日本列島こころの旅路

第24回 原子力発電所災害に思うこと(その14)(2012,06,15)

原発の国内導入時の状況に関しては、1982年まで科学技術庁原子力局長を務めた島村武久などが回想手記の中でその実態を告白している。それによると、何から何までがアメリカ任せで、日本独自の大局的な指針などないままに、その基本原理さえ未修得な技術までをも無条件で導入したのだという。当時国内では原発への期待感が高まるばかりで、その流れを抑制することはできなかったとも述べている。原子力局長のポストにはあっても、法文系畑の出身で原子力の専門家ではなかったその人物に、政財界の強い意向を冷静に押しとどめることなど所詮無理な話だったのであろう。そして、そんな時流に乗って電源三法の制定を急ぎ、原発の地方導入を促進して地域経済の活性化を図ろうとしたのは、日本列島改造論を掲げて一時代を風靡した政治家田中角栄であった。

1978年の米国スリーマイル島原発事故は炉心冷却用電源喪失が原因であったが、日本では30分以上の電源喪失事故は起こり得ないので特別な安全対策は不必要だとの判断がなされた。各電力会社や関係省庁は、「従来の諸条件や諸状況が今後も不変だとすれば」という大前提のもとでしか成立し得ない確率論を絶対的であるかのように振り回し、国内の原発で長時間の全電源喪失やメルトダウンのような重大事故が起こる確率は何千万分の1程度に過ぎないなどとする無意味な安全論を繰り広げた。その論理は確率論の過信や誤用というよりは意図的な悪用とでもいうべきもので、一種の確信犯的な行為でもあったので、「原子力ムラ」という異称で呼ばれるようになっていた原子力関連の専門家組織内においてさえも、そんな安易な安全論の展開には反対する者があったようである。だが、経済的繁栄を絶対とする時代の趨勢の中で全体としてそれらの異論はすべて排除されたのだった。

原子力安全委員会や原子力安全・保安院などの行政組織は、事実上、自らは実効性のあるシビア・アクシデント対策を講じることはなく、すべてを電力会社に任せたままであった。我が国の場合、原発の実稼働に伴う大小の事故やプラントの不備に関する諸データは、非公開の機密事項として各電力会社のみに保有されるシステムになっていたから、それも必然の成り行きではあったろう。政財界をはじめ国論全体が原発推進の時流に乗っているうえ利益を追う民間企業としての立場もあったから、電力各社が次第に経営優先の体質へと変容していったのは当然のことだった。その結果、電力会社は国からの強い要請や指示がないかぎり安全対策を怠るようになり、チェルノブイリ事故直後の対応がそうであったように、ついにはシビア・アクシデント対策を国から押し付けられることにも一斉反発するようになった。そんな電力会社の姿勢を陰にあって支持し続け、問題点の隠蔽に一役買ったのは、労使双方の電力業界から多額な政治資金を貰っている多数の族議員たちであった。

一理あることなのだが、国策に従い、多様な手段や多額の経費を用いて不自然とも見えるほどに原発の安全性を唱え、備えの万全な日本では重大事故は絶対起こらないとPRしてきた電力各社にすれば、場当たり的な国の安全規制対策を全面受諾することへの抵抗感もあった。長期にわたる原発推進政策やそれに伴う各種の安全性PR戦略によって築きあげられた国民の支持や信頼感を喪失してしまうことを、何よりも電力各社は危惧していたからでもある。また原発安全神話に象徴される原発の絶対的安全性についての主張が揺らげば様々な訴訟が起こりその対応に追われかねないという点では、国と電力会社の利害関係が一致してもいた。そのため国と電力会社との間には徐々に暗黙の了解が生じ、安全対策を真摯に検討し着実にそれを実践することは後回しにされてしまったのである。
既に報道されているように、大地震による津波の影響についての試算のほうは専門家らの手によって2008年に完了していたが、その結果に従うと原発の稼働が一時的に中断される可能性があったため、折角の試算データが直ちに国に報告されることはなかった。甚だ皮肉な話だが、それらのデータが国に報告されたのは2011年3月8日で、その3日後に福島第一原発の大事故が発生したのだった。

これら一連の状況は、たとえそれが何よりも重要だとはわかっていたとしても、現実の社会においては、経済的利益より安全性を優先させることが如何に困難であるかを如実に物語っている。「重大な事故は起こらない」とする一種の自己催眠のもとに、非常事態が起こるまでは真剣にリスクと向き合おうとしない多くの日本人の体質も問題ではあるに違いない。悲惨な事態が起こってしまった今にあっては国や電力会社の対応を糾弾するのは容易なのだが、その一方で、自分が電力会社や国の原発管理部門責任者であったとすればどのように振舞ったのだろうかと、我々国民も冷静に自問自答してみる必要はあるだろう。自分は無関係で何の責任もない、悪いのは国と電力会社だと息巻くだけでは、一連の事態の隠された本質も、今後日本国民が採るべき方針もよくは見えてこないからだ。

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