初期マセマティック放浪記より

75.戯曲漫談『当世修善寺物語』

――独鈷の湯の場面――



舞台:伊豆の修善寺温泉、露天風呂・「独鈷(とっこ)の湯」
<登場人物>
男一:伊豆放浪中の中年男(百円ライター並の使い捨てライター)
男二:ライターの同行者(幽霊プロダクション・プロデューサー)
女達:中年女性七、八人(推定年齢四、五十歳の猛烈オバサンたち)
老人:女性たちの同行者らしい七十歳前後の好々爺風の男

冷え込みの厳しい師走の夜遅い時刻。中天には満月まであと二、三日と思われる明るい月が輝いている。月光にキラキラと映える桂川の川面が美しい。心の奥にそっと分け入ってくるようなせせらぎの音が、すっかり静まったあたりの空気をかすかに震わせている。

舞台中央、桂川の川面の中程に荒目の透垣に囲まれた露天風呂「独鈷の湯」が見える。立ちこめた湯気が、時折吹き抜ける冷たい風に乗って川下の方へと流れ去って行く。

舞台上手から、ジーンズに厚手のセータというラフな出で立ちの二人の男がタオルを手に登場。あたりの風情をあるがままに楽しみ、時間などまるで気にする様子もない彼らの姿には、かねてから放浪の旅に慣れ親しんでいる者に特有の身軽さが感じられる。

男一:誰もはいってないよ、こりゃー、サイコ-!……もったいないくらいだよ。
男二:これで美人がはいってたらドンピシャリ決まるんだけど、そうも贅沢言えませんか?
男一:でもさ、二対一かなんかだったら、美女をめぐって二人で決闘しなきゃならんだろ。
(二対八で圧倒される情けなくかつ恐ろしい事態の予感など、二人にはまださらさらない)
男二:決闘?……ピストルでですか、それとも、水鉄砲ですか?
男一:おいおい、妙なイメージ呼び起こす洒落出すなよ、風情がなくなる!
男二:何をおっしゃるウサギさん!
男一:そんならおまえとカケくらべってか?……いまさらカケあうほどの元気もないしね。
男二:「さっきの自慢はどうしたの?」、なんてことにはお互いなりたくないもんですね!

独鈷の湯の中にいり、差し込む月明りの中で衣類を脱ぎ捨て(陰の声:しかし男は様にならない)、入口近くの透垣の上に無造作に掛けると、満々と湯を湛えた岩造りの湯船に飛び込む。サーッと広がった水紋が月光を吸って躍り輝き、湯船の外へと溢れ出ていく。それに合わせるかのように、せせらぎの音がひときわ高まる。

男二:(すっかりいい気分になったあと、「独鈷の湯」の由来を記した解説板があるのに気づき、月明りを頼りにその一文を読み始める)
なになに……平安時代のこと、弘法大師は桂川の冷たい水で病の老父の身体を洗う少年の姿をご覧になって心をうたれ、手にされた法具の独鈷で岩をうがち、その法力をもって念ぜられたところ、たちまちにしてそこからこんこんと温泉が湧きだし……かぁ、ふぅーん!
男一:しかし弘法大師様も忙しいお方よねぇ!……あの交通の不便な時代に日本のアチャコチャに出没して、温泉だしたり水だしたり薬つくったり病気治したり。弘法様が千人くらいはおらはらんと現実にはまにあわんかったろうね。弘法様もなかなかのビジネスマンだったんだろうな。まあ、でも、そんなことはどうでもいいか……。湯加減が最高なら言うことないよ。しかも、この露天風呂、入浴料は只ときてるからね。
男二:弟子かなんかが、僧侶の特権を利用して全国を旅しながら、温泉や水の湧きそうなところ、あるいはすでに湧いている極秘の場所に目を付けておいて、なんにも知らない善良な民をまえに弘法様の法力でムニャムニャとかなんとかやって……。
男一:弘法エンタープライズの発展と勢力拡張をはかったんだろうね。
男二:それにしても、伝教大師様がっていうのはなぜかほとんど聞きませんね。
男一:ウーーン、そういえばそうだなあー、「デンギョウ」じゃ温泉がデンからかな?

しばらく沈黙が続く。身を深く湯に沈め満ち足りた表情の二人。月光はますます冴えわたり、なにやら幻想的な雰囲気すら漂いはじめる。滝口入道と横笛の悲恋物語を想い偲ばせるような光と陰と水音の不可思議な交錯が続く。

男二:弘法様というお方は、流浪の旅に身をやつすものたちに、美しい女性を差し向けてやろうとは考えてくださらんかったんですかね?
男一:ご自分も諸国を流浪なさっていたんじゃ、自分に差し向けるだけで手いっぱいじゃなかったんかなあ?
男二:この際、文句はいいません、おこぼれでもいい!……弘法様ッ!
男一:こらこら、ここは赤坂や六本木じゃないんだぞ、神聖な独鈷の湯だぞ!……ま、はいってる人間のほうはあんまし神聖じゃないけどなあ……。

