日本列島こころの旅路

第16回 原子力発電所災害に思うこと(その6)(2011,10,15) 

意外と知られていないことだが、原子炉本体基底部の宿命的な放射能漏れの問題は極めて解決が難しい。原子炉を制御するには、当然、核反応の生じている炉心部の状態についての詳細なデータが欠かせない。そのため、炉心部や格納容器の基底部、一次系配管などには、ゆうに300を超えるといわれる各種計測器類がウニの針のように付設されている。そして、それら計器類のセンサー部分は高温高圧の炉内や配管中に差し込まれたかたちになっている。むろん、それらの計器をセットするには炉底や配管基部の各所に小孔を開け、そこからセンサーの先端部を差し込まなければならない。そのとき小孔とセンサーとの間に生じるごくわずかな隙間を密封するために高度な溶接技術や特殊なシーリング技術が駆使されてはいるのだが、炉に孔を開けた構造である以上、炉内部から極微量の放射性物質などが漏れ出すのを百パーセント防ぐのは至難の業なのである。たとえば、高温高圧下に長期間置かれていると金属の応力が劣化したりシーリング材が老朽化したりしてしまい、完全な密閉ができなくなってくる。そのため、運転が長期にわたった場合、原子炉格納容器の基底部周辺には微量とは言えかなりの濃度の放射性物質が漏れ出ることになってしまう。計器類挿入部の補修やセンサーの交換作業などの際にも、当然、放射性物質漏洩の危険や高線量被曝のおそれが伴う。

原子炉基底部に蓄積されるそれらの放射物質を定期的に除去するには、本来なら専門的知識と特殊な技術を要する極めて危険な作業が不可欠となるはずだが、センサー類の保守業務を含めてその実態はほとんど明らかにはされていない。センサー類は原子炉制御の命綱であり、それらなくしてはいかに高度なコンピュータ制御システムであってもまったく意味をなさなくなる。だが、長期使用に伴う老朽化、さらには不慮の災害や事故による密閉機能の劣化などをチェックし、安全かつ的確な保守を行うのは、素人目からしてみても容易ではない。国際的に承認されている安全基準を十分に守り、完全とは言わぬまでも、それらの作業を理想に近いレベルまでおこなおうとすれば、莫大なコストと多大な熟練労働力とが必要になるに違いない。現在、我が国の原発で、それらの問題がどのように処理されているのかは、たいへんに気になるところである。

今回の東日本大震災による福島第一原発の連続事故の主因が津波の影響による冷却機能喪失であることは確かだろう。しかし、いま述べたような点を考慮すると、地震そのものによって計器類挿入部のあちこちが破損して密閉機能が失われ、そこから相当量の冷却水や高濃度の放射性物質が漏れ出していた可能性も否定できない。金属疲労を起こした計測器類の挿入孔付近から炉心や格納容器の基底部に亀裂が生じたり、複雑に入り組んだ配管類の接続部などが破損したりし、そこから大量の冷却水や放射性物質が流出しているという最悪の事態さえも考えられる。ただ、炉心部に近づけない現状ではそういった事実の確認はしようがないし、たとえそのような事実が判明したとしても、東電や原子力行政組織の現在の体質では、すべてが隠蔽されてしまう可能性が高い。

原発労働者の実態は行政の壁と企業秘密のベールに覆われ、一般にはいまだにほとんど明らかにされていない。だが、かつての私自身の取材や今回の福島原発事故処理報道を通じても明らかなように、最も危険度の高い原発本体周辺の各種機器保守作業や配管類の保安維持作業は下請け会社の雇用する労働者たちによって行われている。原子炉を停止して行う定期的な保守点検などの際に、炉心から漏れた微量の高濃度放射性物質を収集し溶融ガラスで固めて容器に封入する危険な作業に当たるのも、放射線の専門知識などほとんどないそんな労働者たちなのである。

もう20年以上も前から、福島第一原発や浜岡原発の長期労働者のなかには白血病死する者が現れており、その家族から労災認定の申請と原因究明の訴えがなされたりもしてきた。そのことからもわかるように、今日まで隠されてきた問題は少なくなくない。浜岡原発のケースでは、死んだ労働者の放射線被曝データを記録した手帳が家族に返還されたのが半年後で、それも再三の督促の末だったという事実などもある。原発労働者の死に際し、労災に見合う分以上の弔慰金を払うという覚え書きを持参し、「労災の申請をすれば時間もかかるので、より多額な一時金を受け取ったほうが得だ」と家族に説明したという中部電力側の一連の態度などには、その背後にある種の意図が感じられ、いまだに甚だ釈然としないものがある。

「原子炉建屋の二重扉を開けて原子炉本体に近づいただけで線量計が警告音を発したりするんです。でも我われはそれを仕事にして給料をもらっているわけですし、そもそも安全基準通りのことをやっていたらいまの何倍の数もの労働者が必要になってしまうので、一定の被爆は覚悟で仕事をしています」と、18年前に私が取材した関西電力大飯発電所の下請け労働者らも語っていたが、その言葉はけっして大袈裟ではなかったのだろう。この際、我々はその事実の背景に見え隠れするものを深く考えてみる必要がある。

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