日本列島こころの旅路

第15回 原子力発電所災害に思うこと(その5)

当時から続く原発に対する賛否論争はともかくも、18年前のその時点に話を限れば、原発に関わる専門技術者らが安全確保のためそれなりに尽力していることは事実のようであった。私が個人的に取材した技術者の真剣な話し振りからもそのことは確かだと思われた。現場で働く彼らは原発の怖さを誰よりもよく知っているはずだったからでもある。

ともすると、多くの人々が、原発の専門技術者というものを冷たい現代科学の奴隷だとみなし、自然を愛する豊かな心を失った人間の典型としてひどく敵視しがちであるが、それは速断に過ぎるようにも思われた。彼らのなかには、自然の美しさや芸術の素晴らしさを深く愛する豊かな心をもった者も少なくはなかったし、さらにまた、自ら好んで環境汚染や自然破壊に加担しようと思っている人など皆無に近かったといってもよい。それゆえ、原発技術者に対しヒステリックな批判を一方的に浴びせ、彼らに悪の権化のイメージを重ねていくことは、賢明かつ正当なこととは言い難いようにも思われてならなかった。何か不測の事態が生じた場合、最終的に頼らねばならないのは彼らの力であることも考慮しておく必要があったからである。

問題は、行政府や電力会社の経営陣が、国策としての電力確保やそれまつわる各種利権の掌握を優先するあまり、現在の技術レベルや技術者の真摯な意見を無視した過度な要求を重ねてきたときに、彼らがどう対抗し、自らの信念をどう貫くかにあると思われた。実際、私が若狭で取材した原発技術者も、「現場の実態や技術者としての良識に基づき原発の安全運転に関する報告や各種提案・申請などをしても、大半は電力会社の経営陣や関係行政組織体によって無視されたり握りつぶされたりしてしまう」と話してくれた。また、その人物は、重い口を開いて、「このままだと真に優秀で良識と責任感をそなえた原発技術者は皆辞めていってしまい、イエスマン的な存在だけが残ることになる。そうなると先々起こるかもしれないさまざまな事態に対して誰も責任を取れなくなる」とも語ってくれた。

率直に私見を述べさせてもらうとすれば、どのような小さな故障も絶対に起きないような原発を造ることは不可能である。原発に限らず、あらゆる科学技術というものは、その普及と発展の過程でなにかしらの不慮の事態や大小の事故などをともなうように宿命づけられている。先行する理論とその理論を現実に応用した場合に起こる状況との間のギャップを百パーセント埋めることはもともと不可能だからである。いま少しわかりやすい比喩を用いると、高層建築物の設計図がどんなに完全無欠なものであっても、実際に現場で造られる建物には設計図とは異なる細かな歪みが出てしまい、一定レベル内での修正作業は可能でも、それらの問題点をすべて解消するのが不可能なようなものである。理想と現実のずれがそこには必ず存在するものなのだ。

ある範囲での試行錯誤は科学技術の世界においては不可欠なものだと言ってよい。とくに、遺伝子工学や原子力工学などのように、未知の問題も多いため、試行錯誤の連続が必要な先端技術の分野にあっては、何が飛び出すかわからないパンドラの箱を恐るおそる開け、ちょっと中をのぞいてすぐ閉めるといった作業がいつ果てるともなく繰り返されることになる。

既に述べたように、原子炉循環水系は、1次系、2次系の2循環系、あるいは1次系、2次系、3次系の3循環系からなっている。たとえば3循環系をもつ加圧水型軽水炉の場合、理論的には、強い放射性物質を含む1次循環系、および、極微量の放射能を含む可能性もあるといわれる2次循環系から、外部へ排出される3次冷却水系への放射能漏れはまったくないとされているが、極微量の放射性物質の外部への漏れさえも完全に防げるほどに現在の原発システムが完成されているとは思われない。

かつて起こった細管破断のような特別な事故はともかくとしても、各循環系を隔離しているパイプ類は一定期間で必ず老朽化するから、小さな故障は日常的に起こる。したがって、大事故を未然に防ぐには老朽化した部分の取り替えや補修などの処置が必要とならざるをえない。そのとき、1次系および2次系パイプ中の大量な循環液やパイプ内壁に付着する微量の放射性残留物が一滴あるいは一粒も外部に漏れ出ないようにすることは、どう考えても不可能に近い。

たとえば、原子炉内で熱せられた水が直接に通る1次系配管類の内壁には強い放射能をもつコバルト60やセシウム134・137などが付着している。それら配管類の補修や交換のためその取り外しや切断処理をおこなうときには、配管内部に付着する放射性物質や放射能汚染のおそれのある切り屑を完全封入あるいは完全除去するなど、慎重かつ高度な作業が要求される。複雑な構造をもつそれらパイプ類の補修作業工程が完全自動化できるとは常識的には考えられず、必然的に保守作業のかなりの部分は人力に頼らざるをえなくなる。そのため、そのような作業を直接に担当したり、作業の際に排出される低レベル放射性廃棄物を的確に処理したりする人々が必要となってくる。

カテゴリー 日本列島こころの旅路. Bookmark the permalink.