日本列島こころの旅路

第11回 原子力発電所災害に思うこと(その1)

東日本大震災における津波の被害は甚大で、無数の惨劇を東日本太平洋沿岸各地にもたらし、そこに住む人々を絶望のどん底に突き落とした。だが、あの日から2カ月余が経った今、多くの被災者たちは、再起をかけ瓦礫と廃墟の直中から懸命に立ち上がろうとしている。肉親を失った子どもたちがなんとも健気な様子を見せているのも印象的である。海辺の町々で幼時期から実生活体験を重ねてきたと思われる彼らの精神的な自立度は、都会の子どもたちよりもずっと高いように思われる。当面の苦難を克服し、他者には到底計り知れないその過酷な経験を超えて羽ばたき、明日の日本の輝く星となってもらいたい。

ただ、同じ地震と津波に起因する災害でも、福島第一原発の破損に伴う二次的な災害のほうは想像以上に深刻な事態になってきた。この件に関しては私自身深く思うところがある。この際なので、いささかの不都合を承知で、率直なところを述べてみることにしたい。

いまから18年前の1993年4月、私は若狭の大飯町にある関西電力大飯原子力発電所を見学取材に訪れた。その折に、大飯町周辺に住む下請けの原発労働者数人を直接取材することもできた。その当時、原発反対派と原発推進派との間で交わされていた論争は、非現実的でなんとも不毛なものだった。いささか独断的な比喩を用いさせてもらうと、原発反対派は「たとえ砲弾を喰っても絶対に落ちない飛行機を造れ、それが不可能だというのなら飛行機は造るな」と主張し、推進派は推進派で「我々の造る飛行機は、たとえ機内で爆弾が炸裂しても絶対に落ちません」と応酬しているようなものだったからである。

その頃「原発銀座」と呼ばれていた若狭路を訪ねる機会のあった私は、よい折なので先入見のない中立な立場で原発の実状を取材し、極力客観的な視座からその問題を検証してみようと思い立った。そこで地元の著名人を介して関西電力に見学を申し込んでみると、幸いなことにその翌日には先方から許可がおりた。当日、地元の仲介者と共に指定された時刻に大飯原発PR館に出向くと、案内担当の人物が現れ、我々をロビー脇の接客室に通してくれた。

私自身は偏見を抜きにして原発の現状をありのままに見せてもらおうと思っただけで、原発批判のための取材をしようという下心などさらさらなかったのだが、先方の応対ぶりにはどこかおずおずした様子が感じられ、そのことが妙に気になった。そこで、「都会で大量の電力を消費している私たちは、原発というものを他人事とせずにその実状を知っておく必要があります。もしもリスクが存在するならそれを自覚し、その一端をなんらかのかたちで担う覚悟をしなければなりません。この施設の見学を思い立ったのはそのような理由からなのです」と来意を告げると、相手の緊張が急に和らぐのが見てとれた。そして、その人物は繰り返し原発の安全性を強調しながら、大飯原発の概要を説明してくれた。

現在問題になっている福島第一原発の原子炉は「沸騰水型軽水炉」と呼ばれ、炉内で発生させた高温高圧な蒸気(1次系水)をタービン建屋に送って直接に発電タービンを回し、そのあと大量の海水(2次系水)の循環する復水器で蒸気を水に戻し炉へと還流させるタイプである。むろん、通常は、高濃度の放射性物質を含む真水の1次系水と、2次系の冷却用の海水とが混じり合うことはない。今回福島原発で行われたような炉内への海水注入はあくまでも緊急時における非常手段なのである
それに対して、かつて私が見学取材した大飯発電所の4基の原子炉のほうはいずれも加圧水型軽水炉と呼ばれるタイプのものであった。どちらのタイプの炉もウランを燃料とするのは同じだが、加圧水型の場合は原子炉で生じる約300度の高圧熱水(1次系水)を導管で蒸気発生器に送り、その高熱によって、加圧熱水の循環する蒸気発生器内の細管の外を包み流れる水(2次系水)を蒸気に変える。温度と圧力の下がった1次系加圧熱水は再び原子炉内へと還流するいっぽう、蒸気化した2次系水はタービン建屋に送られ発電機のタービンを回転させる。タービンを回転させたあとの2次系の蒸気は常時流入してくる大量の海水(3次系水)によって冷却されて水に戻り、再び蒸気発生器に送り込まれる。なお、このタイプの炉の場合、1次系、2次系で必要となる大量の真水は、海水淡水化装置によって補われている。

その折の説明担当者が、「各原子炉の格納容器は現実には起こりそうにない想定上の大事故や大地震にも耐えられるような設計になっています」と再三再四強調したのは言うまでもない。また、各原子炉の中央制御システムは人間の判断や対応が容易なCRT監視方式、運転モードに応じた機能分割型制御方式、自動運転制御方式などを採用することにより、人為的な操作ミスの防止と運転操作性の向上を図っているという一見もっともらし説明もなされた。なお、4基がフル稼働中だったその時点での大飯原発の総出力は471万kWで、それは当時の北海道電力の総発電量に相当し、大阪、京都、奈良、滋賀の4府県の電力需要をカバーできる発電量だとのことであった。

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