日本列島こころの旅路

(第39回)松本市蟻ヶ崎の信州大学医学部供養塔に参拝(2013,10,15)

 極めて私的な話題になるのだが、今回はそのことについて書き述べることをお許し願いたい。まだこの連載を始めて間もない第3回(2010年8月号)の本欄において、「人生模様ジグソーパズル」というタイトルのもとに、石田達夫という不思議な老人との出遇いと、それを契機に生じた私たち二人の間の奇妙な出来事について、いろいろと想い出話を書きしるさせてもらった。そして、その老人が他界したあと、その人物を主人公にした「ある奇人の生涯」という伝記小説風の長編ノンフィクション作品を朝日新聞のウエッブ上で執筆したこと、さらには、その人物が松本市蟻ヶ崎墓地の信州大学医学部供養塔内に眠っていることなどについても述べ語らせてもらった。 
 さる9月13日金曜日のことだが、私はその信州大学医学部供養塔に刷り上がったばかりの一冊の本を抱えて参拝に出向いた。石田達夫翁が今もその地に眠っているのは、遺体を信州大学に献体するとともに、戒名をつけたり、葬儀をしたり、墓所を建立したりすることは一切拒むという生前の強い遺志に従ったからにほかならない。その日を選んで私が参拝に出向いたのは、生前、老翁は「13日の金曜日」がお気に入りだったこと、我々が初めて出遇ったのが偶々「13日の金腰日」であったこと、しかも、私が供養塔まで持参した本はその日に刊行されたばかりだったからである。「天上界の石田翁に本書を捧ぐ――2013年9月13日金曜日」という捧げ文の入った同書の題名は、むろん、「ある奇人の生涯」であった。
「人生模様ジグソーパズル」の中で述べたように、この作品を執筆する契機となったのは、長野県安曇野市穂高町における石田達夫翁との運命的な出遇いである。いまから二十五年ほど前のある初夏の夕刻近くのこと、穂高駅前で観光案内板に見入っていた私は、突然、見知らぬ老人に声を掛けられた。旅先ではからずも出遇ったその老人は、「奇人中の奇人」と言っても過言ではないような世にも不思議な人物だった。しかも、この老翁は、その体内に、驚くほどに壮大な真実の物語を秘め隠していたのである。
 この老翁の不思議な魅力に取り憑かれた私は、足繁く信州安曇野の地へと赴くようになり、やがて、その人物の体内深くに刻み埋め込まれた途方もない人生のドラマを知るところとなった。そして、それらすべてを語り尽くすことを潔(いさぎよ)しとはしていなかった老翁に、知力の限りを尽くして迫り立ち向かい、遂には、その口から隠れた昭和史とでも言うべき凄まじい体験談を引き出すことに成功した。取材用録音テープや取材ノートの記録は膨大な量にのぼり、それらの内容を整理するだけでも多大な時間と労力を要したが、貴重な証言の数々はその間の苦労を補ってなお余りあるものであった。さらにまた、紛れもない事実を連ねた珍談、奇談の数々は「事実は小説より奇なり」という諺を地でいくようなもので、私個人の記憶や記録のみに留め置くには何とももったいなさすぎた。
 そこで私は、当時執筆を担当していた朝日新聞ホームページAIC(のちにアスパラクラブに併合)の週刊連載コラム欄に「ある奇人の生涯」という特別なタイトルを設け、その伝記的実話を書くことにしたようなわけだった。石田達夫翁には連載予定記事の構想を伝えるとともに、原稿用紙で200枚ほどの冒頭部分の試稿を通読してもらい、諒承を得ることもできた。だが、高齢だった石田翁はその連載が始まる前の2001年8月に他界したため、残念ながら実際の連載記事を読んでもらうことはできなかった。
「ある奇人の生涯」の連載は2003年1月に始まり2006年5月に終了したが、134回にわたる連載に要した歳月は3年5ヶ月にのぼり、その作品の分量は400字詰め原稿用紙に換算して1800枚にも及んだ。もちろん、記事内容の裏付けに要した時間も大変なものであった。表現体は伝記小説の形式をとっているが、内容的にはノンフィクションそのものである。話の展開の半ばからは一世を風靡した数々の著名人が実名をもってリアルな姿で登場し、歴史的とも言うべき数々のドラマを繰り広げていくことになるから、読者の方々が飽きるようなことはけっしてないだろう。それらの中でも圧巻と言うべきは、1953年のエリザベス女王の戴冠式にまつわる様々な逸話や、戴冠式列席のために渡英された皇太子(現天皇)の英国滞在中における取材体験談などだろう。
 朝日新聞のホームページ上で「ある奇人の生涯」の連載を終えてから既に7年余が経過した。不精なこの身は日々の雑事に追われるまま、書籍化もせずにその作品の原稿データを放置したままにしていたのだが、幸い、この度、木耳(もくじ)社から750ページを超える写真付きの重厚な書籍として刊行されることになった。装丁や挿絵は長年個人的に親交のある若狭在住の著名な画家・渡辺淳さんに担当して戴いた。もしどこかでご覧になる機会でもお有りなら、石田達夫というこの稀代の人物にまつわる驚嘆すべき昭和の側面・裏面史を是非とも楽しんで戴きたいと思う。押し付けがましさを承知で敢えて拙著の紹介をさせてもらったのは、そのような訳あってのことである。

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