(一瞬、二人の笑い声、そして、一呼吸おいたあと)

男二:ところで、今晩これからどうします?
男一:どうしようか? まあ、ここでもうちょっとボーッとしてから、お月様と相談してそれからまた、ぶっ飛ばそうよ。こっちは暴走を好むほうの「好暴大師様」ってわけよね!
男二:コウボウも運転の誤りってこともありますよ。
男一:そんときゃそんときで、天国の温泉にはいれるからいいさ。
男二:そういや、天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいしネーチャンは美人だ……なんて歌が昔大ヒットしたことがありましたっけねえ。

二人は湯船の外縁に近い浅く平らなところに、石を枕にして仰向けに横たわり、天空の月を仰ぎながら、夢見気分で遥かな想いに耽ける。長い沈黙が続く。胸に秘めた遠い人のことなどにそれぞれ慕いを馳せている風情。せせらぎの音だけが緩やかな時の進行を感じさせる。冴えわたる青い月光に浮かぶ二人の男の裸体(陰の声:しかし、この無粋な光景を映像化するにはかなりの演出技術が必要かとも思われる)。



――暗転――

突如、舞台下手から、旅館の浴衣と羽織をまとった一群の中年女性が現れ、甲高い笑い声や奇声に近い叫び声をあげながら、下駄の歯音も高らかに独鈷の湯の入り口へとなだれ込む。

女一:あったわよー、ここだわよ!……はいろーっ、はやく!
女二:あらー、男の人が二人はいってるみたいだわよーっ!、どーするーっ?
女三:いいじゃないの、ちょうど、誘惑すんのに!(一同、ギャハハハハハハとけたたましい声をたてて笑う)

すっかり夢見心地にひたっていた二人の男は、何事が起こったのか判らずしばし呆然とするが、ただならぬ事態に気づくと、半ばおろおろしながら、慌てふためいて起き上がり、固い防御の体勢をとりながら湯船の中に深々と身を沈める。

男一:(小声で) ココッ、コウボウ様のタタリじゃ、こりゃ!
男二:(同じく小声で) ドドッ、ドウします?
男一:(かねてのクールさもどこへやら)ほ、ほんとうにはいってくるきかよ!
男二:(わが眼を疑うかのごとく)これじゃ、出ようにも出れない、タスケテクレー!

そうするうちにも、女達は皆でギャーギャー騒ぎながら衣類を脱ぎすて、入口付近の透垣に掛ける。何人かの女は、わざととしか思われないやりかたで、男達の脱衣の上に自分たちの脱いだ浴衣やパンツ、ブラジャーなどを掛ける。男達はなすすべもなく、湯船の中から横目で恨めしそうにその様子を眺める。

脱衣を終えた女達は、眼のやり場に困りただ窮するばかりの二人の男を嘲笑うかの如くにお揃いのおおきな躯をゆすり、魅惑的ムードとはまるで無縁の恐るべき存在感を誇示しながら次々に湯船に迫る。

女四:はいるわよーっ、オニイサンがた!
女五:そんなに逃げなくてもいいんじゃない、まさか、ドーテイじゃないんでしょ?
女達:ギャハッハハハ

それには答えず、男二人は湯船の隅の方へとじりじりと身を引く。たまたま、そこが湯の湧き口近くだったため、熱い湯が二人の背中を直撃、思わず、アチチチと顔を歪めながらも、必死にそれをこらえる。その間に総計八人の女達は湯船の大半を占領してしまう。いよいよ窮地に追い込まれる二人。女達はわがもの顔で湯船の中を動きまわり始める。

男一:(男二の耳元で)こりゃ、オバタリアンの逆襲だ!、どやって逃れよう?
男二:(囁き返すように)八対二、しかも、かよわい男二人に対して、敵はまるで恐れを知らぬ豪傑ばっかり……。
男一:このまんまじゃ、茹でダコになちゃうよ、なんかもう頭のほうもボーッとしてきちゃったし……。

(そんな男達二人の様子を見ながら)

女一:あんたがた、そんなに隅にいかないでこっちにいらっしゃいよ!
女六:食べはしないから、大丈夫よ!
女三:食べてあげるっていったほうが、いいんじゃないの?
女達:ギャハハハハハハ
女七:でも、あんだがた、よく見ると二人ともイイ男じゃない!
(陰の声:この一言は、男達にとって悪夢のような出来事の中でのせめてもの救いではあったかもしれない。この猛女の御一行様からも見向かれさえしないようでは、彼らはもはや生きる気力を失い、絶望の果てに、桂川の淵――そんなものがあるのかどうかさえ定かではなかったが――に身を投じ、この一幕の結末も違ったものになっていたであろう)
女八:どれどれ、もっと近くで見てあげようか。
女五:あんた、どこ見る気なの?
女達:ギャッハッハッハ

