日本列島こころの旅路

(第43回)ほんものの旅を志すには(その2)(2014,02,15)

真に感動的な自然のドラマとの遭遇を通じて長年の間に積もった命の垢を洗い流し、この世に生きることの不思議さに深い想いを馳せようとするなら、通常の行動形態からはずれて振る舞うしかないだろう。そのためには、昔の旅人になったようなつもりで、いざとなったら一晩や二晩は野宿や野営をする覚悟も必要になってくる。旅先での野宿というものは、いったんその味を覚えてしまうと、妙に自信がついてやみつきになってしまうものである。それはまた、無意識のうちに拘束されてしまっている日常の時間や空間からの不思議な解放感を与えてくれるばかりでなく、古来旅の枕言葉になってきた「草枕」という言葉の秘め持つ意味などを心底実感させてくれたりもするものなのだ。必然的に通常とは違ったかたちで頭と体とをほどよく使うことにもなるから、考えようによっては、これほど老化防止に役立つものはないかもしれない。

たとえ本格的なキャンピングカーではなくても、なんとか寝泊まりができ、雨天の折には車中での携帯用ガスコンロ使用も可能なワンボックスカーがあるようなら、それをアウトドア用としてフル活用することをおすすめしたい。もう10年以上昔のことだが、当時既に70歳前後だった若狭在住の著名な老画家・渡辺淳さんと私とは、取材と遊行を兼ねた10日間の東北放浪の旅に出向いたことがあった。極力貧乏旅行に徹することと、無計画のもと、自然な成り行き任せでその旅を続けることをモットーにして東北へと向かったのだが、結果的には9晩とも私の使い古したワゴン車での車中泊だった。

好きな時に寝て好きな時に起きるという、とことんマイペースの動き方をすればよいわけだったから、時間も有効に使え、その分だけ思わぬ発見や劇的な光景に出遭うチャンスにも恵まれて、それはとても素晴らしい旅となったのだった。食事のほとんどは、持参の米と、通りすがりの山中や磯辺で採取した山菜や海藻、魚介類などのような有り合わせの素材を用いての自炊で通し、どうしても必要な場合にのみコンビニを利用した。

飲料水や炊事用水の補給、洗面などは、道の駅、公園、パーキングエリアその他の公共施設のお世話になったり、各地の湧き水や谷川の清流などを最大限に活用したりした。常々旅に出るときには必ず2リットル入りのペットボトルの空き瓶を5本ほど車に積み込んでおき、それらに折々見つけたうまそうな清水を詰めておくように心がけている。手近に水場が見つからないときなどには、炊事から洗面用までこの種の携行水がずいぶんと役に立った。

風呂については、通りすがりに見つけた各地の温泉に入浴料を払って入れてもらったが、これがまた快適そのもので、一日に五・六箇所温泉のハシゴをしたこともあった。当然、旅費の総額もいまどき信じられないような安い金額ですんだような訳だった。10日間の旅の全行程に要した費用は、食費、車の燃料費、有料道路料金、各種施設利用料金のすべてを含めて55300円、1日1人当たりになおすと2765円であった。総費用のうちで予想外に大きな割合を占めたのは1日平均1人当たり700~800円にのぼる各地での温泉入浴料だったから、温泉のハシゴをもうすこし慎んでいたら、もっと安上がりの旅になったことだろう。いまどき信じられないと思われる方もお有りだろうが、この集計値に間違いはない。若い者ならともかく、老体の身でよくもまあ馬鹿げた真似をと絶句なさる向きも少なくなかろうが、そのような声に対しては、「はい、おっしゃる通り二人ともアホなんです」と自分らの愚かさを素直に認めるほかはない。この放浪の旅の全行程は3485kmにも及んだ。この旅での出来事の一部始終は、私の場合には「奥の脇道放浪記」というタイトルの紀行エッセイとして結実したし、一方の渡辺さんについては、数々の素晴らしい東北地方のスケッチとなってその旅の足跡が伝え残されることになった。

見知らぬ土地を独りあてどもなく旅していると、ごくありふれた風景や事物によってさえ心の糸が激しく揺すぶり振るわされることがあるものだ。些細な事象として切り捨ててきたもの、さらには時間に追われてついつい見落としてきたもののなかにこそ、曇りきった心の眼を拭い開くための秘密の鍵が隠されているのではないかと気がつくのは、多分、そんなときだろう。実際、遠くを旅しながら日々の生活を静かに振り返ってみると、自分には無縁に思われた人々や物事のほうが本当は大切で、それまで大事だとひたすら信じてきた存在のほうが必ずしもそうだとはかぎらないのだと思い知らされることがある。ましてや感動的な出遇いともなれば、それが心に及ぼす影響には計り知れないものがある。つまるところ、この人生は一期一会、安定という名の重い荷物を(くさ)(むら)の蔭にしばしそっと降ろし置き、旅路での小さな出遇いを心の糧に、ささやかな命にゆるされるひとときを風のように吹き抜けていくのもまた悪くないのではなかろうか。

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