日本列島こころの旅路

第20回 原子力発電所災害に思うこと(その10)(2012,02,15)

関西電力大飯原子力発電所の取材に基づき、原発問題について私が筆を執ったのは1993年のことで、もう19年も前の話である。その記事の骨子は既に述べてきた通りで、福島第一原発の事故が発生し、原発問題が真剣に議論されるようになった今日の観点からすれば、当然のことを指摘したまでにすぎない。だが、当時は、マスコミの論調そのものが極端な原発推進論か原発廃止論かに二分され、両者を繋ぐ現実的なスタンスの論考などまるで相手にされない状況だった。だから、中立的な立場で書いた75枚もの拙稿を掲載してくれるメディアなど容易には見つからなかった。だが、その原稿を数社の雑誌編集部に投稿してみたところ、その中の一つの著名な評論専門誌の編集長から連絡があり、翌年の3月号にそれを掲載してもらえることになった。そして、諸々の打ち合わせを兼ねてその編集長と会うことになったのだが、その席上、私は、75枚の原稿を50枚まで縮めてもらえないか、また、なるべく穏やかな書き口にし、たとえ事実ではあっても裏取りの難しい幾つかの箇所はカットしてもらえないかと要請された。もちろん、政財界とも深く関わり、世論にも大きな影響力をもつ著名評論誌のことゆえ、それなりの事情もあったのであろう。

一時はその対応に迷いもしたが、未発表原稿のまま放置しておくよりは活字化されたほうがましだろうと考え、25枚分ほど原稿をカットし、書き口もかなり穏やかにして全体を仕上げ直した。その結果、それは、同誌の1994年3月号に「原発広報の大間違い」といういささか大仰なタイトル付きで掲載された。自分ではもっと穏やかなタイトルを付けていたので、校正ゲラを受け取った時にはその過激さに私のほうが少々面喰う有り様だった。

掲載されたその記事は、現実を冷静に直視している一部の識者らからは高く評価された。だが、甚だ遺憾なことに、原発推進と反対の両陣営からの心無い仕打ちや批判にこの身が晒される羽目にもなった。奇妙なことに、同誌のその号は発売後間もなく関西一帯の書店の店頭から姿を消してしまった。関西在住の知人らから、どの書店を探しても見当たらないとの連絡を受け、東京でその冊子を入手して先方に送るという事態になった。どうやら大飯原発のある関西では同誌の買占めが起こったようなのである。この種の買い占めが当時は日常的に行われていたらしいことを、のちになって私は知らされもしたものだ。

また、それからしばらくすると、我が家には得体の知れない理不尽な電話や不気味な無言電話が掛かってきはじめた。玄関先に思想調査とか称して突然現れた怪しげな人物に、「あなたは北方領土問題をどう思いますか」などという唐突な質問をされたりもした。私が仕事上関係を持つ出版社や新聞社の一部には、広告業界などを介して不本意な噂を流されもしたし、折々出講していた大学などでも身に覚えのない話が出回ったりもした。

一方、これまた意外だったのは、反原発派から浴びせられた心外な言葉であった。たとえば、「関西電力の原発依存率は44パーセントほどだ」と書いたことなどに関しては、「それは原発の存在意義を強調するために原発側が意図的に流したまやかしの数値で、この筆者は騙されているのだ。さもなければ、表向きは原発批判のポーズをとっていても、実際は原発広報の協力者なのかもしれない」といったような論外な批評をされたりもした。

「このまま原発に依存し続けるなら、その安全基準を厳守し保安を図るためにも一定程度の電気料金の値上げはやむを得ない」と述べたところなどについては、「そんなことをしなくても、安い値段で十分に電力を供給できる。この筆者はあまりにも電力事情に疎すぎる」などと揶揄もされた。火力発電技術や各種再生可能エネルギーによる発電技術の向上著しい今日ならまだしも、当時の状況からしてみれば、それは無責任このうえない発言でもあった。しかも、この種の批判を繰り広げる人物らの一部が、現実には電力を多用しながら、反原発講演や反原発記事執筆などを生業にしていたという問題もあった。

ともかくも、そんな不快な思いをしたことや、原発に対する一般国民の関心の低さなどを痛感したこともあって次第に虚しい気持ちのほうが先立つようになり、私は原発問題に関してはほとんど筆を執ることがなくなった。それから程なく高速増殖実験炉「もんじゅ」確かめはしたものの、原発問題議論の場に再び立ち戻る気持ちにはなれなかった。

重大な原発事故が起こってしまった現在の状況下でなら、前述の評論誌に掲載された私の手記を読んで違和感を覚える人はまずいないだろう。当時の私の苦労やその手稿の存在を知る一部のメディア関係者からは、事故発生以降、意見を求められたり、原稿の執筆を依頼されたりもした。だが、今更先見の明があったなど言われても何の意味も有りはしないので、原発問題に関しては本誌以外のところでは筆を執ってきていない。今回の事故には東電関係者らの判断ミスに始まる人災の一面があることは確かだが、東電や電事連などから多額の支援を受けていた数多くの大学人や諸研究施設関係者、政治家、マスコミ人、さらには自らを含めた一般国民の多くにも、大なり小なり責任のあることは間違いない。

カテゴリー 日本列島こころの旅路. Bookmark the permalink.