日本列島こころの旅路

(第26回)原子力発電所災害に思うこと(その16)(2012,08,15)

反原発デモなどが行われ原発廃止の世論が高まる中で大飯原発3・4号機が再稼働し、236万KWの電力を供給し始めた。関西電力管内の夏場の電力不足が懸念されているだけに再稼働やむなしとする意見も多く、国論の統一は至難の業である。かつて同原発について詳細な探訪記を書き、その時以来、地元の原発維持派・廃止派それぞれを代表する人物とも交流を持ってきた身にすれば、一筋縄ではいかない双方の裏事情がわかるだけに心中複雑なことこのうえない。共々に立派な見識をお持ちで、人々に対する思いやりもひとしおの時岡忍大飯町長や中嶌哲演明通寺住職などの苦渋に満ちた表情をメディアを通して目にするにつけても、遣り場のない思いがひたすら募るばかりである。

福島の原発事故が起こるまで、電力会社というものは、単に電力の供給を担うばかりでなく、一種の巨大な金融機関、あるいは政経済界の強力な支援・制御システムとして隠然たる力を揮ってきた。機能的にはむしろ後者の役割のほうが大きかったとさえ言えるだろう。そして、その強大な力の源泉となったのが、有無を言わさず広く国民から徴収される莫大な電気料金、公共性を理由に認められてきた資産管理や税法上の各種優遇処置、さらには存在するだけで高い資産評価の対象となってきた原発関連諸施設群などであった。

原発の立地する地方自治体が原発施設絡みの税収や各種関連事業収益、潤沢な交付金、補償金、補助金の類のお蔭で発展繁栄してきたのは周知のことだが、大量に電力会社の株式を保有する東京都や大阪府のような大規模自治体、メガバンクなども間接的にはその恩恵に預かってきた。直接的に原子炉建設に関わった三菱、東芝、日立、日本製鋼などの大企業は無論、それらの傘下の数知れぬ中小企業群も直接間接に原発から生じる多大な利益に浴してきた。また、東大・京大をはじめとする国立大学や国公立の諸科学研究機関なども電力各社から多額の支援を受けてきた。さらに、筑波のPhoton Factoryや兵庫のSpring-8といったような、世界最先端の技術と研究水準を誇る放射光科学研究施設の建設・運営に際しても、国からの資金に加え、電力各社の原発事業絡みの利益から日本原研などへと供与される多額な資金が大きな役割を果たしたと言われている。

原発の恩恵がらみの話になると原発立地自治体だけが矢面に立たされるが、間接的側面を考慮するなら国民誰もが何かしらの利益を受けてきたことは紛れもない事実なのだ。純粋に基礎科学技術の研究に話を絞ってもその事実は否定できない。原発再稼働が問題となっている関西電力管内には、前述したSpring-8(高輝度放射光科学研究施設)のほか、SACLA(X線自由電子レーザー施設)、スーパーコンピュータ「京」、さらには京大や阪大の各種大規模実験施設など、大電力を消費する日本の国家基幹技術開発関連の先端科学研究機関が集中している。もちろん、独自に先端技術を開発している民間企業の研究所なども数多い。

それらの施設で研究開発される革新的な先端技術や学術的諸業績は今後の日本の根幹を支えるものばかりだから、たとえ一時的ではあるにしても、それら諸施設の稼働抑制は国力の発展を妨げる。実際、この夏場、それらの施設は大幅節電を迫られており、その結果、宝の持ち腐れ状態になることは必定で、大飯原発の2機が再稼働した現況下でも研究が滞ることは避けられない。それらの施設だけに優先的に電力を供給するという方法もあるだろうが、大幅節電を迫られている関電管内の住民の理解を得ることは不可能ゆえ、その実践に現実性はない。もしも再稼働した大飯原発3・4号機を再び停止させるような場合には、当面、そのような負の影響が生じることをも覚悟しておかねばならないだろう。

もちろん、筆者自身も可能な限り早急に国内の原発を全廃するという方針を支持することに異存はない。ただその場合、安全な次世代エネルギーやそれに対応する諸技術が開発されるまでの間、我々国民は、生活水準の低下や様々な文化面での停滞、諸物価の高騰、所得の減少などに耐え抜く覚悟を迫られるだろう。完全廃炉のためには避けて通れない数々の負の側面、すなわち、廃炉に伴う分相応のリスクを長期に亘って容認する決意も要る。7月に福島第一原発4号炉の燃料貯蔵水槽から未使用核燃料のごく一部だけが試験的に抜き取られたが、その作業工程だけをとってもけっして容易なことではない。

現在、大飯原発3・4号機以外の原発は運転停止しているが、地震や津波が起こった場合の危険性に関して言えば、稼働していようがいまいが状況的には大差ない。さらにまた、たとえ稼働していなくても核燃料の冷却継続コストや、安全維持のための各種制御システムの運用コストなどもかかる。詳細については後述するが、仮に国内の原発を全廃するとしても、それに必要な技術を次世代に伝承するには最小限の原発の維持は不可欠だというパラドックスも生じてくる。既に、我々は原発の存在に伴うリスクの幾莫かを自らも背負う覚悟をもってエネルギー問題に対処するかない状況に追い込まれているのである。

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