日本列島こころの旅路

第23回 原子力発電所災害に思うこと(その13)(2012,05,15)

アメリカでは原子力発電所建設の基準として、当初から厳しい条件が定められていた。その中でも特に重要とされたのは、原発建設予定地周辺には人がほとんど住んでいない広い地域が存在していること、重大事故発生時には周辺住民の即時避難が可能なことの二条件であった。だが、日本でこの条件を完全に満たせるような建設地を探すことは事実上不可能だったので、アメリカ並みの安全基準を厳守しようとしたら現実には原発建設ははなから断念するしかなかった。

そのため、国内への即時原発導入を望む政財界は、国民全体が利益を得ることなのだから、たとえそれらの条件が満たされていなくても建設を促進すべきだとの指針を立てた。要するに、始めから「原発ありき」の展開を選んだわけである。その結果、慎重派の研究者や技術者の意見は無視され、まずはアメリカの技術をそっくり導入して原発の建設稼働を実現し、その過程において生じる諸々の問題には臨機応変に善後策を講じていくという政策が採られることになった。国は本来あるべき厳格な安全対策や安全基準に目を瞑り、場合によってはそれらに対し無関心を装いさえもした。そして、原発建設と同時に意図的とも言える安全神話が創り出され、まるで技術責任者自身が率先してそれを信じるかのような、またそうではなくても信じる振りをするかのような疑似自己催眠的な風潮が生じ、国民の間にもそれが蔓延していったのだった。

「人間は常に誤りを犯すものであり、科学技術には不慮の不備や未知の不完全さがつきものである」という欧米では自明の大前提が、我が国では、「人間は決して誤りを犯さないものであり、科学技術には不慮の不備や未知の不完全さなど決して存在しない」という、非現実的で甚だ都合の良いものへとすり替えらえてしまったのだった。

そんな背景のもと、GE(ジェネラルエレクトリック)社製の沸騰水型軽水炉MARKⅠが国内に導入されることになり、1967年、福島第一原子力発電所の建設が開始された。同原子力発電所をはじめとする原発が日本各地に建設されるに先立ち、GE社は自社製の原発技術の完成度の高さをアピールし、ターン・キー方式と呼ばれる原発輸出契約を提案した。そして、日本側も大筋でその方式に基づく原発の輸入契約締結に同意した。技術的に一定の完成域に達したGE社製の設計規格通りの原発を日本に導入してもらえればコストは最小限で済むうえに、日本側は運転始動キーを回すだけで原発を稼働させることができるというのが、ターン・キー方式の謳い文句だった。ただ、このGEの提案は、「人間に誤りがつきものであるかぎり、科学技術に絶対はない」という欧米では当然の大前提に立つもので、その点については日本側も十分に理解しており、不備や不都合が生じた場合には日本の技術者が独自の対応をとるだろうとアメリカ側は考えていた節がある。現実の日本側の対応はそのようには運ばなかったわけなのであるが……。

GEの沸騰水型原子炉は、関連資材の搬出入用船舶の接岸も可能な大河川沿いの場所での建設が前提とされており、また冷却水には河川の水を使用する設計だったので、炉本体は河水面から5mほどの高さの位置に設置されるようになっていた。もちろん、地盤も安定し地震にも津波にも無縁な条件下での安全性を基本にした設計になっていたのである。ターン・キー方式導入契約に従いGEが設計した通りの原発を国内に建設するとなると、比較的過疎な海沿いの地域を選ぶしかなかった。資財搬出入用船舶の接岸が可能で、しかも河川水を冷却水として取り込めるような河川沿いの建設適地など見当たらなかったから、海沿いに船舶用接岸施設を造り、冷却水としては海水を用いざるを得なかった。そのため、福島第一原発などの場合は、もともと海抜30mほどの高さのあった台地を削り取り、わざわざ海抜5mほどの平坦地を造成するという先行作業までが必要だった。

GE方式の原発を地震や津波の多発する日本に建設するのは危険だから、少なくとも日本独自の基礎研究を重ねたうえで設置すべきだとする専門研究者の意見は一切無視され、目先の経済性のみを重視して建設が促進された。地震や津波の起こらない地域や、周辺の地下深くに隠れた活断層や破砕断層が全く存在しないところなど国内には皆無だから、厳格な基準を遵守していたら原発導入など不可能だという判断が政財界にはあったからに相違ない。MARKⅠ型の原発は日本のような地震の多発地帯においては危険性が高いとするGE技術者の警告までもが軽視され、建設稼働が急がれたのも、日本側の政治的判断によるところが大きい。その結果、今回の大事故の要因としてその喪失が問題となった非常電源装置などもGEの規格通りのものが設置される運びとなった。当時原子力部長代理として陣頭指揮を執った豊田正敏元東京電力副社長やその傘下の技術者らも、当初はこの非常用電源装置の規格の不適切さを認識していなかったというのが実情だったらしい。

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