日本列島こころの旅路

(第32回/第3回と重複)人生模様ジグソーパズル~信州穂高町での奇遇(2013,02,15)

「これからどちらへ?」――信州穂高町(現安曇野市穂高)のJR駅前で何気なく観光案内板を眺めていた私は、いきなり肩越しにそう声をかけられた。「はあ?」と戸惑い気味に振り返ると、長身の見知らぬ老人がいたずらっぽい笑みを浮かべて立っていた。一瞬言葉に詰まった私に向かって、謎の老人は「昨日もあなたとお会いしましたよ!」と、追い討ちをかけてきた。生まれたばかりの樹々の緑が西陽をふくんでやわらかに輝く、ある初夏の夕刻のことである。その前日、私は、穂高駅に程近い碌山美術館を訪ねたばかりだった。どうやら、私が美術館の奥庭のベンチに深々と腰を下ろし、独り深い想いに耽っていたとき、老人は客人を伴ってその場を通り合わせ、私の姿を記憶に留めたものらしい。よほど情けない顔でもして座っていたのだろう。

「遠来の客をいま見送ってきたばかりなんですが、こんな日の夜はいささか淋しいものですんでね。こういう晩には、一夜の宿を供するふりをして道に迷ったうまそうな旅人を捕って食うにかぎるんですよ!」――安達ヶ原の黒塚伝説を想わせるそんな意味ありげな言葉を吐いた老人は、私の眼を見てにやりと笑った。相手が妖艶な美女に化けていないのは残念だったが、こちらもそれなりには人を食ってきた身ゆえ、この際、人に食われてみるのも悪くないと開き直った私は、敢えてその誘いに乗ってみることにした。

山裾の深い林の中にある洋風の(やかた)には、見るからに異様な気配が立ち込めていた。そこに独りで住むという老人は、上質の黒い毛布を二つ折りにして仕立てたという手製のドラキュラ風マントに着替えて不意に現れ、私の背筋をゾクリとさせたりもした。さらにまた、遠くでフクロウが鳴くというおまけまでがついた、この現代の魔宮から無事生還を果たすには、こちらも相手を化かし返すしか手はないようだった。我々は夜を徹して奇妙な対話を繰り広げた。嘘のなかの嘘にもみえて、この世でいちばんの真実のような、大詐欺師同士の対決に似て、実は聖なる二人の高談のような、それはなんとも不思議な歓談だった。

生涯に40余種の職業を体験したという老人は、己の人生を系統立てて語る好みはないと嘯き、どうしても自分の過去に興味があるというのなら、ジグソーパズルを解くように様々な話の断片を繋ぎ合わせて勝手に全貌をつかめばよいと、笑って私を煙に巻いた。無事東京に戻った私は、お礼の意味を込めて、次のような一篇の戯詩を書き送った。

 

《風の対話》

 

別々のところから旅してきた  透明な風と風の出逢いのように  光を発して瞬時にお互いの体を通り抜け  そしてすぐさま別れました

 

嘘のなかの嘘のような  真実の中の真実のような  古くからある話のような  誰も知らない奇談のような  大詐欺師同士の対決のような  聖なる二人の高談のような  それは不思議な出来事でした

 

どこかで聞いた小噺のような  初めて耳にする物語のような  リアリティなど皆無のような  しかしなぜか信じられるような  モームの語る世界のような  モームその人のおとぼけのような  それは奇妙な対話でした

(註)モーム(William Somerset Maugham  1874~1965)は英国の有名な作家

 

手紙を投函しながら、もしかしたらもうあの(やかた)は影も形もなくなっているのではないかという想像をめぐらせたりもしたが、幸いその手紙は無事老人の手元に届いたようだった。それからというもの、私は、老人がお気に入りだという13日の金曜日を選んでは穂高に出かけ、問題のジグソーパズルに挑戦した。そして、その結果浮かび上がったのは、破天荒そのものの老人の人生だった。旧制福岡高校を卒業後、本郷赤門前のカフェバーのボーイを手始めに、戦前戦中の中国大陸において職業遍歴の旅を続けた若者は、帰国後、皇居前で偶然知り合った当時のBBC極東総支配人ジョン・モリスに誘われ、天運と才覚の赴くままに戦後初の民間日本人として渡英する。そしてBBC放送のアナウンサー兼放送記者となって皇太子(現天皇)を迎え、エリザベス女王の戴冠式前後の様子を日本に向けて放送するに至った。

のちにBBC放送を辞して帰国した彼は、シャーロックホームズをはじめとする英米文学の陰の名訳者として、著名な翻訳家や高名な大学教授のゴーストライターを務めたりもした。2001年8月85歳で他界したこの石田達夫という老人の数奇な生涯を纏めた私著作「ある奇人の生涯」(木耳社)は今年の秋頃に刊行されることになっている。

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