十四、五枚の長い原稿を書き送りはじめたとき、編集者は、ネット上でこんな長い原稿を読むのは自分だけで、最後まで読み通す人は読者中には一人もいないだろうと思ったのだそうだ。編集者からは、長期の連載原稿を避け、原稿三、四枚程度の文章にするようにとの要請が何度かあったが、私はその意思に逆らい、私なりの方針を貫いてきた。編集者には申し訳ないとは思ったが、そこは労力と経済性を無視し、少しでもAIC欄のために役立てばと思って書きはじめた「フリーランスもどき人間」の意地である。原稿料はほとんどないに等しいが、自由に何でも書いてよいし、メディアの性質上長さもとくに制限はないというのが当初の話だったから、ある意味で私はその言葉を素直に受け取っただけのことである。

インターネットの前段階のパソコン通信時代、nifty-serve開設以来の古参常連会員だった私は、ホストサイドからの依頼もあって、一時期、strangerというハンドルネームを使い様々な角度からコンピュータ通信の可能性を探っていた。本名こそ表に出ることはなかったが、そのころstrangerというハンドルネームは、その世界ではかなり知られた存在であった。そしてその実験的試行の一環として、私は二年間ほど掲示板に毎週のように長文原稿をアップし続けていたことがある。以前にこの欄で紹介したことのある拙稿、「当世修善寺物語」や「納涼怪談レポート」などは、実を言うと、その時代に掲示板に一度アップしたことのある原稿を少しばかり手直ししただけのものである。当時のパソコン通信会員数はまだ全国でせいぜい四、五万人程度だったが、それでもその実験的な試みを通して私は相当数の常連読者を獲得することができた。

こんなことを書くと申し訳ないが、三大新聞社の記者らをはじめとする各新聞社や雑誌社の記者たちのほとんどが、パソコン通信はマニアックでネクラな連中のやることで、その内容も機能も稚拙でまだまだとても活字媒体には及ばないと嘯いていた時代のことである。
  当時、新曜社という出版社からの依頼で「電子ネットワールド・パソコン通信の光と影」という本をstrangerというハンドルネームで執筆し、近い将来のコンピュータ通信の様々な可能性や、考えられる利点やリスクについてわかりやすく説きもした。現在インターネットの世界で起こっている、ウイルス、ハッキング、パスワード盗難、誹謗中傷、恐喝、詐欺、過度な宗教勧誘、売春勧誘、薬物売買といったような各種の不祥事は、すでにパソコン通信の時代から起こっていた。それら通信世界の功罪や人間模様について、ジョークや珍談を豊富に交えて述べたかなり軽いのりの本であったが、それを読んだ科学技術庁傘下の未来工学研究所や電機事業連合会などから通信世界の展望について諮問を受けたりするというおまけまでついた。

そして、現実には私の予想をもはるかに上回る速度でインターネット全盛の時代が到来した。いまや新聞社や雑誌社が手のひらを返したように我先に競ってネットを活用し、コンピュータ関連誌を次々に出す時世である。パソコン通信の時代からインターネットへの過渡期において、私自身、朝日の初心者向けコンピュータ誌pasoで創刊から二年間ほど「コンピュータ解体新書」というコラムを担当したりもした。

そんな経験などもあったので、初めは敬遠されたとしても、時間がたてば少しずつ読んでくださる方も増えるだろうと考え、敢えて長い文章を、そしてときには硬質な文章を書いてみたりした。インターネットの掲載文は情報を伝えることが目的だから、文体や文意、論旨の展開にあまりこだわらず軽く書き流すのがベストだし、読者もそのほうを好ましく思っており、多くの人は凝った文章などを期待してはいないというのはその通りだろうし、またそれでよいとも思う。しかし、インターネットが発展途中のメディアであり、将来的には個別的なニーズを満たすことを目指しているとすれば、様々な試みはなされてよいのではなかろうか。

一連の手記は体裁を放浪記にはしてあるが、インターネット上の記事だからといって行き当たりばったりの出来事を何の下地もなく適当に書いているわけではない。文体に注意を払いながらそれなりに推敲も加えているし、実取材のほかに相当量の資料も調べたり読んだりしてもいる。実生活の糧を得るための雑務をこなしながらの執筆なので、苦労がないと言えば嘘になるが、たとえ少数であったとしても喜んで読んでくださる方があるというなら筆者としては冥利に尽きる。

最近の編集者の話によれば、私のたわいない長文に毎回最後まで目を通してくださるマニアック(?)な読者の方がずいぶんと現れてきたそうである。私自身はその方々がマニアックだとは思いたくないが、たとえそうであったとしても唯々心から感謝申し上げるばかりである。また、長文掲載という実験的試行を危ぶみながらも二年近くじっと我慢し続けてきた編集者にもそれなりの感謝と敬意を表する必要があるだろう。

欧米でいわれるようなフリーランスには到底なれそうにないが、せめて「フリーランスもどき」のさらにそのまた「もどき」くらいのライターにはなれるように心がけたいと思っている。たとえ永遠の習作ライターで終わるかもしれないにしても……。
2000年7月12日

カテゴリー 初期マセマティック放浪記より. Bookmark the permalink.