返す言葉もなく身を固くして無言のままの男達。熱いお湯のせいもあってだんだん頭がクラクラしてきて我慢も限界に近くなる。思考能力がすっかり低下し、かねての毒舌ぶりなどみるかげもない。一瞬、そんな二人の脳裏を、いつも何人ものオオババタリアンを相手に孤軍奮闘する小堺一幾の偉大な姿がよぎる。

女四:これでいい話の種ができたわ、イイ男達と一緒に風呂にはいたって!
女五:でも、まだ、顔しか見てないわよねー
女達:そうだわねーっ、ハハハハハ
男一:(残された気力をなんとかふりしぼり、なんとか活路を見いだそうと)見せてあげてもいいけど高いですよ。
女六:八対二の物々交換なら文句ないんじゃない?
男一:量よりも質ってこともありますからね。(そう言いながら、いざという時にそなえて、衣類のあるところ迄の距離を目測する)
女一:(男二のいる側からグーッと近づいてきて、男二の躯に手を触れるようにして)ねえ、あんたがた、今晩何処に泊まってんの?
男二:(幽霊プロダクションのプロデューサーとして若い女優らにあれこれ偉そうに注文をつけているいつもの図々しさはどこへやら、ただもう恐れ怯えつつ)こっ、このへんには泊まりませんよ!……も、もうあがりますから!
女一:もうあがるんだって、みんな、折角だからよーく見ときなよ!
女達:ギャハハハハハ(その笑い声はせせらぎの音をもかき消さんばかり)

そういわれて、男二人はまた動きがとれなくなるも、ほんとうにノボセてきて、眩暈をさえ感じはじめる。これはもう、いよいよ開き直るしかないと覚悟を決めかけたちょうどそのとき、泊まり客専用の羽織と浴衣を身に着けた老齢の男が現れる。

老人:なんだ、なんだ、もうあんたがた、みんなはいってんのか!
女八:用心棒が遅れてきたんじゃ、なんにもならないじゃないの!
老人:あれま、見知らぬ男の人と一緒にはいってんのか!、もう見ちゃーおれんわ!
 
  男はそういって、衣服を着たまま湯船に近づき、湯船の脇の岩の上にわざと背中を向けて腰をおろし、透垣ごしに桂川の川面を見つめるふりをする。
男一:(心の中で)冗談じゃないよ……用心棒が欲しいのはこっちだよ!
男二:(心の中で)用心棒でもなんでもいいから、早く何とかしてくれーっ、でないともうノボセて死ぬよーッ!
女三:オジサン、そんなとこで腰掛けてないで一緒にはいってくれなきゃ、用心棒にはならないじゃないの。
女四:オジサンの用心棒はもう振りまわしても誰も用心しないから平気よ!
(陰の声:こういうことをあたり構わず大声で叫ぶんだから、オバサン軍団は恐ろしい)

女達に再三促されてようやく意を決した老人は、衣服を脱いでいとも恥ずかしげに湯船の中にはいってくる。そして、女達と二人の男達の間に割ってはいる。

老人:ほら、あんたがたも、いい加減にせんと、この人達困ってるじゃないの……。
女五:オジサン、いったいアンタどっちの用心棒なの?
女達:ギャハハハハ
男一:(老人に向かって嘆願するかのように)あの、あそこの僕たちの服の上に乗っかっている衣類ちょっと動かしてもらえませんか、もう湯から出たいんで。
老人:(女達に向かって)またなんてことをやってんのよ、あんたがた!(そう言いながら、老年の男は湯船から出ると、女達の衣類の一部を動かし、再び湯船につかる。女達はその様子をみて、また、ゲラゲラ笑う。)

ここが限度と悟った二人の男は、一呼吸の後に示し合わせて湯船から飛び出すも、すっかりのぼせて足元がふらつく。それでも、必死になって衣服の掛かっている透垣に辿りつき、躯を拭くいとまもなく、アンダー・ウェアーを着る。完全に湯あたり状態の二人。背後で猛烈な罵声とけたたましい笑い声が湧き起こる。ジーンズを慌ててはこうとして片方に両足を突っ込みそうになり、バランスを崩してよろける姿を見てまたも笑い声と野次の追い打ち。そんな状況下でようやく衣服を着終えた二人は、おぼつかない足どりを見せながら、ほうほうの体でその場を立ち去っていく。

男一:ああもう参ったなあ、ロマンも夢もあったもんじゃない!
男二:もういや!……弘法様嫌い!

空には何事もなかったかのように、先刻よりも一段と明るく冬の月が冴えわたっている。桂川の水面は、鋭く小刻みに月光を弾き返しながら美しく揺らめき続ける。せせらぎの音に混じって、独鈷の湯の方から、なお、女達の笑い声が微かに洩れ響いてくる。
―――――――――――――――――《幕》――――――――――――――――――――
2000年3月29日

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