初期マセマティック放浪記より

43.故事「蛍雪の功」の真偽のほどは?

私がまだ南の島の小学校に通っていた頃の話である。小柄だが見るからに精悍そうな担任教師は、ここぞとばかりに、いちだんと語気を強めながら、その日の授業を締め括った。
「二宮金次郎は、貧乏でランプの油をば買いがならんかった。そいやっで、晩にゃ、蛍の光や雪明りばつこうて一生懸命勉強ばして偉うなったとや。蛍雪の功という言葉は、その……故事ちゅうか、そんな昔の有名なエピソードがもとになっちょる。小学生だからちゅうて、おまえらも甘えてばっかりおらんで、ちゃんと勉強せんにゃいかん。勉強なんちゅうもんは、その気になれば、どげんしてでもできるもんや!」

いまにして思えば、それは、古い中国の故事とずっとのちの二宮金次郎の伝説とをごちゃ混ぜにした、かなりいい加減な内容の訓話だった。だが、そんなことなど知るよしもない片田舎の小学生にしてみれば、その名調子の弁舌のもつ迫力と説得力はなかなかのものだった。

その晩のこと、即席ラーメンならぬ「即席金次郎」に早変わりした私は、呆れる家の者を尻目に、ガラスの小瓶を腰に下げ、片手に竹箒を携えて、近くの小川のほとりまで意気揚々と蛍狩りに出撃することになったのだった。人里から少し離れたところにあった川蜷の棲む幾筋もの清流は、知る人ぞ知る蛍の宝庫で、折しも時節も文月とあって、即席金次郎の目算には露ほどの狂いもなかった。当時の暮しむきはけっして楽ではなかったが、いくらなんでも薄暗い裸電球のひとつやふたつはあったから、蛍雪の功の故事にならう必要があったわけではけっしてない。そもそも素直にそんな教えに心酔し、苦労を惜しまず勉学を積んできたくらいなら、今頃もっと結構な身分になっていたはずで、こうして世をすねたような戯事なんかを綴ったりはしていないだろう。冗談みたいな話だが、それはひとえに、少年期特有の旺盛な好奇心のなせる業だったと言ってよい。

まるで、あの世の金次郎の執念が乗り移ったみたいな竹箒に追い回されたのでは、さしもの源氏蛍もたまったものではない。ほどなく、小瓶の中は、御用となった十数個の青白い光の粒でいっぱいになった。蛍にすれば迷惑千万な話で、物好きな小学生の心を煽りたてたくだんの教師がさぞかし恨しかったことだろう。

夜の小川のあちこちで一・二時間ほど大活劇を演じた私は、頃合いは良しとばかりに家に駆け戻り、さっそく実験にとりかっかた。昔はガラス瓶など珍しすぎて庶民の手には入らなかったろうとの想いから、和紙張りの古い小型の角行燈を持出してきて、空気穴を塞いだあと、その中に捕らえた蛍を放ってみた。

実験結果は予想に反してはなはだ不本意なものだった。あまりに不当な拘留ぶりに抵抗の意志をむきだしにした蛍どもは、人間様の浅知恵をあざ笑い茶化すがごとく、行燈の中をむやみやたらに這いまわり、支離滅裂で不規則な光の言葉をピーカピカ……こちらと思えばまたあちら、五条の橋の欄干で弁慶相手に名を馳せた牛若丸も目を回し卒倒しそうな忙しさ!…… 光度の弱さもあいまって、小さく細い活字など到底読めたものでなく、あえて読書を続けたら翌日の夜明けを待たずに錯乱し、寝込んでしまっていたことだろう。

くわえてまた、そのとき手にした本が本……四書五経などという高尚かつ深遠な書物にはほど遠い、江戸川乱歩の探偵小説「黄金仮面」だったから、蛍どもが攪乱戦術にでたというのもまんざらうなずけぬ訳ではない。世の崇高な目的のために犠牲を強いられるというのならまだしも、片田舎のハナたれ小僧が探偵小説を読むのに身を献げるなんて、とても我慢できないと、彼らはヘソを曲げたのだろう。

だが、話はまだ終わらない。そのとき、突然、即席金次郎は、その実験に重大な不備があることに気がついた。昔の書物の文字は、現代の活字に較べてずっと大きかったということをすっかり忘れていたのである。そこで、にわか金次郎は、すぐ仏壇の前に飛んで行き、古い木版刷りの観無量寿経と阿弥陀経和讃本を抱え込んで戻ってきた。また、そのいっぽうで、薄手の和紙で程良い小さな袋をつくり、「にっくきやつらよ、思い知ったか!」とばかりに蛍どもをその中に押し込んで、崇高な目的遂行のために有無を言わさず忍従を強要した。そして、その涙ぐましい努力と工夫の甲斐あって、経文のいかめしい文字がなんとか読めた……否、「見えた」のである!

これで一件無事落着、「蛍雪の功」の美談は必ずしも嘘ではなかったのだと私が納得したかというと、そうではない。幼いなりの思案の末に達した結論は、こともあろうに、蛍の故事が実話だとすれば、その人は伝説とは異なり相当な閑人だったに違いないというものだった。

蛍というものはか弱い昆虫で、狭い虫籠の中などでは捕えて数時間もしないうちに衰弱して光を失ってしまう。大切にして飼うにしても短命だし、だいいち、その手間隙だけでも容易なことではない。世の蛍が人間様の勝手な思惑にそれほど協力的であるわけはないから、夜水辺に出て相応の数の蛍狩りをするだけでも一・二時間は吹っ飛んでしまう。寸暇を惜んだ勤労勤学の人が、いくらなんでも毎晩川辺に出て、「蛍ヤーイ!」でもなかったろう。むろん、一度や二度なら十分にあり得た話だろうが、蛍の季節が短いことをも合わせ考えてみると、とても現実的な話だとは思われなかった。

