初期マセマティック放浪記より

4.母ジャーニーとの対話

あるとき、ジャーニーという母親チンパンジーの胸に抱えられた赤ちゃんの様子がおかしくなった。そのままでは命が危ないとうので、特別室に親子を移し治療をということになったのだが、ジャーニーは、ぐったりした赤ちゃんを強く抱きしめ離そうとしない。気長に説得するしかないと判断した飼育係の吉原さんは、近づくと毛を逆立て、恐ろしい形相で睨むジャーニーをやさしくなだめにかかった。

そのままじゃ赤ちゃん死んじゃうよ、可哀そうだろう、治してあげるから渡してごらん……と懸命に語りかけるうちに、ようやくジャーニーは赤ちゃんを両手で差し出した。しかし、それを受け取ろうとすると、すぐに歯をむきだして攻撃的な表情をみせる。なんとかしてもらいたいのだが、どうしても手渡せないのだ。直接の手渡しは危険だと判断した吉原さんは、強い口調で、「ジャーニー、それなら赤ちゃんを床に置きなさい。そして、部屋の奥に行きなさい」と命令した。

ジャーニーがようやく赤ちゃんを床におろし、奥のほうへとさがったので、吉原さんが赤ちゃんを抱き上げ扉のほうに近づこうとした。その瞬間、ジャーニーの黒い体が突進してきた。チンパンジーが本気になったら、人間の体を引き裂くことなどなんでもない。さすがの吉原さんも、もうだめだと観念したという。だが、ジャーニーがつかんだのは、檻の扉の格子だった。それは、部屋の外に出ず、自分の見ている前でなんとかしろという、ジャーニーの意志表示だったのだ。

再び吉原さんの説得がはじまり、ようやく諦めのついたジャーニーは、肩を落として部屋の奥に戻った。そして、そこにあった麻袋を頭からすっぽりかぶって床にうずくまった。それは、とても見てはおれないという母親としての辛い気持ちのアピールだった。

重い肺炎にかかった赤ちゃんは、獣医の手に渡ったときにはすでに死んでいた。吉原さんは言いようのない思いにかられながらジャーニーのところへと戻った。すぐに飛んできたジャーニーは、胸に赤ちゃんが抱かれていないのに気づくとギクリとしたように足をとめ、吉原さんの顔をじっと見つめた。

吉原さんがゆっくりと首を振りながら、「ジャーニー、赤ちゃん死んでたよ。赤ちゃんはもう返せないんだ……」と語りかけると、ジャーニーはいきなり土下座し、床に額をこすりつけるようにして何度も頭をさげはじめた。それでも駄目だとわかると、今度は両手を重ねて前に差し出し、お辞儀をしながら赤ちゃんを返してほしいと哀願した。

吉原さんは、ジャーニーの前にしゃがんで、何度も何度もジャーニーに事情をを説明した。吉原さんの目の奥を覗き込むよにしながら聞いていたジャーニーは、ようやく諦めたように部屋の奥へと歩きかけるものの、すぐに引き返してきてまた正座し、頭をさげるありさまだったらしい。最後はジャーニーもすべての事情を納得してくれ、死んだ子どもにナンシーという名前までつけてやったのだそうだが、それはもう、心と心の会話そのものであったという。

あるとき、檻の中に忘れてきたタオルを拾ってくるようにチンパンジーに命じた。そのチンパンジーが差し出しかけたタオルを檻の格子の間から受け取ろうとすると、その瞬間相手はわざとタオルを足元に落とし、からかうような目つきで吉原さんの顔を見た。なめられてはいけないので、強い口調でもう一度やりなおしを命じると、格子のすぐ近くまでタオルを持ってきて、あとは自分で拾えといわんばかりにまたもや床に落とした。やむなく、しゃがんでそれを拾いあげようとしたが、引っ張っても動かない。なんと、そのチンパンジーが、馬鹿力を秘めた足の指でタオルの端をしっかりと押さえていたのだという。

ゴリラやチンパンジーは、成長の過程で折々飼育係に力較べや知恵較べを挑んでくる。それを「試し」などと呼ぶらしいが、「試し」をしかけられた者は、時をおかずに自分のほうが上手だということを相手に誇示しなければならない。そうでないと、次から言うことをきかなくなるからだ。

実際には相手のほうが腕力がまさるから、本気になって格闘したらとてもかなわない。だから、人間のほうが弱いと悟られないように、耳の付近を押さえて瞬間的にこらしめるのがこつらしい。たまたまチンパンジーを厳しく叱っているのを目撃したお客が、あの飼育係は動物を虐待していると管理当局へ抗議してくることもしばしばだという。

吉原さんがパンジーとデージーというチンパンジー二頭を相手に決闘した話は面白い。デッキブラシを二本持ち込んで床の掃除をしていると、パンジーがその一本をつかみ上手に床をこすりはじめたが、そのうちブラシの長い柄のほうを吉原さんのほうに向けてじりじりと詰め寄ってきた。デージーのほうもパンジーを煽り立てながら、吉原さんの背後に回り襲いかかる気配を見せた。檻に入るときは二重扉を内側から施錠するので、助けを求めたくても、誰も中にははいれなかった。

七歳のチンパンジーといえば猛獣に近い。それが二頭で本気になって襲いかかってきたら、人間はひとたまりもない。ただ、成長の過程でいずれこんな日がやってくるだろうと思っていた吉原さんは、挑戦を受けてたつしかないと腹をすえた。そこでひるんだら取り返しがつかなくなることは目に見えていた。学生時代剣道部の猛者だった吉原さんは、デッキブラシを正眼に構え、デージーを背後に回らせないように牽制しながら壁際まで後退した。その様子を見て勢いづいたパンジーが前に出ようとした瞬間、吉原さんは強烈な面の一撃を見舞い、返すブラシを力一杯横に払って連続業の胴をきめた。

悲鳴をあげて逃げ出すパンジーを横目に、正眼に構えなおしたブラシをデージーのほうに向けると、こちらのほうはすっかり戦意喪失してパンジーの背後に隠れてしまった。それからというもの、二頭のチンパンジーは吉原さんにはまったく頭があがらなくなったという。

若い頃ゴリラの飼育にあたっていた吉原さんには苦い経験がある。あるとき檻から出ようとすると、一頭のゴリラが悪ふざけでもするかのように扉の前に立ちはだかった。その場で叱ればよかったのだが、他のことに気をとられていた吉原さんは、そのゴリラが扉の前から立ち退くのを待って外に出た。

動物園の檻の扉は二重になっていて、一つ目の扉を開け、内側から施錠したあと二つ目の扉の前に立つ。その際、檻の中にはいるべきかどうか心に迷いがあるときは、絶対に中にはいるなというのが鉄則であるという。翌日ゴリラ舎の第二扉の前に立った吉原さんは、中に入ればやられると直感した。それ以降、そのゴリラが死ぬまで、吉原さんは問題の檻の中にはいることはなかったという。

それほど細心に注意を払っていてさえも、危険な目に遭うことは避けられない。チンパンジーに指を噛まれ重傷を負ったことや、怒ったチンパンジーに体当たりを食らい馬乗りになられて命を落としそうになったこともあるという。

吉原さんの一連の話を聞いていると、「猿の惑星」というSFもまんざら絵空ごとではないという気がしてくるし、霊長類の飼育係は仕事に自信を失ってノイローゼになりやすいという話も、十分に納得できる思いがする。
1998年11月4日

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