南国ではめったに雪が降らないため、雪明かりのほうについては、残念ながら、具体的に確認することはできなかった。ただ、大人になってから、雪山で夜を過ごしたり、夕暮れ時に雪の深い地方を訪ね歩いたりした経験からすると、こちらのほうが、蛍よりはずっと現実味があるように思われる。雪は一度積もると容易には消えないからいつでも利用可能だし、雪明りというものには確かにそれなりのあかるさはあるからだ。ただ、雪明りは、蛍と違ってあくまで反射光であるから、焚火や近隣のランプの明り、月光など、なんらかの光源が必要になる。なんの光源もない真っ暗な場所で雪明りを利用して書物を読むことなどは、むろん出来るはずがない。

翌日、クラスメイトの何人かに事の次第を話したところ、そのうちのおせっかいな一人が、授業中いきなり、くだんの教師に向かって、
「先生、昨日の蛍雪の功の話のことやいもすばってか、ゆうべ、本田が、なんか、川でなまな(たくさん)蛍ば捕って……」と、やりだしたからたまらない。不意打ちを喰った教師のほうは、珍妙なうなり声を発し、怪奇面妖な形相を見せながら絶句した。想い出すたびに申し訳ないことをしたと、いまも、いたく反省はしているのだが……。

「蛍雪の功」の故事は中国の晋書中の車胤伝・孫康伝に見られるもので、かつての師には申し訳ないが、銅像に見るあの薪を背負った二宮金次郎がその逸話の主であるわけではない。もしかしたら、車胤伝や孫康伝を読んだ金次郎が、自らも蛍雪の功の故事にならおうとしたことはあったのかもしれない。また、彼が説いた勤労勤学の精神や刻苦勉励の教えそのものは、誰にとってもそれなりに大切なことである。だが、蛍雪の功の故事と二宮金次郎とは直接には関係ない。

蛍や雪にまつわる問題の故事は、いかに厳しい生活環境下でも勉学は可能だということを説くための象徴的なたとえ話だったと思われ、その意味では、実際に蛍の光や雪明りで読書がなされたか否かはさして重要なことではないだろう。だが、そんなたとえ話が、いつのまにやらある種のリアリティをもって勝手に歩きはじめ、現実離れした「お題目」となって、そこかしこで猛威をふるうとなると話は別である。このような事例は昔も今も少なくなく、そこに教条主義というものの怖さがあると言ってよい。愚かに見えるかもしれないが、実証的態度は、そんな教条主義的理論の限度を超えた横行を戒める力をもつし、それがもとで意外な発見や新たな状況の打開につながることも少なくない。

しかしながら、具体的な検証ばかりが極端に先行すると、外界の多様な事象の認識のしかたに統一性がなくなって収拾がつかなくなる。そんなとき、不安定かつ混沌とした状況に統一と調和をもたらし、社会のとるべき方向を示唆してくれるのが、理論であり理念であるものもまた事実だ。その意味では、実話かどうかに関わりなく、蛍雪の功のような、よくできた故事の存在もそれなりには必要となってくる。

ごくありふれた帰結になってしまうのだが、要するに二つのもは表裏一体で、両者の睦まじい二人三脚による助け合い的発展こそが望ましいということになる。片方だけの暴走は、結局のところ破滅につながるばかりである。

それにしても、労をいとわぬ昔の旺盛な探求心はいったい何処へ消え失せてしまったの
だろう。蛍の季節や雪の季節がやってくるごとに、幼い日々のことを想い出しては、ともすると感性も好奇心も鈍りがちなこの身を引き締めてはいるが、なかなか思うにまかせないのが実情だ。もしかしたら、いまこそ、私には、あのときの担任教師の言葉みたいに、実証精神や探究心を強く奮い立たせてくれるような何かが必要なのかもしれない。

もっとも、昨今の与党議員先生がたの「学級崩壊や少年犯罪の増加などの問題解決のため、日の丸・君が代をはじめとする愛国心教育が必要である」といったような、日の丸、君が代の是非を云々する以前のお粗末きわまりない議論を耳にしたりすると、理論も検証もどうでもよくなり、唯々こんなレベルの先生がたが政治の舵取りをしている国に住んでいること自体恥ずかしい気がしてしまう。したり顔でこういった発言をなさる先生がたは、ほんとうにこの国を愛しておられるのであろうか。日本という国を愛しているつもりの一市民としてついつい反問もしたくなってくるというものだ。

手が悪いのは、基礎論理学や修辞学(レトリック)を一定レベル身につけたある種のプロの手にかかると、「犬は犬である」というトートロジイ(同語反復、主語と述語が同じ概念の命題)的できわめて自明な論理命題の証明より、「犬は猫である」という常識を逸脱した命題の証明(?)のほがもっともらしく聞こえることだろう。それらの証明プロセスを考えてみても、後者のほうがより興味深いに違いない。

ある論理命題を立証するとは、「人間がすでに持ち合わせている概念や基本命題のなかから、なるべくやさしく、誰でも自然かつ直観的に受け入れるこのとできるようなものを選び出し、それらを組み合わせて目的とするより高度な命題の正当性を説明する」ことである。だから、あまりにも自明な命題を証明することは実はたいへん難しい。「犬は猫である」ことを立証して見せることのほうが、状況によってははるかにやさしく、その論理の展開を目にする側にもずっと魅力的にうつるのだ。

なんなら実際にここでその証明の一端を披露してみてもよいのだが、ここは論理学のコーナーではないし、ちょっと深入りすると、原稿の量もたちまち本一冊分にもなってしまいかねないから、今日のところはこのへんで筆をおさめることにしたい。
1999年8月18日

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